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ただひたすら上に向かって泳いでいった。
自分が何を目指しているかも分からず、でも、何故地上に向かっているのか…それはほんの少し、心の中で理解していた。
ざぶんと大きな波音を立てて、巴は海から顔を出した。
もう既に日は暮れかけており空は赤く染まっている。
「藤宮?」
後ろの方で名前を呼ばれた気がした。
ゆっくり振り返ると、紡が砂浜に立っていた。
―――その時何故か、やっぱりだ、とそう思った。
その後、海から上がった巴は神社からそのまま出てきているので、いつも着ている巫女装束だった。
砂浜に妃と紡、二人は並んで座りただ静かに海を見ている。
しかし、それでも居心地が悪いと感じなかったのは相手が紡だからだろうか。
「どうした?何かあったのか?」
「キミこそ。どうしてここに?」
「オレは…よく分からない。自分でも知らないうちに海にきてた」
「何それ…訳分からない」
巴は小さく笑った。こうやって人前で簡単に笑顔を見せるなど、以前の彼女なら考えられなかっただろう。
「でも…分からないのは私の方だ。
本当に…どうしたらいいか…分からない…っ」
それからの巴の話を紡は静かに聞いていた。
長い話に一度も口を挟まず、彼女の方をじっと見て時折頷いていた。
藤宮の家に生まれた巴は、母と二人暮らしだった。
父は病弱な人で、巴がまだお腹の中にいた時、静かに息を引き取った。
母は厳格で、真面目で、常に毅然と振る舞っている人だった。
巴は風貌は祖母に似ていたが、性格は母からしっかりと受け継いでいた。
そして母の両親で妃の祖父母であった人たちも皆、巴が産まれる頃にはいなくなっていた。
そのため女手一つで巴を育てていた母。
母でもあり、巫女でもあった彼女は神社へとよく巴を連れてきていた。
「うおこしゃま」
「巴、「うろこ様」じゃ。ほれ言ってみぃ」
「うおこしゃま、しゅき」
「ほぉ、その歳で既に色恋に目覚めるとは、将来が楽しみじゃのう。
しかし儂を選ぶとはなかなか良い目を――ぐはぁっ!!「おや、こんなところにゴクツブシが」
仮にも神の使いであるうろこ様にも、平気で物を投げたり暴言吐いたりと、かなり肝が据わった女性だったという。
それでも、そんな母が大好きで妃はいつも一緒にいた。
―――しかし、母はいつしか神社の仕事もあまりしなくなり、毎日のように地上に行っていた。
巴は一人置いてけぼりで、まるで保育園代わりのように神社でうろこ様と日々を過ごしていた。
“嫌われた”
まだ十分小さかった巴は、そう思い込んで母に好かれるようにと必死で“良い子”になろうとした。
挨拶をしっかりして、早く字が読めるようにと本も読んだ。
それでも、母は結局、地上の男と駆け落ちした。
村を追放となるが、自分から出て行く母にはそんなこと関係なかったかもしれない。
「巴、この“巫女の石”をお前に渡す。失くさず大事に持っていなさい」
「…いいの?ありがとう!お母さん」
母は巴に大事なペンダントを渡した。
本当はもっと大人にならないと、渡されないのだが、巴には母から贈られる宝物ができたみたいで、難しいことなど考えられず、ただ嬉しかった。
「…巴、私の可愛い子」
「お母さん?どこに行っちゃうの?」
「…ごめんね、巴……ごめんね」
「……――お母さん?」
追いかけようにも、自分の小さい足で母には追い付く筈もなく、まだ泳ぎだって全然上手くなかった。
だから、遠ざかっていく母を見ているしかなかったのだ。
いくら泣いても、呼んでも、母は一度も巴を見ようとしなかった。
「素直に悲しかったけど…でも、それと同時に…“裏切られた”って気持ちもあった。
私はあの人が大好きだったのに、あの人は娘より地上の男を選んだ。…本当にどうしてなのか…」
巴の口調が少し変わっている。
以前、紡の家でもそうなったように、昔の話をすると彼女は“素”が現れるのだろう。
