16 小南桐絵
ベッドに転がり、文庫本のページを捲っていく。
元の世界には存在しなかったのか、それとも俺が知らなかっただけなのかは不明だが、初めて目にする名前の作家だった。
林藤さんから「暇だったら資料室の本読んでもいいぞ」との許可をもらったため、時間がある時はこうして自室に持ち込んでいる。
あと数ページで完結しそうだというところで、廊下から騒がしい足音が近づいてきた。足音はちょうど俺の部屋の前で止まり、ノックが響く。
「時雨さん!ちょっといい!?」
返事をすると、何故か片手にカメラを持ち、そわそわした様子の小南ちゃんが部屋に入ってきた。
何事だと思いながら身体を起こしてベッドに腰掛ける。本はちゃんとしおりを挟んでからベッドサイドに置いた。
「どうしたの?何かあった?」
「時雨さんは河童見たことある?」
「……えっ?河童って、頭にお皿がある河童?」
「そう!その河童よ!」
河童。
聞き間違いだろうかと思ったが、やっぱり河童だった。
冗談なのではないかと疑うが、小南ちゃんは至って真剣な表情だ。理解が追いつかず沈黙が流れる。
「えっと、俺は見たことないけど……。どうして急に河童?」
「朝とりまるに聞いたのよ!そこの川に河童がいるみたいなの!」
「とりまる!また騙したわね!?」
やはりというか、とりまるくんの仕業だった。当の本人は小南ちゃんにぽかぽか叩かれながらも涼しい顔をしている。
この世界に来てまだ二ヶ月と少しなのだが、この光景を目にするのは何度目だろうか。
「こなみ、朝からずっと張り込んでたみたいですよ」
「朝からって……もしかして一日中外にいたの?」
ソファーに座り二人のやりとりを眺めていたら、俺の隣に腰を下ろした宇佐美ちゃんから衝撃的な一言が放たれた。朝から見かけないので今日は休みなのかなと思っていたら、まさかずっと外にいたとは。
「流石に時雨さんは今回のは引っかからなかったですね」
「……ちょっと信じかけて携帯で調べたよ。近界民がいるし、もしかしたらこっちの世界では河童も存在してるのかなって思って。まあ結局妖怪みたいだったけど」
「なるほど」
以前とりまるくんに雷神丸は犬ですよと言われた時も、こっちではこういう顔の大きい犬もいるのだろうかと納得しそうになった。まあ結局はカピバラだったのだが、陽太郎くんと小南ちゃんは未だに騙されたままのようだ。
余計なお世話かも知れないが、小南ちゃんが将来悪い人に騙されないか心配になった。
「――という訳で、とりまるを騙すための嘘を考えるわよ!」
毎回騙されてばかりでは悔しいようで、何故か分からないが俺の部屋で作戦を立てることになった。小南ちゃんはとりまるくんに一矢報いるべく意気込んでいる。
「時雨さんが玉狛第一に入るっていうのはどう?」
「それはすぐにばれると思うよ」
「それじゃあ、迅がぼんち揚げ嫌いになったっていうのは?」
「今日、迅が追加の箱を抱えてるのをとりまるくんと見ちゃったからな……」
気の緩んだ顔で段ボールを自室へと運ぶ迅を、昼間とりまるくんと一緒に目撃したのだ。迅はいつも箱単位で購入しているようで、以前お邪魔した彼の部屋はまるで倉庫のようだった。賞味期限までにちゃんと食べ切れるのだろうか。
その後も小南ちゃんはどんどん案を出していくが、どれもすぐにばれてしまいそうなものばかりだった。
「なかなか難しいわね……。時雨さんも何かない?」
「まず、とりまるくんが騙される様子が想像つかないし……」
というか、毎回騙されて悔しいという小南ちゃんの気持ちも分かるのだが、騙すためにわざわざ嘘を考えるというのも気が引ける。
「うーん、あっちの山でツチノコとか宇宙人とかが出たっていうのは?……っていってもとりまるくんは引っかからなそうだけど――」
「それいいわね!」
「え」
俺も特に案がある訳でもない。そういえば、とりまるくんは河童がどうとか言っていたよな、と思い出して適当な案を出したところ、見事に採用されてしまったようだ。
小南ちゃんはすぐに立ち上がると、止める間も無く、意気揚々ととりまるくんの元に去っていった。
流石にとりまるくんは騙されないだろうなと思いながら、俺はベッドサイドに置きっぱなしだった残り数ページの本に手を伸ばした。
数分後、慌ただしく戻ってきた小南ちゃんに「ツチノコは焼くと美味しいって本当!?」と質問された。