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その石、大切なものだから
お願い
ずっと持ってて

夜の海を背に少女は言う。
けれど、少年は届かない筈の手を伸ばす。

オレはツムグ。
あんたの名前は

必死で懇願している少年は言う。
けれど、少女は悲しそうな瞳で微笑んだ。

ごめんね、ツムグ


まなかの足の布の下の正体は魚だった。うろこ様に呪われたらしい。
あの後、巴とまなかは紡の家でお世話になり、無事干からびることだけは免れた。
転んだ際の怪我の治療までして貰ったまなか。

――結局、巴は一言も喋ろうとしなかった。

もう日が落ち辺りが暗くなり外灯が照り始めた頃、
海沿いの道を歩いていると、光らしき声が聞こえたのでまなかは嬉しそうに手を挙げる。

「ひぃく〜ん!」
「まなかッ!」

まなかを見つけた瞬間、光が走り出し、何故かまなかを通り過ぎて後ろにいた巴と紡の方へ駆け寄る。
厳密に言うと紡に掴みかかった。

「てめっ!」
「ひぃくん、違うよっ!紡くんは助けてくれたんだよ!」
「紡くん、だぁ!?」

まなかの一言に反応した光は、そのまままなかの腕を掴み、元来た道をずんずん進んでいき、そのまま遠くなっていく。
まなかは腕を引かれながら、ちらちらとこちらを見ていた。
取り残された巴と紡は思わず顔を見合わせる。
しかし、巴の方は直ぐに視線を逸らし顔を背けた。

「…今日はご親切にありがとう。それじゃあ…――「待って」

その場を立ち去ろうとした巴の腕を掴んだのは、紛れもなく紡だ。
後ろを振り向かなくても分かる。
巴は何故か少し震えているようだった。

「オレ…何か悪いことしたかな」
「別に。ちょっと日を浴び過ぎて疲れただけ。
気を悪くさせたのなら、謝るわ」
「なぁ、アンタって…」
「じゃあまた明日」

何か言いただった紡に、巴は一方的に別れを告げ走り出した。
勢いよく海に潜り汐鹿生を目指し泳いだ。

全てを振り払うかのように…泳いでいった。

***

それは翌日のことだった。

「あ、そうだ。この中でおじょしさま作ってみたい人いるー??」

最後の授業が終わった後に、先生が募集をかけてきた。
何でも、今年はおふねひきをやらないから、美濱中の生徒で有志でやろうということらしい。
もともとの「おふねひき」は海の神様に生け贄として女性を捧げていたのだが、
今では道徳的な問題もあり、その生け贄の女性の代わりに「おじょしさま」と呼ばれる木彫りの人形を捧げている。年に一度の陸と海の共同のお祭りだ。
周囲からあがる不満の声に光の苛々が募ってくる。
光は汐鹿生の宮司の息子だ。いろいろと思うこともあるのだろう。
彼の我慢が限界に達しそうなのを察して、オロオロするまなかとちさき。
そして爆発する直前、一番端の席で手が挙がった。

「おっ。はい、紡ね」

静かに手を挙げたのは紡だった。紡が手を挙げたのを見て、まなかも勢いよく手を挙げる。
まなかが参加するとなれば光が参加しないわけがない。
渋々手を挙げた光を見て、ちさき、要の二人も笑いながら手を挙げた。
巴の方は特に手を挙げることなく、ただ最近はずっと考えごとをしているのか、ぼおっとしていることが多い。
そのせいで気づかなかった。

「おおー藤宮さんもやってくれるんだね」
「は…?」

先生に名前を呼ばれて我に返ると、巴の左隣の紡が彼女の腕を上げていた。
訳が分からないと言った表情を向けるが、当の彼は特に気にしていない。
こうして海村の五人(強制的にやらされる巴)プラス紡の、おじょしさま作りが始まった。

