31 弓手町駅B


 首元を吹き抜けていく風は冷たく、思わず首をすくめてぶるりと震える
 落ち葉がからからと地面を転がっていくのを横目に、固い椅子に腰を下ろして空高く流れる雲をぼんやり眺めた。


* * *


 
「夜坂、たまにはのんびり散歩でもしてきたら?」

 玉狛の訓練室に向かう俺の前に、ひょいと現れた迅が話しかけてきた。
 捕捉&掩蔽訓練での成績はいまいち奮わないものの、少しずつではあるが着実に順位が上がっている。が、刻一刻と迫る期日に焦燥し、ここ最近は訓練室の住人となっていた。
 今日も今日とて訓練室に向かうはずだったのだが、どうしてか迅が待ったをかけた。

 訓練室に引き篭もっている俺を心配してくれているのだろうか。気持ちは嬉しいが今は少しでも練習をしたい。これが他の人だった場合、申し訳ないがそう言って断っていたかもしれない。
 しかし、相手が迅である。俺よりも少し高い位置にある空色の瞳をじっと見つめてみたものの、人当たりの良い笑みを浮かべる迅の本心はよく分からなかった。
 迅は意味の無いことはしないのだ。俺はぐいぐいと背を押す手に身を任せることにした。

「外に出たら夜坂の思ったように行動してごらん。きっと良いことがあるよ」

 そういえばスマホは持っていたっけ。そんな事を考えながら靴紐を結び直していると、頭上から声が降ってきた。

「なんだそれ。お告げ?」
「似たようなものかな」

 冗談めいた口ぶりに思わず笑うと、迅も口角を上げて適当なことを言った。まあ、迅の事だから根っからの冗談ではないのだろうけれど。
 それから迅は、はい、と俺のスマホを差し出してきた。本当に抜け目が無いなと感心する。


* * *



 川沿いを歩きながら久々の外の空気で肺を満たす。少しだけ冷たくなった空気に、季節がまた一つ巡ってしまったことを実感した。
 そういえば、こちらに来てからもう半年近く経つのか。辺りを見渡しながらぼんやり歩く。

 河川敷で遊ぶ近所の子どもたち。決まった塀の上で決まった時間に微睡む野良猫。買い物に行くとおまけをしてくれるお店に、陽太郎くんとよく遊びに行く公園——。
 思っている以上に自分はこの街に溶け込んでいた。思っていた以上に、この街の居心地が良かったのだ。
 店先で掃除をするおばちゃんに会釈を返したところで、俺ははっとして苦笑する。どれだけ居心地が良くても、ここは俺の居るべき世界ではないのだ。
 胸いっぱい空気を吸い込むと、鼻の奥が少しツンとした。今日は一段と風が冷たい。


* * *



 小一時間ほど経っただろうか。ぼけっと空を見上げるのも飽きたし、何だか首の後ろが痛くなってきた。
 上手く働かない頭で考えてみたけれど、迅に散歩を勧められた理由がちっとも分からない。
 何かある時はいつも此処だ、というふわふわした理由で弓手町駅にやってきたのだが、特に何かが起こる様子もない。いや、俺一人の時に何か起こられても対処できなくて困るのだが。

 ふと思った。そうだ、何か引っ掛かると思ったら今日は迅が居ないのだ。
 此処に来る時はいつも隣に迅が居るからか、何だか違和感がある。
 何故今日は俺一人なのかと疑問に思いつつも、まあ迅が来ないということは、そこまで深刻な事が起こるという訳では無いのだろう、と勝手に結論付けた。

 こきこき首を鳴らし、寒さで縮こまった身体をぐっと伸ばして立ち上がる。いくら日の当たる場所とは言え、吹きさらしのホームは寒い。
 少し身体を動かそうと周囲を歩き回ってみる。今にも剥がれ落ちそうなポスターが風に吹かれてひらひらと踊っている。壁にかけられた時計の針は全く動かない。地域の催し物を知らせる張り紙も、日付はとうの昔に過ぎている。
 きっと此処は、あの日から時間が止まったままなのだ。
 近界民侵攻以前は、この弓手町駅も生活の基盤として立派に努めを果たしていたはずだ。今では行き交う人々の姿もなく、ただただ荒廃していくのを待っているのだろう。
 かつての賑わいや面影が消え失せた街を見たら、人々は何を思うのだろうか。
 もし俺の世界で同じ事が起こったとしたら——そこまで考えて、首を横に振った。

 ホームの端まで歩けば当然行き止まりだ。
 廃線だし、まず電車は来ないだろう。深く考えずによいしょと線路に降り立ってみる。
 顔を上げれば果てしなく続く線路。このまま歩いて元の世界に帰る事ができたなら……。

 何の気なしに一歩足を踏み出そうとしたその時、カチャリと乾いた音が響いた。
 
「此処で何をしている」

 まさか自分以外に人が居るとは思わず、びくりと肩が跳ねる。
 恐る恐る振り返れば、知った顔が眉間に皺を寄せながら銃手用トリガーの銃口を向けていた。

「三輪く——」
「動くな。俺の質問に答えろ」

 そちらに身体を向けようとしたが、ぴしゃりと遮られた。完全に怪しまれている。
 まあ、真っ昼間からこんな所に人がいたら、ボーダー隊員として怪しむのが道理だ。

 牽制のためだとは思うが、こちらは生身だ。
 生憎トリガーは玉狛の訓練室の机の上であり、それ以前にC級は訓練以外でのトリガーの使用が禁じられていたはずだ。
 どちらにしろ俺には抵抗する手段が無いし、抵抗したところで損するのは俺の方だろう。大人しく元の格好に戻ると、三輪くんはより一層眉を寄せた。

