28 ボーダー本部D
今日は本部での検査日である。俺は開発室の丸椅子に座り、結果の確認が終わるのを待っていた。
ぺらり、ぺらりと紙をめくる音を聴きながら、職員が忙しそうに行き交う室内をぼーっと眺めていると、トン、と軽い音が響いた。
視線を向けると寺島さんが机上の書類をまとめていたため、俺は慌てて居住まいを正す。
「――うん、しばらく様子を見てみたけど大丈夫だね。頻繁に換装するようになってからのトリオン値も安定してるし、身体への影響も無さそう。問題なく隊員として活動できるよ」
「良かった……。ありがとうございます」
「これからは検査の回数も減らそうか」
入隊するにあたり、別の世界から来た俺がこちらの世界のトリガー技術に適応できるかどうかを開発室で調べてもらっていた。
何事もない結果にほっと一息吐くと、大きなため息が聞こえてくる。
「まったく、余計な仕事を増やしおって」
「すみません……」
いつの間にか俺の隣にやって来た鬼怒田さんが書類を手に取り、眉根を寄せながらぼやいていた。常に忙しそうな開発室からすれば俺一人の検査に割く時間も惜しいだろう。
「入隊したからにはさっさと正隊員になるように」
一気に捲し立てた鬼怒田さんは俺の返事も聞かず、急ぎ足でそのまま何処かへと行ってしまった。
「あんなこと言ってるけど、本当は心配してるんだと思うよ」
あっという間に小さくなった背中を見つめていると、寺島さんが書類をファイルに綴じながら言葉をこぼした。
「心配、ですか?」
「うん。この検査だって、もとはと言えば鬼怒田さんの発案だし」
俺が顔を上げると寺島さんは視線を逸らし、「あまり余計なことを言うと怒られそうだ」と言って黙ってしまった。
もしかしたら、鬼怒田さんなりに俺のことを気にかけてくれているのかもしれない。なんだか少し温かい気持ちになった。
「まあ、夜坂は真面目だし、木崎の弟子だから昇格については問題ないと思うけど」
寺島さんはデスク上の袋から飴玉の包みを数個掴み、俺の手のひらにぽいぽいっと乗せる。きっとこの飴は寺島さんなりの応援なのだ。そう思うと、何の変哲もない市販の飴が特別なものに思えた。
俺はカラフルな包みをそっと握り、忙しない開発室を後にした。
「……ここ、何処だ?」
軽い足取りで開発室を出た俺は狙撃手の訓練室を目指していた――はずなのだが、どういう訳だか一向に辿り着かない。
開発室から訓練室へのルートは知らないが、本部には何度も来たことがあるから大丈夫だろう、と高を括っていたのが悪かった。いつもは迅や林藤さんなど、本部の構造を熟知している人と一緒だから迷わなかったのだ。
どれだけ歩いても目の前は変わらず白い廊下。引き返すにしろ同じ道を辿れる自信が無い。知らない場所は無闇やたらと歩くものじゃないな。
「ねぇ」
「うわ!……って、あ!」
どこかに案内板でもあれば、などと呑気に考えていると背後から声を掛けられた。
まさか誰かに話しかけられるとは思っていなかったため油断していた。もしかして怒られるのだろうかとびくびく振り返ると、あの時の男の子があの時と同じ仏頂面で俺を眺めている。
「うわ、また迷ってるんだ」
「迷ってます……」
知っている顔に安堵しつつ、情けなさから思わず敬語で答えると、男の子はポケットに両手を突っ込んであの時と同じようにため息をついた。
「今度は何処に行こうとしてたの?」
「狙撃手の訓練室だよ。どこにあるか知ってる?」
「……思いっきり逆方向なんだけど。この先は隊室があるフロアしか無いよ」
「え」
「もしかして方向音痴?」
呆れた顔で言う彼に返す言葉もない。元の世界にいた時にはこんなに道に迷うことはなかったはずなのに。
「で、どうして狙撃手の訓練室に――」
「菊地原、急に出て行ったと思ったらここにいたのか」
「……げ」
彼が何か言いかけた時、廊下の角から男の子が二人やってきた。目つきの鋭い黒髪の子と、その後ろを歩く、俺とそう背丈の変わらない子。
口ぶりから察するに二人は目の前の男の子と知り合いのようだが、彼は何故か面倒臭そうな顔である。
「ああ、夜坂さんがいらっしゃったんですね」
