10 弓手町駅


 
 どこからか鳥のさえずりが聞こえる。

 以前は肌寒かった風も和らぎ、すっかり春めいてきた。
 迅と二人並んで椅子に座り、俺たちの他に誰もいないホームを眺めた。



 こちらの世界に来て一週間が経過したが、未だに帰れる気配がない。

 迅と林藤さんは、詳しくは教えてくれないのだが、時々本部に行っては夜遅くに帰ってきている。宇佐美ちゃんと玉狛のエンジニアのクローニンさんも、俺の持っていたスマホがどうにか起動しないかと色々調べてくれている。

 俺は手伝いたくても専門的な知識なんて無いし、こちらの世界のことも何も知らない。忙しそうな玉狛の人たちをただ眺めるしかなかった。
 少しでも皆の負担が軽くなればいいなと思い、掃除や食事当番、買い出しなど自分ができる範囲の事をしてきたつもりだが、実際助けになっているのかは分からない。



 今朝、迅に散歩に行こうかと誘われた。
 周りをよく見ている迅のことだ。あまり支部の外に出ていない俺を気遣ってくれたのだろうか。
 それだけのために出かけるのだとしたら申し訳ない。
 なんて返事をしようか考えあぐねいていたが、それを見透かしたかのように、彼は日課のついでだからと言って笑った。

 ここまで言われてしまっては断れない。




 どこに行こうか?なんて問われたが、俺が知っているところなんて、ボーダー本部と買い出しに行った市街地とスーパーくらいだ――そこまで考えたところで、一つ行き先を思いついた。
 迅に伝えると、予想していたのか、それとも『見えて』いたのか。いつもの飄々とした態度で了解と言った。




 一週間ぶりの弓手町駅は相変わらず寂れていた。迅に奢ってもらったお茶のペットボトルに口を付け、ふぅ、と一息つく。それを見た迅は、おっさんくさいな、なんて言いながら俺が奢ったコーヒーを口に含んだ。

 ここに来る途中、迅が自動販売機の前で立ち止まった。今日はそこそこ暖かいし、喉が渇いたのかな、なんて思っていたら、俺の目の前にペットボトルが差し出された。しかも、俺の世界にも存在した、好んでよく飲んでいた銘柄。
 俺が遠慮する前に、散歩に付き合ってくれたお礼だ、と言った。
 一体、彼はどこまで見えているのだろうか。

 俺は礼を言って受け取った後、ポケットから少々中身の寂しくなった財布を出して、ちゃりん、ちゃりんと自動販売機に小銭を入れていく。好みが分からないので、俺の行動に首を傾げる迅に「好きなのを選んで」と言うと、迅は数度瞬きをした。
 状況を理解した彼が遠慮する前に、俺はすかさず「散歩に誘ってくれたお礼だ」と伝える。これは予想していなかったのか、それとも『見えて』いなかったのか。迅は苦笑しながら礼を言い、素直にボタンを押した。




 俺たちしかいない静かなホームは、ここだけ世界から切り離されたかのようだ。
 二人並んで、しばらくぼーっと反対側のホームを眺める。
 普段は周りに他の人もいるため、この際だからとずっと疑問に思っていたことを聞くことにした。

「ねぇ、迅」
「ん?」
「あの時、見ず知らずの俺に声をかけて、玉狛に連れてきてくれたのはどうして?」

 迅は残り少なくなったコーヒーの缶をちゃぽちゃぽと揺らしながら、うーん、と唸った。

「……おれもよく分からないや」
「分からない?……なんとなくだったって事?」

 迅には珍しく、ひどく曖昧な答えだった。どう言う事だろうか思い再び尋ねてみたが、またうーん、と唸ってしまった。
 横に並んでいるのに、二人とも顔を合わせずに話す様子は少々不気味だが、幸い俺たちの他には誰もいない。

「そういう感じでも無くて……。はっきり言うと、あの時、夜坂がボーダー本部に保護される未来も、帰り方が分からなくて市内を彷徨う未来も……最悪、戦闘に巻き込まれる未来もあった」
「え」
「最初に夜坂を見かけた時、隊員でもなさそうなのに、本部のある警戒区域にまっすぐ向かうからしばらく様子を見てたんだ。その時に……詳しく言えないけど、色々な未来が見えてさ。思わず声をかけたんだよね」

 迅の口から出た事実に絶句する。

「その時に見えた未来の中で、一番良い結果になりそうだったのが、夜坂が玉狛で過ごす未来だった」

 うまく言えないけど、大体そんな感じ、という一言で迅の話が終わった。
 迅は言葉を濁していたが、最悪、俺はあそこで終わっていたのだろう。それでは元の世界に戻る戻れない以前の問題である。

「迅」
「ん?」
「ありがとな」

 数分ぶりに顔を合わせてそう言うと、初めて会った日のように、少し眉を下げて笑った。

 迅はコーヒーの残りを飲み干すと、そろそろお昼だから戻ろうか、と言って急に立ち上がった。話を逸らしたと感じたのは、少し考えすぎだろうか。
 深くは追求せず、俺も迅に倣って伸びをしながら立ち上がった。



四月二十二日 午前十一時半ごろ
弓手町駅にて




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