22 夜坂時雨
夜坂を乗せて去っていった電車は、陽炎のように揺らいで消えていった。
ここ数日、サイドエフェクトで何度も繰り返し見た光景だ。実際に目の当たりにすると映画のワンシーンのようで、幻想的で現実味がない。おれの隣で静かに事の顛末を見守っていたボスも、きっと同じようなことを思っているだろう。
『――そちらの様子はどうだ』
ノイズが走り本部からの通信が入った。通信機越しに城戸さんに現状の報告をしていく。
「ちょうど目視で消失を確認しました。鬼怒田さん達の方は?」
『モニター越しでも対象の消失が確認できたところだ。……門やトリガーの反応も感知されとらん』
『それとほぼ同時刻にGPSの反応も無くなったよ』
開発室でモニタリングを担当していた鬼怒田さんと寺島さんが揃って答える。
本人には知らせていなかったが、本部から支給されたスマホにより、夜坂の居場所と一部の情報は常に本部に記録されていた。
プライバシー的にはあまり良いとは言えない。しかし『鳩原未来』の件もあり、本部から危険視されている夜坂時雨の行動を、常に監視できる状態に整えておく事が必要であった。そのため警戒されずに肌身離さず持ち運べる形であり、かつ、もしもの時に連絡が取れないのは不便だろうということで、開発室によって細工されたスマホが渡された。
記録された情報は万が一何かしらの事件が起こった際に、もし夜坂が関与していた場合には本部が玉狛に突きつける証拠となり、夜坂が無罪だった場合にはおれ達が夜坂を守るための証拠となるのだ。
この条件のもと、おれ達玉狛で夜坂を正式に保護することが許可された。
「迅、俺は本部に戻るがおまえはどうする?一緒に乗っていくか?」
「うーん……おれはいいや、後から向かうよ。会議の時間までには間に合わせる」
「……そうか。遅れるなよ」
「了解」
本部との通信を切り、車に向かったボスを見送る。ボスの姿が見えなくなってからおれはすっと目を閉じ、ここ数日張り詰め通しだった神経をほぐすように、深く深く息を吐いた。
とりあえずここまでは順調だ。サイドエフェクトで見えた通りの流れである。
もう夜坂の未来を見ることができない。なので彼が今どういう状況なのかはおれにも分からないし、それを確認する術もない。無事に着いていると良いのだが。
街の様子を確認しつつ本部に向かおうと、おれは弓手町駅を後にした。
『夜坂時雨』はある日突然やってきた。
おれはあの日、いつものように未来を見ながら街をぶらついていた。警戒区域付近まで足を伸ばしたのもただの気まぐれ。偶然である。
近くの建物の屋上から街を眺め、いつもと変わらない風景に安堵して支部に戻ろうとしたところ、人影がちらりと目に入った。
後ろ姿しか分からないが、背格好からおれとそう歳の変わらない青年だと判断する。しばらく様子を見ていたが、青年は真っ直ぐに警戒区域に向かっているようだった。
サイドエフェクトを使って見た未来の中に、そいつが警戒区域の中に入っていくものがあった。更にタイミング悪く、近界民との戦闘に巻き込まれるというおまけ付きである。
どうやらボーダー隊員ではなさそうだ。悪戯目的か、それとも警戒区域内の自宅に用があるのか。なんにせよ、警戒区域に入るそぶりを見せるのならばボーダー隊員として引き留めなければならない。
おれは気が付かれないよう気配を消して後をつけた。
「そこから先は入っちゃ駄目だぞ」
「うわ!?」
そいつが有刺鉄線に手を伸ばしたため声をかけたところ、驚いた様子でこちらを振り返った。人がいるとは思わなかったのか、絵に描いたように目を丸くしていた。
「悪い悪い、驚かせたな。こんなところで何やってんの?」
「あー、えっと、あっちの建物の方に行こうと思って……。でもこれじゃ駄目そうなので諦めます」
その様子から悪いやつでは無さそうだと踏んで理由を尋ねてみるが、返された答えは大人しそうな顔からは想像もつかない突拍子もないものだった。
彼が「あっちの建物」と言いながら指差すのはボーダー本部だ。一般人ならまず近付こうとも思わない場所である。
「もしかして、あそこが何だか知らない?」
「はい……と言うか、この辺りのことは何も分からないです」
「……ここら一帯が警戒区域だっていうのは?」
「きんかいみん、の警戒区域っていうやつですよね。ここの看板に書いてある……」
青年は立ち入り禁止の看板を見ながらそう答えた。ボーダー本部や警戒区域の存在も知らないようだ。さらに彼が慣れない様子で言う『きんかいみん』とは、十中八九、近界民のことだろう。冗談だろうかと思ったが、彼の表情は真面目である。
頭では理解しきれなかったため、青年の未来を覗いてみる。
内装的に本部内の部屋だろうか。薄暗いそこに設置された簡易ベッドの上で、彼が一人膝を抱えている未来。
次に見えたのは、見慣れた玉狛支部のリビングで陽太郎や小南をはじめとする隊員達に囲まれながら、穏やかな表情で過ごしている未来。
対極な光景の意味を考えた結果、おれの中で一つの仮説がたった。
「おれは迅悠一。おまえは?」
「……夜坂時雨、です」
「夜坂ね。ここだと危ないから移動しながら話そうか」
こうして、異世界からやってきた夜坂時雨は玉狛支部で保護されることになったのだ。