19 林藤陽太郎
「……よし、つぎはしぐれだぞ」
「うーん……じゃあ、ここかな」
「なんだと!?」
俺は盤上に手を伸ばし、黒い駒をつまんでは裏返していく。返す度にぱたぱたと鳴る音が心地よい。
陽太郎くんは一つずつ白に変わっていく駒にぐぬぬと唸った。
今日は任務や私用のため、珍しく全員出払っている。玉狛支部には俺と陽太郎くん(と雷神丸)だけが残されていた。
本日分の家事は既に終わり、さて次は何をしようかと考えていたところ、陽太郎くんがどこからかオセロの箱を引っ張り出してきた。
「うーむ、なかなかやるな……」
「ふふ、ありがとう」
眉間に皺を寄せつつ感心している陽太郎くんの姿に笑みがこぼれる。
もともとボードゲームは得意だ。とは言っても、一回り以上も歳の離れた子どもに本気でかかるのは大人気ないので、陽太郎くんにバレない程度に加減している。
真剣に盤上を見つめる陽太郎くんに心の中で声援を送っていると、ポケットのスマホが小さく震えた。画面を確認すれば、先日連絡先を交換したばかりである米屋くんの名前が並んでいた。どうしたのだろうか。
メッセージアプリを開くと、そこには先日の勉強の礼と、三輪くんの態度の謝罪が綴られていた。
別に俺は怒ってなどいないし、そのことについて米屋くんが謝る必要もない。むしろ、謝罪を述べるべきなのは俺の方だ。
迅をはじめ、この世界の人々は異質な存在である俺をあっさりと受け入れてくれた。最初は怖いと感じていた城戸さんだって、特に俺を拘束することもなく、玉狛で自由にさせてくれている。俺はこの世界に優しくされることに慣れてしまっていたのかもしれない。
思い返してみれば、俺はずっと三輪くんを目で追っていた。無意識的に、ここにいるはずのない弟に重ねていたのだ。彼はおそらく、俺の視線に意味が含まれていることに気がついていた。たまたま耳に入った俺と米屋くんの会話が引き金となったのだろう。
親しくもない人間から――まして三輪くんが嫌う玉狛の人間から、見ず知らずの人物に重ねられている。そんなの、彼にしてみればいい迷惑である。
画面に指を滑らせ、気にしていないということと、謝罪を織り交ぜて返信する。無事に送信したことを確認して画面から顔を上げると、陽太郎くんの視線が盤上から俺に移っていた。
「――あ、次俺の番だった?ごめん、今やるね……」
「しぐれ」
慌てて駒を手に取り盤上を眺めていると、静かに名前を呼ばれた。
「どうしたんだ?」
「……ううん、何でもない。大丈夫」
「おれには、しぐれがかなしそうにみえたぞ」
俺は駒を置こうとした手を止めた。
じっと見上げてくる瞳は、まるで全てを見透かしているようだ。「そんなことないよ」と続けるために口を開いたのに、否定の言葉は一つも出てこなかった。
「……俺さ、ちゃんと元の世界に帰れるのかなって。玉狛の皆は優しいし、別に今の生活が嫌だって思ってる訳じゃない。だけど、時々ものすごく不安になるんだよね」
こちらに来てから四ヶ月ほど経つが、原因も手がかりも未だ分からない。
子どもにこんな事を話すべきではない。けれど不思議なことに、一度口を開いたらするすると言葉が流れ出てしまう。
陽太郎くんは俺の話を黙って聞いたあと「そうか」と一つ、相槌を打った。
「しぐれもみんなも よくがんばっているんだ。いつかきっと うちへかえれるようになる」
「……ごめん、そうだよね」
「なにかあったら ちゃんというんだぞ」
胸を張る陽太郎くんに礼を言うと、「おれは先輩だからな」と言って笑った。
「しぐれ、おなかがすいたぞ」
「ん……もうすぐ三時になるから、おやつにしようか」
「……あれ?」
「む?どうかしたのか?」
「えっと……ちょっと待ってて」
いつもお菓子が収納されている戸棚を覗くが、目当てのものは見つからなかった。他の棚や冷蔵庫にも見当たらない。これは、もしかすると。
