「御幸先輩の幼なじみらしいぜ」

そんな言葉が聞こえてきたので、おや、と思いながら俺は足を止めた。

「俺、月代先輩ムリ……美人すぎて緊張する……」
「沢村や降谷はなんであんな普通に喋れるんだろうな……」
「全然怖いとかじゃないけどな。ひたすらドキドキするよな」

夜、バットでも振りに行くかと思っていたところだった。どうやら室内練習場にいるらしい一年生が巴の話をしていたので、ついつい入口の近くに寄って興味本位で聞き耳を立ててしまう。
さて青道の女神さんは、後輩たちからはどう思われているんだろう。
内容によっては明日の朝からかってやろうと、にやりと口角が上がった。

「やっぱ付き合ってんのかな?やたらと距離が近い時あるよな」
「いや、あの二人はそういうのないって先輩が言ってた。どっちかっていうと倉持先輩となんじゃないかって」
「へぇ〜倉持先輩。俺あの人ちょっと怖い……」
「沢村いっつもプロレス技かけられてるもんな」

ぷぷぷと噴き出しそうになってしまったので必死で抑える。倉持ー、お前怖いってさー。
ニヤニヤしながら隠れて話を聞いていたら、怪訝そうな表情のノリが「なにやってんだ御幸」と近寄ってきた。手招きをして、人差し指を口の前に立てる。

「あんな人と付き合えたら毎日お花畑なんだろうな〜」
「え、美人すぎて多分死ぬ。俺無理」

その発言にノリが盛大に噴いた。
おかげさまで聞き耳を立てていたのがばれたらしい。一年生たちが「えっ」と言いながらぞろぞろと出てきて真っ蒼になった。

「ノリ〜笑いすぎ」
「いや、だって……そっか、やっぱまだ一年は慣れないもんな……ふふ」

高嶺ムリとか倉持怖いとかいう話の内容だったから、一年たちはかわいそうなくらい気まずそうだったが、俺たち二人はお構いなしに大笑いしていた。
あんまり笑っているから一周回って安心したんだろう、やがて照れ笑いを浮かべながら顔を見合わせた彼らに、ノリが声をかける。

「俺らも入学したての頃は月代のこと苦手だったよ」
「え、そうなんですか?」
「入学式の生徒総代だったからさ、そんな秀才が野球部になんの用なんだろって思ってたし、やっぱり美人だから話しかけ辛くってさ。
でも、本当に選手のことよく見てるマネージャーだから。なにかあったら相談してみるといいよ、絶対力になってくれる」

巴はすごいな。昔から俺の近くで俺の野球を見ているだけじゃなく、選手にここまで言わせるマネージャーになってくれた。
巴をここまで連れてきた俺もそれに恥じない選手にならなきゃ顔向けできない。
彼女の両親と、親父の顔が脳裡に過ぎった。 


「お、おはようございます!!」
「おはよう、狩場」
「おはようございます、月代先輩」
「おはよう、高津」

昨日のやりとりがあったからか、今朝はやたらと一年が巴に声を掛けに行く。いちいち名前を呼びながら挨拶を返す巴に、こいつまさかもう一年の顔と名前全部一致させたんだろうかと末恐ろしい気持ちになった。
俺なんてまだ沢村、降谷、亮さんの弟、同室の木村くらいしか憶えてないのに。……いや俺が憶えてなさすぎなだけかも。

「おはようございます!巴先輩!!」
「おはようございます、月代先輩」
「おはよう、沢村、春市」

欠伸しながら伸びをする。朝は弱い方じゃないけど、早起きが得意というわけでもない。
こちらに気付いた巴が、一年と挨拶していた時とは打って変わって自然に微笑んだ。おいこら、なんだその無防備な笑顔は、朝っぱらから。

「おはよう、御幸」
「……はよ」

案の定近くにいた一年がその笑顔を目の当たりにしてガチッと固まってしまった。巴のあだ名に『メドゥーサ』が加わるのも時間の問題かもしれない。

「おはようございます月代先輩」「はよーございます!」
「おはよう、東条くん金丸くん」
「今日も笑顔が素敵ですね!」
「ありがとう」

比較的耐性のついた東条からの褒め言葉をさらりと流して、ランニングへ向かう一年たちの背中を優しい眼差しで見守る。
この横顔も、笑顔も涙も全て俺のものでは決してない。
いつか俺以外の誰かのものになって、生涯そいつのためだけに、こんな風に優しい愛を注ぐようになるんだろう。

生温い風が吹く。
今日も暑いね、と巴がこちらを見上げる。
当たり前のように隣にいてくれる彼女がいつか俺以外の誰かの隣に立ち、そこで笑って、泣いて、きっと幸せになる。そうなった時、俺も、いつか巴以外の誰かを隣に置いて生涯の幸せを願うようになるんだろうか。

「あ、雲が猫の形してる」
「……ん?」
「ほらあそこ。背筋伸ばして座って、ちょっとうつむき気味なシルエット。可愛い」

俺にとってはただの雲でしかない。どれほど指を差されても猫になんか見えやしない。
だけどそうやって雲と猫を結びつけることのできる巴の感性とか、それを俺に伝えて共有しようとしてくれること自体が、どうしようもなく――

 どうしようも、なく。

「……そうだな」

時間になるから行こうと、言い訳をつけて巴の手を握った。
華奢で、白くて、でもひと冬の荒れを乗り越えた手。以前誕生日にあげたハンドクリームは効果抜群だったみたいだ。いつも俺の隣にいてくれて、支えてくれて、抱きしめてくれて、つなぎとめてくれた、俺を弱くする美しい手。
きっとこの先の人生で彼女以外の女性と手をつなぐことがあったとしても、この温もりだけは一生死ぬまで忘れないんだろうなと思った。

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