18 三輪秀次A


「……あーもう分かんねー」

 そう呟いた米屋くんは、ペンをテーブルに放り投げると教科書の上に突っ伏し、そのま動かなくなってしまった。声を掛けてみるが反応がない。

「おいコラ、教えてもらってんのに失礼だろ」

 出水くんは持っていた教科書、しかも背表紙で米屋くんの頭を小突いた。いい音がしたが大丈夫だろうか。
 米屋くんは頭をさすりつつ、むくりと上体を起こしてペンを握り直す。

「オネガイシマス……」
「……本当に大丈夫?」

 再びペンを握り課題に向かうも、心ここに有らずな米屋くんに、彼の正面に座る奈良坂くんは一瞥してため息をついた。

 
* * *


 俺は数週間に一度のペースで本部に呼び出され、開発室でトリオンという謎の数値を計測されている。
 そのため定期的に開発室を訪れなければならないのだが、そのおかげで俺の担当になっているらしい寺島さんと仲良くなることができた。

 今日は別の用事がある林藤さんも一緒に来ているのだが、俺の計測が終わる頃、『まだこっちは時間がかかりそうだから、どこかで暇を潰してくれ』と連絡が入った。
 常に忙しそうな開発室に居座るのも申し訳ない。若干道に迷いつつラウンジに訪れたところ、数人でボックス席に座っている米屋くんに呼び止められた、のだが、心なしか彼の顔色が良くなかった。
 
 近づくと、テーブルの上には数学の教科書や参考書、プリント類が散乱している。
 溜め込んだ夏休みの課題に追われているのだと、彼の隣で同じく教科書を広げる出水くんが教えてくれた。
 八月も半ばなのに未だに課題に手を付けていなかったことが隊長の耳に入り、終わるまで個人ランク戦とやらを禁止されたらしく、屍となっている……らしい。

 初対面の奈良坂くんと古寺くんに挨拶していると、米屋くんの計算ミスが偶然目に入った。指摘したところ、そのまま流れで勉強を教えることになったのだ。

* * *


「――それで、ここにさっき出た答えを入れたら……うん、正解」
「あ〜、終わった……」
「終わったと言ってもまだ一枚目だろう」

 あれから三十分、ようやく全ての回答欄を埋めることができた。大きく伸びをする米屋くんに、すかさず呆れ顔の奈良坂くんが突っ込む。奈良坂くんもとりまるくん並みにクールな子のようで、表現の変化があまり無いタイプみたいだ。
 奈良坂くんが差し出したクリアファイルには、そこそこの量の数学のプリントが挟み込まれていた。見たところどれもまだ手付かずである。

「これは……随分と溜めたね」
「こいつ、定期試験が悪かったから他のやつより課題が多いんです。このままだと太刀川さんみたいになるぞ」
「大丈夫だって」

 出水くんに咎められるも、米屋くんは呑気な口調で答えた。「たちかわさん」とは誰だろうと思っていると、古寺くんが出水先輩の隊の隊長ですと教えてくれた。凄く強い人のようなのだが、人の名前を何度も読み間違えたり、大学の単位が大変なことになっていたりと、なかなかに残念な面があるらしい。

「米屋先輩、早く次に取り掛からないと終わらなくなりますよ」

 そのまま出水くんと雑談を始めた米屋くんに、古寺くんがきっぱりと言い放った。米屋くんは口を尖らせつつもしぶしぶと次のプリントを取り出し始める。古寺くんは俺が来るまでの間、奈良坂くんと二人で米屋くんの勉強を見ていたという。この中で一番年下らしいのだが、随分としっかりした子である。


「夜坂さんの教え方って分かりやすいよな」

 うんうん唸る米屋くんのノートに図を書きながら説明していると、自分の課題をさっさと終わらせたらしい出水くんが感心したように呟いた。古寺くんも同意のようで軽く頷いた。

「そう?ありがとう。弟も勉強が苦手で、家でよく教えてたからかな」
「へー。夜坂さん弟いるんだ。どんな感じ?」
「いいから陽介は課題を終わらせろ」

 ペンを回しながら米屋くんも会話に入ってきた。奈良坂くんが課題をやれと促すが、米屋くんの集中力は切れてしまったようだ。

「どんな感じ……うーん、あんまり俺と似てないと思う」
「似てないって、外見?それとも性格?」

 首を傾げる米屋くんに、どっちも、と答える。
 『こちら』の人に家族のことを詳しく話すのは初めてだ、と考えたところでふと思った。玉狛以外の人に『こちら』にいない家族のことを話したら、林藤さん達と作った設定に矛盾やボロが出てしまう危険性があるのではないか。
 四人ともこちらを見て話の続きを待っているようで、この状況でいきなり話題を変えるのも不自然極まりない。やらかしてしまった。
 とりあえず『俺だけ玉狛にきた』ということにして話を進めて、後で林藤さんに謝ろう。

「……えっと、弟は明るくて友達の中心にいるタイプだね。俺が大人しいから、親にはよく正反対だって言われてた。弟は運動は得意だけど勉強は凄い苦手だったから、試験前はよく俺のところに来てたよ」

 古寺くんに「仲がいいんですね」と言われて、俺は思わず笑みがこぼれる。

「写真とかある?」
「写真は無いけど……ああ、見た目は三輪くんにすごく似てる」
「秀次に?」
「うん。初めて会った時は驚いた」

 米屋くんはへぇ、と声をもらすと、何故だか納得したような表情になる。
 その時、背後から声が降ってきた。

「……陽介、課題は終わったのか」
「げ」

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには先程まで話題に上がっていた人物が眉間に皺を寄せつつ立っていた。
 
「三輪先輩、会議お疲れ様です」
「ああ。……それで、夜坂さんは何故ここに?」
「えっと、ラウンジに来たらたまたま米屋くん達に会って……勉強を教えてたんだ」

 改めて三輪くんをみるが、やはり瓜二つだ。
表情や振る舞いは違うものの、ふとした瞬間にそこに弟がいるかのような感覚になる。
 三輪くんは机上の記入済みのプリントに目をやると、俺に向かって会釈した。

「あと一時間で任務になる。隊室に戻るぞ」
「りょーかい」
「太刀川さんも会議終わって戻ってるだろうし、おれも戻ろうかな。夜坂さん、今度俺にも勉強教えてください」
「うん、いいよ。またね」

 出水くんは勉強道具を鞄に詰め、ラウンジの出入り口へと向かった。
 さっさとプリントを仕舞い込んだ米屋くんや、同じ隊だと言う奈良坂くんと古寺くんも席を離れる。
 俺もそろそろ林藤さんから連絡が来るだろうと思いスマホを操作していると、三輪くんに名前を呼ばれた。
 顔を上げると、感情の読めない瞳が俺を映している。
 
「陽介がお世話になりました」
「ううん、大丈夫だよ」
「それと、一つ……俺は夜坂さんの弟ではありませんので」

 三輪くんは振り返りざまにそう言い残し去って行った。米屋くんが声を掛けるが気に留める素振りもない。

 弟と同じ顔をした人間から放たれた、俺を否定する言葉。

 そうだ。
 この世界に夜坂時雨は存在しないのだ。
 自分でも思っていた以上に、俺はこの世界に甘えていたらしい。



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