「……ごめんね。お菓子きれてるかもしれない」
「な、なんと」
「探したんだけど、どこにもなくて……」
「……いや、いいんだ。いちにちぐらいおやつぬきでも おれはたえられる」
陽太郎くんはふるふると首を振って答えるが見るからに落ち込んでおり、なんとも心苦しい。
俺は少し考えた後、再び収納と冷蔵庫を覗き込む。材料は全て揃っているようだ。
「陽太郎くん。一緒におやつ作らない?」
「――それじゃ、これをこぼれないようにゆっくり混ぜて」
「こ、こうか?」
「うん、バッチリ」
ボウルに入れた材料を陽太郎くんが混ぜている間、俺はフライパンの準備をする。
陽太郎くんはすっかり調子を取り戻したようで、泡立て器をしっかりと握りしめ、薄力粉と格闘している。元気になって良かった。
「しぐれ、これでいいのか?」
「大丈夫そう。ありがとう」
「うむ!」
陽太郎くんからボウルを受け取り、しっかりと温まったフライパンに生地を流し入れていく。表面に気泡が浮かんだら竹串を刺して様子を見つつ裏返す。
「……よし」
「おお!」
綺麗な焼き上がりに、陽太郎くんからも歓声が上がる。しっかりと火が通ったことを確認してからお皿に移し、残りの生地もどんどん焼いていく。
「……こんなもんかな」
そこそこ大きめのお皿に積み上げられたホットケーキたち。なかなかの達成感だ。
少々作りすぎた気もするが、保存しておけば誰かが食べてくれるだろう。
陽太郎くんのお皿に何枚か盛り付ける。若干不恰好なものもあるが、上にバターをのせて蜂蜜をかけたらそこそこ様になった。
「できたよ」
「すごいぞしぐれ!」
いそいそと席についた陽太郎くんの前にお皿を出すと、途端に笑顔になった。気に入ってもらえたようだ。
食べ始めた陽太郎くんを見守りつつ紅茶を淹れていると、リビングのドアが音を立てた。
「お、なんだかいい匂いがする」
「おかえり、迅。任務は終わったの?」
「いや、まだまだ。こっちに用事があったから一度戻ってきたんだ」
迅は口を尖らせて、「実力派エリートは忙しいんだよ」と冗談混じりにぼやいた。未来が見えるという特殊な力を持っている上に、緑川くんの話によると戦闘もかなり強いようなので、実際任務も多く忙しいのだろう。
「そっか、お疲れ様。迅も良かったらどうかなって思ったんだけど……今は忙しいか」
「時間は大丈夫だけど……あ、パンケーキ?おれも貰っていいの?」
「そんなお洒落なものじゃないけどね。作りすぎたからむしろ食べて欲しい。準備するから待ってて」
詳しくは知らないが、ホットケーキよりもパンケーキの方がなんとなくお洒落な気がする。そんなどうでもいいことを考えながらもう一人分のお皿と紅茶を用意し、陽太郎くんの隣に座った迅の前に並べる。
「……うん、美味い」
「おれもいっしょにつくったんだぞ!」
「そうか、偉いな。レシピはどうしたの?レイジさん仕込み?」
「ううん、俺がもともと覚えてたやつ。時々家で作ってたんだ。ちゃんと作り方覚えてて良かったよ」
弟がまだ小さい頃、両親が仕事で家にいない日に作っていたのだ。作り方が単純なので、料理が苦手な俺が唯一作ることができる品だった。そう伝えたら、迅は「そっか」と呟いた後、じっと俺を見つめた。
「夜坂……いや、やっぱり何でもない」
「ん?」
「ごちそうさま。美味かったよ」
先程の間は何だったのだろうか。迅は一気に紅茶を飲み干し立ち上がったため、聞くに聞けなくなってしまった。
「それじゃ、おれは本部に戻るよ。夕飯までには帰ると思う」
「分かった。……あれ、玉狛での用事は?」
「ん?ああ、終わったから大丈夫」
迅はいつもの調子でひらひらと手を振ると、ドアの向こうへと消えていった。
何故だか、少し胸がざわついた。