先代である母がいなくなり、巴は藤宮に唯一残った巫女の後継ぎとして、村の衆は彼女を閉じ込め、外に出られてないようにした。言わば「監禁」状態だ。
巫女を失わないためにも、そして母と同じように、地上に興味を持たせないためにも、地上どころか村の外へも出れなかった。
唯一家以外の場所といえば、鳴波神社ぐらいだ。
けれど、神社では巫女を育てるためにと、殆ど修行のような日々だった。
それでも巴はずっと耐えていた。
同い年の子が遊んでいる間も、勉強をして、作法を学んで、修行をして…――
また“良い子”になろうとしたのだ。
母に裏切られたかもしれない、でも自分が前よりもっと賢い良い子になれば、いずれ母は自分を認めてくれるんじゃないかと思った。
そして、ある時大人たちが話しているのを偶然聞いたのだ。
「藤宮の女らしき人物を地上で見かけた」
嬉しかった。母に会いたい、会って話したい、単純な気持ちだったが、巴を動かす原動力には十分だった。
その夜、人の目を見計らって家を抜け出した。
初めて見る地上は一体どういう景色なのか、好奇心さえ芽生えてきたのだ。
海から顔を出して、辺りを見渡す。
満月が輝く夜だった。巴の美しい銀髪が反射されたように照らされる。
ふと、大きな岩の先端誰かいるのが分かった。
自分と同い年程の小さい男の子。地上の子だろうか。
何をしているのか、不思議に思い暫く様子を伺っていると…その子が少し足を踏んだ瞬間。
男の子は海に落ちてしまった。
岩は波が当たっていたせいで滑りやすかったんだ。
そんなところに少年がいれば、バランスを崩しやすいのは当たり前で。
地上の子であったら、息はできないだろうし、泳げるかも分からない。
巴は慌てて潜り少年の落ちた方へと泳いで行った。
夜の海は暗く、男の子がどこにいるか肉眼では中々見えなかった。
目を必死でこらして男の子を探し出す。
――すると、ある一点が妙に波打っているのが分かった。…もしかしたら、
「いた…」
急いで男の子の腕を掴んで、上を目指して突き進んだ。
浜辺へたどり着くと男の子を寝かし、安否を確認した。
暗闇で男の子の顔は見えないが、彼の髪が黒いのは分かった。
夜に溶け込むような黒い色。
男の子は段々と呼吸も落ち着いていき、ぼうっとしたように巴の方へ視線を向けた。
「…だれ?」
「…っ、私は…」
今度は巴が困った。まさか、今日地上の者と出くわすと思っておらず、対処方等考えてもいなかった。
『地上の者と関わってはいけない』
大人たちが言っていた言葉を思い出す。
巴は海へ戻ろうと身体が動き、男の子から離れようとした。
――しかし、その時。
男の子は離れて行く妃を止めようとしたのか、状態を起こし、彼女の方へと手を伸ばすと何かを掴んでしまった。
「あ…っ!」
ペンダントが取れてしまった。
母から渡された“巫女の石”がついた紐を誤って男の子は手に持っていた。
身体は硬直し、お互いに沈黙したが巴はやっと口を開いた。
「そのペンダント…大切なものなの…、お願い…ずっと持ってて…」
「僕はツムグ。ねぇ…!、キミの名前を教えて…っ」
ツムグという少年は、ゆっくりと立ち上がろうとする。
しかし、それよりも早く巴は海へと走った。
「……ごめんね、ツムグ」
最後に振り向いて、彼の名前を呼んだ。
一生忘れることのない名前を。
全てを話し終えた妃に、潮風が優しく撫でた。
流れる髪を手で軽く押さえる。
「…あの人に会いに行ったつもりが…まさか、地上の…それも男子に会うなんて考えてもみなかった。
やっぱりあの人と私は血の繋がった親子といったところか。
そう思わない…?ツムグくん」
巴に名前を呼ばれたのは初めてだ。
紡は彼女へと顔を向け、視線を合わせる。
「キミが…あの時の男の子だよね…」
青い瞳は海のように澄んでいて、涙が溜め込まれていた。
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