30 太刀川隊


 静かな日曜の朝。朝食の片付けもひと段落し、陽太郎くんとソファに座ってぼけっとテレビを眺めていると突然ポケットが震え出した。

「む、しぐれ、でんわだぞ」
「ん?あ、ほんとだ」
 
 俺に電話をしてくるのは玉狛の人か寺島さんくらいだ。慌ててポケットをまさぐり画面を見ると珍しい人の名前が表示されている。

「出水くん?」

 出水くんとは殆どメッセージアプリでやりとりするため、電話で話す機会があまりない。

『……あー!良かった、繋がった!もしもし夜坂さん!?』
「夜坂だけど……大丈夫?」

 受話器マークをタップした途端、焦った様子で捲し立てる声が突き刺さり耳がキンとした。隣で雑誌を読んでいた小南ちゃんにも聴こえたようで、目を白黒させてこちらを見ている。
 カチカチとボタンを押して音量を下げていると、間をあけずに必死な出水くんの声が聞こえてきた。
 
『今日の予定って空いてますか!?』
「え?う、うん。空いてるけど……」
『ほんっとにすみません!勉強教えてもらっても良いですか?』

* * *


「えっと……あ、ここの角か」

 出水くんに送ってもらった地図の画像をスマホに表示させながら本部の廊下を進んでいく。
 出水くん作の、ルーズリーフに書き殴られた即席の地図だ。急いでこしらえたのだろう、お世辞にも見やすいとは言えなかったが、俺にとっては心強いアイテムである。

 しかし、何があったのだろうか。あんなに慌てた出水くんは見たことがない。
 それよりも気になるのは、玉狛を出る間際、同情を含むであろう微笑みを浮かべた迅に「頑張ってね」と肩を叩かれたことである。あんなにしょっぱい顔の迅は初めて見た。一体どんな未来が見えたのだろうか。
 
 しばらく歩いていくと、地図に赤ペンで星印が描かれた部屋の前に辿り着いた。
 各部屋の前に電子ロックのような機械が設置されているが、どれがインターフォンなのか分からない。
 とりあえず出水くんに連絡を入れておけばいいか、とメッセージを送信した数秒後、ばたばたと忙しない音とともに扉が開いた。

「夜坂さん!」
「こ、こんにちは」

 飛び出した出水くんに気圧され、思わず後ずさる。心なしか疲れているようだ。

「日曜なのにわざわざすみません……。とりあえず入ってもらっていいですか?」
「別に大丈夫だよ。お邪魔しま……おおう」

 申し訳なさそうに言う出水くんに首を横に振る。
 どうぞ、と促され一歩足を踏み入れると、視界に飛び込んだのは鮮やかな色の蟹の形をした時計。脱ぎ散らかした衣服。散乱したお菓子の袋。ローテーブルにうずたかく積まれた本。そして、そこに死んだように突っ伏す男女――。
 混沌とした空間に思わす声が漏れた。
 何となくだが事情を察した俺は、後ろで溜め息を吐く出水くんに苦笑した。

「……とりあえず、少し片付けよっか」



 皆で掃除をして、生活感あふれる空間から落ち着いて机に向かえるスペースを確保できた。俺が教科書を開きながら解き方を教え、隣の魂が抜けかけた国近ちゃんが問題集の穴を埋めていく。
 向かいのソファでは出水くんが自分の勉強をしながら太刀川さんに喝を入れている。

 出水くんや国近ちゃんが通う高校では近々試験が行われるのだが、そこで赤点を取ると追試が待ち構えている。そして、その追試の日程がボーダーの遠征と被るのだそうだ。
 国近ちゃんはこれまで友達に教えてもらい赤点を逃れてきたが、今回は高校三年生も半ば、受験生である。それぞれの勉強で手一杯だったり任務があったりと勉強を教えてくれる人が見つからなかった。
 これは本格的にまずいと思った出水くんにより、俺が候補に上がったようだ。

 太刀川さんは太刀川さんで大学のレポートを溜め込んでいることが発覚した。これ以上成績を落とさないようにと口酸っぱく言われているため、今回のレポートは何が何でも提出しなければ後が無いらしい。
 皆が憧れるA級1位部隊のまさかの内部事情を知ってしまった。

「夜坂さん、そろそろ休憩しようよ〜」

 ぐでん、として集中力が切れてきた国近ちゃんが覇気のない声で提案してきた。ちらりと時計を見れば既に一時間が経過している。根を詰めすぎるのも逆効果だろう。

「そうだね。少し休んだら続きを――」
「やったー!」

 余程限界だったのだろう、俺の言葉を最後まで待たず、国近ちゃんはすぐさまソファの背もたれに体重を預けた。
 その間、俺は教科書を手に取り、パラパラとページを送って内容を確認する。
 以前赤点の危機から救ってくれたという友達が、今回出題されそうな箇所をチェックしてくれたらしい。こういう試験は学校や教師によって出題傾向が偏るものだ。同じクラスの子による予想はとても参考になる。
 範囲が広いため、まずは得点に直結しそうな箇所の解き方を説明していく。

