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帝東高校と狛代高校を招いてのダブルヘッダーでは、一軍・二軍ともに快勝した。
対狛代戦で登板した沢村は、クリス先輩から出された課題である『持ち味』を勘違いしたせいで少々残念なピッチングをしたらしい。二回を持たず交代させられてしまったらしいが、後続の投手が好投して試合を盛り返したようだ。
一方、東東京の強豪・帝東高校と対戦して先発した降谷は、爪を割ってしまって途中降板。その怪物ぶりを十分見せつけたものの、こちらも二回を持たず交代となった。
一年生二人にとっては、悔いの残る試合になっただろう。
「月代!」という一也の声に振り返ると、食堂から顔を出している彼に手招きされた。
「マニキュア持ってるか?降谷に爪のケア教えてやってくれよ」
指先に全ての負荷を集中させて放たれる剛速球に対して、何の手入れもしていなかったのだから当然の怪我だった。彼には今までそれを教えてくれる人もいなかったのだ。
彼は治療も含めて二週間、投げ込み禁止を言い渡されている。
「持ってるよ。夕飯終わったら食堂で。――沢村は大丈夫?」
「まあ、投げる球のタイプも違うからそう心配することねぇだろ。必要ならクリス先輩が教えてくれるさ」
「降谷のことは小野に見てもらったらいいかもね。同室どうし」
「ああ。声かけとく」
練習着とタオルの洗濯を終えてから食堂へ顔を出すと、降谷がちょこんと隅っこに座っていた。
「巴ちゃん、洗濯終わった?」
「終わりました。おにぎりも終わってますか」
「ええ、私たち帰るわね」
エプロンを外した貴子先輩が鞄を肩に掛けると、テレビを見ていた小湊兄と倉持が立ち上がる。
食堂を出て行くみんなを見送ってから、行儀よく座っている降谷の前に腰を下ろした。
「待たせてゴメンね。手、出して」
「はい……。よろしくお願いします」
テーブルの上に差し出された降谷の大きな両手を眺める。右手の人差し指の爪は治療されているから、ここは怪我が治ってからだ。
まずヤスリを取り出して、短く切り揃えられた降谷の爪をきれいに均していく。
「投手にとって指先の感覚って大切なものなんでしょう?爪は丁寧にケアしないとだめだからね。
短く保つのは当然だけど、ヤスリで削った方が細かいところも調整できるから爪切りは禁止。ちゃんと表面も保護してあげること」
「……マニキュアって女の人がやるものじゃないんですか」
「これは色がついていない透明のトップコートっていうもので、爪の保護にも使えるの。
透明だから多少縒れても大丈夫だし、投手なら塗っててなにも変じゃないから」
ハケを右手に持って、容器の縁で余計な液を落とす。
降谷のきれいな形の爪に、たまに息を吹きかけながら、右手左手と順番に塗っていった。
「月代先輩、手、細いですね」
「そう?」
「はい。それに爪も綺麗……」
巴がふと顔を上げてみると、降谷の表情が小さな子供のように好奇心で瞳を輝かせていたから「ありがとう」と笑った。純粋な子なんだろうな、と思いながら塗り続ける。突然、隣の椅子がガタガタと引かれて顔を上げた。
「降谷、なに月代のこと口説いてんの」
「クドク?」
「はっはっはっ、降谷くんの天然たらし〜」
「……」
「はいでた、無視」
ようやくやってきた御幸は、椅子に腰を沈めるなり降谷を揶揄い始める。そんな降谷は嫌そうに顔を少し歪めて、つーんとそっぽを向いた。いつもこんな感じなんだろう、二人のやりとりに若干苦笑する。二人の会話に耳を傾けながらも、最後の左手の小指の爪に筆を置いた。
塗り終わった爪をほくほくと眺める降谷は、本当にマウンドに立つ姿とは別人だ。
「月代先輩、ありがとうございました」
「いいよこれぐらい。乾くまでもう少し動かずに待っててね。
あと爪だけじゃなくてできれば手全体、指先。乾燥は敵だから少なくとも秋から冬はハンドクリームを塗った方がいいよ。指の第一関節分出して」
「それも女の人のもの……」
「基本的に女子のものが多いけど、手のきれいな男子はモテるからピッチャーじゃなくてもお勧め。ドラッグストアに行ったら男の子でも買いやすいものがあると思う」
手の甲に出したクリームを手の温度で溶かしながら、指先、指の間、手の甲と掌に塗り込んでいくと、降谷くんは目を閉じてぽややんとしはじめた。たまに痛くない程度に指圧しながら、クリームが溶けるまでマッサージを続ける。
そうして一通りのマッサージが終わったので手を離すと、降谷くんは両手をじっと見つめて握ったり開いたりを何度かしたあと僅かに目元を緩める。
「月代先輩、ありがとうございました」
「いいよこれぐらい」
テーブルの上に手を乗せたまま、降谷はこくんと首を縦に振った。巴の言いつけを忠実に守る降谷が手を動かさないようにじっと爪を眺める。本当に素直な子だ。「俺にもそのくらい素直になれよ」と面白くなさそうに頬杖をついて眼を細める御幸。
降谷くんの爪が乾いた後、一緒に夕飯を食べていると沢村と春市、それから倉持までやって来た。後輩と一緒に食事するのは初めてで、なんだか新鮮だった。まだまだご飯の量の多さに苦戦している三人の姿が一年前の御幸や倉持の姿と重なって懐かしくなる。今じゃ顔色ひとつ変えずに平らげているけど。
「巴先輩! 俺にも爪のケア教えてください!」
「…別にいいけど」
「お願いしやす! つーか降谷! おまえひとりだけ巴先輩に教えてもらうなんて卑怯だぞ!」
「……御幸先輩に言われたから」
「なに!? 御幸一也ぁぁー! 俺にはそんなこと一言も言ってくれねえくせに!」
「はっはっはっ! 知らねえよ。つか、俺先輩な」
沢村がいると賑やかさが倍になるなと苦笑しながらお味噌汁を啜る。賑やかで元気すぎる沢村の周りには、自然と人が集まり、笑顔が増えて行く。彼の人柄がそうさせるのだろう。
「ヒャハ! つーか、おめえはクリス先輩に聞きゃーいいじゃねえか」
「はっ! 師匠に!?」
今の沢村とバッテリーを組んでいるのはクリスなのだ。巴が「その方がいいかもね」と言うと沢村くんは、むむむむ、と猫目を吊り上げていた。