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夏季東京都野球選手権大会、一回戦。
巴はクリス先輩に指名を受けて、初戦の相手の決まる試合の偵察に行くことになった。他の三年生の先輩方と連れ立って球場へ向かい、一試合しっかりデータを取らせてもらってからグラウンドへ戻る。
食堂のテレビを占領してビデオを流しながら、クリス先輩と一緒にデータをまとめた。
「気になるところはあったか?」
「いえ……、バントでしっかりランナーを送ってくるし、守備でもエラーが少ない。決して脅威を感じる打線ではないですが、少ないチャンスを確実につなげていく堅実なチームという印象です」
秋からずっとクリス先輩に鍛えられているので、偵察も分析もだいぶ慣れてきている。
以前に比べて表情の明るくなった彼と一緒に野球に関わることができるのはとても嬉しかった。
「そうだな。打者ごとの特徴はまとまってきたか」
「ひとまずクリーンナップだけです。三番はインコース苦手そうですね。コンパクトな振りで鋭い当たりが多い。四番はしっかりしたスイングをしてきますがフライを多く打ち上げるタイプです。五番は変化球に弱そう…」
だいぶ慣れてきてはいるのだけれど、得意だとはとてもじゃないが言えない。今までのように一也と二人でビデオを睨みつけるだけじゃない、監督たちがこのデータをもとに試合の戦略を立てていくのだから、データ班の責任はかなり重大だ。
クリス先輩にこうやって教えてもらえるのはこの夏が最後になる。
何もかも、吸収していかなければならない。
じっとノートを見つめる巴に、クリス先輩は何か感じるところがあったらしい。
「あまり気負いすぎるなよ。偵察や分析は部員と負担を分け合えばいい」
「……はい。見た感じ、分析が上手そうな人は何人かいるんです。ただ、まだこの時期ですし、なかなかわたしからは頼めないんですよね」
選手としての試合出場を目指す部員に対して、マネージャーの立場から偵察の同行をお願いすることはできない。
選手としては望み薄だからサポートに回ってくれと、そう言っていることになってしまう。
「お前は先を考えすぎなんだ。そういうことは秋になってからでも間に合うし、監督だって考えてくれる」
「でも……」
――でも、そういうわけにはいかないんです。
ずいぶんと昔の記憶。大事な試合の勝敗と、大きな怪我などの事件以外、細かいところはほとんど忘れた。
それでも、この夏を終えた世代交代後の秋、何だかんだと揉めることはわかる。言葉選びのきつい御幸と負けん気の強い同期たちがこれだけ揃って、揉めないわけがないのだ。
「でも、他の業務は唯ちゃんたちにお願いできるので、いよいよとなったらこちらに集中します。部員が野球に集中するためならいくらでも雑音を取り除きます。……だから、クリス先輩から教えて頂けること全部、私にください」
「……しょうがないやつだな」
クリス先輩は目元を緩めて微笑むと、巴の頭に優しく手を置いた。
そうしてまとめたデータにクリス先輩のお墨付きをいただいてから、ミーティングを開くことになった。
ビデオを流しつつ、クリス先輩がノートを見ながら解説していく。
エースの特徴、チームとしての特色、打者ごとのデータ、試合を見たうえでの印象。
それらすべてを聞き終えてから、監督が明日のオーダーを発表した。
「――初戦の先発だが、一年降谷。お前で行く」
監督の言葉に、一瞬騒然となった。
敗けたら終わりのトーナメント戦で、試合経験のある川上でなく一年生を先発に持ってくる思い切りの良さはさすがだ。
逆に言うとエース丹波を欠いたこのチームでは、その策を取らざるを得ない。
「初戦の大切さは十分にわかっている。だが今年の夏を戦っていくには継投せざるを得ないだろう。
川上、お前は試合中、いつでもいけるように肩を作っておいてくれ」
丹波の故障以降、表情も動きもどこか固かった川上が、ここでようやく監督を真っ直ぐに見つめた。
「これだけ大事な役を頼めるのは、お前しかいないからな」
投手としてはいいものを持っている一方で、精神的に弱いところがある彼のことだ。ここまで大きな試合での先発経験のない川上が、丹波の不在をプレッシャーに感じるのも無理はなかった。
リリーフ経験の豊富な川上を後ろに回すことで、降谷はスタミナの心配をせずにマウンドに立てる。これが現時点でのベストオーダーだった。
「するってーと監督さん、いつでもいけるように、俺も肩を作っておけばいいんスね!?」
残念ながら名前を呼ばれなかった沢村が肩をぐるんぐるん回しながらアピールするも、監督は「……うん、……まあ、そうだな」と聞こえるか否かといったレベルの小声で答えていた。
ミーティングが解散となり、それぞれ自主練に向かっていく中、巴は高嶋先生の方に駆け寄る。
「高嶋先生、明日は市大三も初戦だった筈ですけど、どうしましょうか」
「月代さん……」
「クリス先輩は記録員としてベンチに入られますし、立川に何人か行った方が良さそうなら私行ってきます」
積年のライバルたる市大三高と当たるのは準々決勝。
互いに番狂わせさえなければそこで相見えるはずの相手の試合、初戦から偵察に行けるなら行っておいて損はない。稲実の試合日程もチェックはしてある。
高嶋先生は何やら感動したような顔つきになって、がばっと巴を抱き込んだ。
「いいの。明日は私が行ってくるから……あなたはみんなを応援してあげて」
「そうですか?……あの、先生、力強いです」
「御幸くんだって、月代さんが見てくれた方が気合い入るわよ!ねえ御幸くん!」
高嶋先生は巴を抱きしめたまま、傍を通りかかった御幸の肩をガッと掴む。
「え、なに、なんの話?どういう状況それ」
「御幸くんどうしましょう、あなた本当によくこの子をここに連れてきてくれたわ、なんて健気なのかしら、ああもう!」
「礼ちゃん礼ちゃん、とりあえずソイツ離してやったほうがいいって」