「夜坂さん、もっとビシバシやっちゃってください」
「え〜、ひどーい。夜坂さんはそんなことしないもん」

 厳しく出水くんが言えば、ソファでだらりと溶けていた国近ちゃんがすかさず顔を上げて文句をこぼした。
 勉強が苦手だと言うが、流石はA級1位部隊のオペレーターである。勘が鋭いのか、要領が良いのか、理解できるまできちんと説明すれば何とかなりそうだ。

「夜坂、ここはこっちのページの文から引用すればいいのか?」
「え!?えーと……?」
「太刀川さんはもう少し年上のプライドを持ってください」

 ノートパソコンと睨めっこしていた太刀川さんにちょいちょいと肩を突かれ、何やら小難しい用語が並ぶ資料を渡される。
 悲しいかな、俺の大学生活は一ヶ月にも満たなかったため、レポートを作成する機会なんて無かったのだ。
 一応資料に目を通してみるがやはり力になれそうにない。そう伝えると太刀川さんは目に見えて落ち込み、国近ちゃんと同様にソファに沈んでしまった。

 年上、しかもA級1位部隊の隊長だ、と最初は緊張していたが、彼の纏うゆるい空気も相まって案外話しやすかった。
 隊室にお邪魔して目が合った時の第一声が「お前、強いの?」である。例によって太刀川さんの視線が服の玉狛のロゴに向いていた。米屋くんといい緑川くんといい、攻撃手は強者を求めてしまうのが性なのだろう。
 
 すっかりだらだらモードに突入した二人に、出水くんは深い溜め息をついた。

* * *


 何度か休憩を挟みつつ机に向かうこと数時間、とりあえず目標の範囲まで終わらせることができた。まだ少し不安もあるが、後は国近ちゃんの頑張り次第である。
 太刀川さんもレポートをほぼ完成させ、後は大学の先輩に聞きながらまとめるらしい。
 燃え尽きた二人は生ける屍と化し、来た時と同じようにローテーブルに突っ伏してしまった。

 本部の出口まで送ってくれるという出水くんの隣に並んで人気のない廊下を歩いていく。
 窓の外を眺めれば日も傾いており、見下ろす街を赤く染めていた。

「今日は本っ当にありがとうございました。後でお礼します」
「俺、勉強教えるの結構好きだし、助けになれたようで良かったよ」
「前に弟に勉強教えてたって言ってましたもんね。俺のまで見てもらって、めちゃくちゃ助かりました」

 他愛ない会話をしながら廊下を進んでいくと、出水くんが何か思い出したかのように「そうだ」と口を開いた。

「夜坂さん、ボーダー入隊したんですね。おめでとうございます」
「ありがとう。まだまだひよっこだけどね」
「そうなんですか?奈良坂や佐鳥は結構いい線いってるって言ってましたよ」
「本当に?……なんだか照れるなぁ」

 自分より実力のある人に言われると素直に嬉しい。照れ臭さを笑って誤魔化すと出水くんも微笑み、静かな廊下にはしばらく踵を鳴らす音だけが響いた。

 もうすぐで出口だというところで、出水くんの口からあー、と歯切れの悪い声が漏れた。
 どうしたのだろう、と足を止めて出水くんの顔を見る。ぱち、と視線が合ったが、すぐさま逸らされてしまった。そしてしばらく宙を泳いだ後、再び交差する。

「……あの、三輪のことなんですけど」
「三輪くん?」
「あれから三輪と話とかしましたか?」
「……してないよ。あまり会う機会も無いしね」

 あれから、というのはラウンジでの一件のことだろう。
 玉狛所属の俺は狙撃手訓練の時くらいしか本部を訪れる機会が無い。ポジションもランクも違うため、広い本部で彼と会う機会はほぼ無いのだ。

「そうですか……。すみません、変なこと聞いて」

 わざわざ俺から会いに行くのも嫌な顔をされるだろう。いつか会ったら謝罪しようと思っていたが、あれから結局会わずじまいだった。
 あの場にいた出水くんは少なからず責任を感じているのかもしれない。米屋くんだって次の日にメールを送ってきてくれた。
 年下に気を遣わせてしまっていることに何だか情けなくなる。これは俺がどうにかしなければならない問題なのだ。
 弟と同じ顔で再び否定されてしまうことを恐れて、心のどこかで逃げていた。でも、もしこの関係のまま元の世界に帰ったとしたら、弟の顔を見るたびに彼のことを思い出して申し訳なくなるのだろう。
 近いうちに直接話をしよう、と俺は腹を括った。



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