「此処は警戒区域に近く、現在閉鎖されている。何をしていた。お前は何者だ」

 線路上の俺は、必然的にホームにいる三輪くんを見上げることになる。
 ギラリという音が似合う鋭い瞳で問い詰められ、俺は思わずごくりと喉を鳴らした。気分は蛇に睨まれた蛙である。

『外に出たら夜坂の思ったように行動してごらん。きっと良いことがあるよ』

 玉狛を出る前の迅の言葉が頭をよぎる。
 そうだ、三輪くんにはちゃんと話そうと決めたじゃないか。
 ここまで条件が整っている今、決心が揺らぐことは無い。
 一呼吸置いてゆっくりと口を開いた。
 

「俺、違う世界から来たんだ」


* * *



 場所を移して再びホームの上。
 椅子に座る俺はじっと目の前に立つ三輪くんと向かい合う。せめてもの『抵抗する気はありません』の意思表示として、両手は膝に置いて武器を所持していないことをアピールする。
 銃口の先は未だに俺の額だし、三輪くんに見下ろされている状況は変わらないのだが、視線の高さが近付いた分、先ほどよりも威圧感は幾分かマシだ。

「それで、どういう事ですか」
「えっとね、話すと凄い長くなるんだけど……」

 どう説明しようか。いざ話すとなると上手くまとまらず、言葉を探しながら説明していく。
 あまり分かりやすいとは思えない説明になってしまったが、三輪くんは眉間に皺を刻んだまま、俺の話を聞いていた。

「……という訳で、俺は違う世界——平行世界って言うのかな。ともかく、近界民侵攻の無かった世界から来たみたい」
「……そんな話、ある訳ないだろう」
「俺も最初はそう思ったよ。けれど、探しても探してもこの世界には俺の存在した形跡が無いんだ」

 こんな突拍子もない話、そう簡単に信じて貰える訳無い。ましてや近界民と親交の深い玉狛に身を置いているのだ、近界民だと疑われても仕方がない。
 もし立場が逆だとしたら俺もほいほいと信用することは出来ないと思う。より一層目つきが鋭くなった三輪くんに苦笑することしかできなかった。

「あ、そうだ。城戸さんに確認をとるのはどうかな。俺の言葉より信頼できると思うよ」
「司令に……?」
「うん。本部の上層部の人達と、一部の隊員もこの事を知ってるんだ」

 どこかに通信しているのだろう、三輪くんはヘッドホンに手を添えて黙り込んだ。
 しばらくの沈黙の後、ようやく銃がおろされてほっと息を吐く。三輪くんは納得しきれていないようで、変わらず複雑な表情だ。

「それでね、俺、三輪くんに謝りたい事があるんだ」

 話すなら今しかない。二人しかこの場にいないので絶好の機会だ、と俺は切り出した。

「前、三輪くんが俺の弟と似てるって話をしていたの、覚えてるかな。三輪くんに『俺は弟じゃない』って言われた時はっとしたんだ。勝手に三輪くんを家族に重ねて寂しさを紛らわせてた。見ず知らずの人から他人に重ねられて、視線で追われて……嫌だったでしょ。ごめんね」

 なんだ、簡単じゃないか。あれほど思い悩んでいたのが嘘のように、一度口を開いてしまえばするすると言葉が出てくる。

「……俺の方こそ、すみません」
「え、ど、どうしたの……!?」

 今の話に三輪くんが謝る要素はあっただろうか。静かに話を聞いてくれていたのに、突然頭を下げたためギョッとする。
 当の三輪くんは視線を泳がせてから、ぽつりとこぼした。

「近界民侵攻の際に、俺は姉を殺されています」

 思わぬ発言に言葉が詰まる。
 その悲痛な表情から、姉弟仲は悪くなく、むしろ良好であったことがうかがえた。

「だからこそ俺は近界民を憎んでいるし、玉狛の考え方は理解できません。……この世界の事情とは無関係な夜坂さんに、失礼な態度をとってしまいました」
「元はと言えば俺が色々隠してたからだし……。気にしてないよ」
「それに——」

 後に続く言葉を待つが、吐息が唇をかすかに振るわせるだけだった。
 言いたくなければ無理に言わなくても良いよ。そう伝えると、三輪くんは罰の悪そうな顔で頷いた。

「……すみません。ですが、近界民に対する気持ちも変わらないし、これからも玉狛の考えに賛同することはありえません」
「うーん、それで良いんじゃない?」

 俺の返事が意外だったのか、三輪くんは顔を上げる。

「冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど、俺は三輪くんの意見に賛成も反対もしない……というか出来ないかな。俺は侵攻の惨状を実際見た訳じゃない。口出しや共感ができるのは、同じ世界で同じ経験をした人だけだと思う」

 簡単に言ってしまえば『お前に何が分かるんだ』である。ただでさえ組織内に派閥やわだかまりがあると聞いた。
 三輪くんの話を聞いて思う事はあれど、その心中に余所者が意見する資格は無いだろう。

「……あ、もし他の世界の人間だからこそ話せる事があったらいつで聞くよ」

 偉そうなことを並べてしまったが、この世界の優しさに触れた俺としては、みんなに笑顔で居て欲しいと思う。
 そう願ってしまうのは少々自分勝手だろうか。

 その後、三輪くんは任務の報告があると言って去っていった。どうやら防衛任務の後わざわざ回って来たらしい。不審な動きで仕事を増やして申し訳ない。

 去り行く背中に、もう面影は重ならなかった。





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