「……ん?俺のこと知ってるの?」
俺に気がついた背の高い方の子が人当たりの良い笑みを浮かべる。初対面のはずなのにどうして俺の名前を知っているのだろうか。頭上に疑問符をぐるぐる並べていると、黒髪の子が俺の前に出た。
「俺は風間だ。
なにやら含みのある言い方に引っ掛かったが、きっと俺が首を突っ込まない方がいいことなのだろう。ボーダーの人……というか主に迅と過ごすにつれて分かるようになってきた。
なるほど、同じ隊だったのかと理解したところでハッとした。
「そうだ名前!えっと、菊地原くんって言うの?」
「……なに、ぼくの名前知らなかったの」
「ご、ごめんね」
いつか聞こうと思っていたが、この広い本部で特定の隊員と遭遇する確率は極めて低い。結局、今の今まで機会が無かったのだ。
不機嫌そうな顔で答える菊地原くんに、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
「……いいよ、別に。ぼくも名前言ってなかったし」
菊地原くんはまた一つ息を吐いてからそう答えた。
「それより、狙撃手の訓練室に行くんじゃなかったの?」
「あ、そういえばそうだった」
話を切り替えた菊地原くんのおかげで当初の目的を思い出した。
三人に尋ねれば分かるだろうかと考えていると、歌川くんが「狙撃手の訓練室?」と首を傾げている。
「うん。本部に来たから練習して帰ろうと思って」
「ということは、ボーダーに入隊したんですね」
俺が隊員であることは知らなかったのだろう。歌川くんは納得した表情になり、菊地原くんは少しだけ目を開いた。
風間くんだけは特に反応を見せず、黙って俺たちの会話を聞いている。物静かでなんだか大人っぽい子だな。
「どうして急に入隊したわけ?」
「えっと、色々あって……」
聞かれるだろうとは思っていたが、やはり菊地原くんに質問されて言葉に詰まった。
菊地原くんは俺の事情を知っている筈なのだが、他の二人……風間くんと歌川くんがどうなのかが分からない。
『色々』の部分をどう濁そうか。一人焦っていると、菊地原くんが「ああ」と口を開いた。
「そのことならうちの隊はみんな知ってるから」
『そのこと』についての言及はしなかったが、菊地原くんの言葉で状況を把握した俺は三人に入隊の経緯を説明した。
「それに、任務に参加すればお給料も貰えるみたいだしね」
「給料?お金が必要なの?」
「必要というか……生活費くらいは自分でどうにかしたいなと思って」
事情も事情なのだが、あと一、二年で成人だというやつがただ居座っているのもちょっと肩身が狭い。
さらに、こっちの世界では俺の戸籍や身分証が存在しないためバイトをするのが少々厳しいのだ。
俺の経緯を把握しているボーダーであれば、帰り方を調べながらお金を稼げるため一石二鳥だろうという算段である。
「でも結局、B級に上がれなければ本部行きなんでしょ」
「こら菊地原」
歌川くんが菊地原くんを注意するが、まあ彼の言う通りなのである。
「そうだね……でも、いろんな人に応援してもらってるから絶対にB級にならなくちゃ……って、おっと」
周りの人に迷惑をかけているからこそ、何がなんでも達成しなくてはならない。俺の話を聞いていた菊地原くんは「ふぅん」と気の抜けた返事をすると俺の腕を引いて歩き出した。
「風間さん、この人を訓練室まで連れて行ってから向かいます」
「ああ」
隊長である風間くんが頷いたのを確認し、菊地原くんはぐいぐいと俺の腕を掴んで廊下を進んでいく。
「あ、ありがとう」
「あのままだと任務に遅れそうだったからだよ」
戸惑いつつ礼を言えば、菊地原くんはぶうぶうと文句を言う。
「周りの協力が無駄にならないようにしなよ」
ぽつりと呟かれた言葉に俺は最初きょとんとしたが、菊池原くんなりの励ましの言葉なのだろうか、と考えたら思わず笑みが溢れた。
「……なんで笑ってるの、気持ち悪いんだけど」
「ふふ、ごめんね」
「どうでもいいけど、任務に遅れて風間さんに怒られたら夜坂さんのせいだからね」
――その夜、タブレットのデータベースで風間隊のプロフィール欄を見た俺は、心の中で風間