しかしその時、まなかが複雑そうな心情をしていたことは誰も知らなかった。

それから五人と先生はおじょしさま作りの作業に入った。
とはいっても今日は初日なので、おじょしさまのための木を切り出すことからだったが。
光はブツブツ文句を言いながら皆で学校の裏山で枝やらを集める。
本来は地上の人たちの役目なので、不満に感じるのは仕方がないとは思うが、
それなら立候補しなければ良かったのだ。ちさきがそれを言うと、地上の奴らは全然わかってないから見張るのだと言い放った。

「どうして、おじょし様作りやろうって?」

要が一番に立候補した紡に問い掛けた。確かに誰もやろうとしなかったことだ。
しかも、もし汐鹿生の四人が立候補しなければ一人だったかもしれない。
それでもやろうとした彼の真意は聞いてみたかった。

「うちは漁師だから。
海のおかげで生きてるから、お礼のために…ちゃんとおふねひきしないと」

そういえば初めて会った時。つまりまなかと巴が釣られた時、彼は漁船に乗っていた。
海に関わることが多いと、その分だけ考え方も他の同年代の人たちとは違うのかもしれない。

「うろこ様って、本当にいるらしいね」
「うろこ様?いるよ」
「ちょっとエッチなおじさんだけど。
あ、巴はね、うろこ様の身の周りの世話をする「巫女」見習いをしてるんだよ」

ちさきがそう言うと、紡の視線は巴に向けられた。
彼女は少し気まずそうに目線を逸らしている。

「…うろこ様なんて大層な名前だけど、私には、お尻と胸を触ってこようとする只の万年発情期の変態野郎にしか見えないわ。
そんなに期待しない方がいいわよ」

巴の淡々とした言葉には、何故か彼女の毎日の苦悩が見えたような気がして、
全体の空気が少し冷たくなってしまいまなかが雰囲気を変えようとする。

「ええっと…おじさんとお兄さんの中間ぐらいだよ!」
「そうか…本当にいるんだ」

それからも紡は「ぬくみ雪」や「御霊火」についても尋ねてきた。
陸の人間にしてはやけに海のことについて詳しい。言葉の端々にも好奇心が垣間見える。

「紡くんってすごく詳しいんだね、汐鹿生のこと」
「ああ…。よく晴れた空の日には光の屈折とかで、汐鹿生の様子がうっすら透けて見えることがある。
波の間に白い屋根が光を反射して、波の音みたいに遠く、近く、歌声が響いてくる」

それはまるで夢の国を見たかのような口振りだった。
巴たちが当たり前のように生活するその場所は、紡にはどう頑張っても辿り着けない所。
たとえ潜ることができたとしても、立ち入ることは許されない神聖な場所のようで。
巴たちでも水の上から汐鹿生を見たことはなかった。
そんな風に見えるのかと、紡が話すのを聞いて、少しだけ自分たちが特別な場所にいるような感覚に陥った。

「俺は汐鹿生、いいと思ってる」

思わず皆で聞き入ってしまっていた。
陸の人との関わりがまだ少ないとはいえ、陸の人間がこんな風に汐鹿生のことを語ってくれるなどと思いもしなかった。
光も言葉を紡げずに紡の方を見ている。

「嬉しいね。シシオのこと、こんなに思ってくれる地上の人がいて」
「なっ…何がだよ!」

ちさきの言葉に照れたように言い返す光。
しかし、紡に熱い視線を送るまなかを視界に入れて言葉を失った。
まなかの瞳はキラキラと輝いて、そんな彼女を見たくなくて、光はそっと目を逸らした。

「あっ、海っ子たちはそろそろ帰らないとだね。
あとはやっとくー」

先生がそう切り出した。そういえば日も暮れかけている。
エナが乾いてしまっては作業どころではないので、
申し訳ないが、光たちは挨拶をして裏山を降りて行ってしまった。
そんな彼らの後ろ姿を見て、紡があることを先生に打診する。
それを先生も快く承諾するのだが、それは後でのお楽しみのようなものだった。

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