かぶき町の往来を抜けて暫く行くと、家の少ない静かな通りに出る。近代化の進んだ江戸では珍しく、どこか懐かしさを感じさせる風景だ。
その中の一軒の平屋の前で俺と近藤さんは足を止めた。紫煙をふっと吐き出す。
「ここだな」
「あぁ」
先日、金も取らず子どもを集めて手習いを教えている女がいるという話を町で耳にした。それだけなら放って置いても良いのだが、どうやら教えているのは手習いだけじゃ無いらしい。俺たちが来たのは、攘夷浪士との繋がりを懸念してのことだった。
木戸を通って、開けた庭を歩き玄関に向かう途中、その家の中から縁側に子どもが二人飛び出してくる。十歳くらいだろうか。少年たちは気の強そうな態度でこちらを睨んだ。
「おい!先生に何の用だ!」
「あぁ?」
「おい、トシ!」
きつく睨み返すが二人に臆する様子は無い。
しかし、次の瞬間、少年たちの後ろから一つの影が現れたかと思うと、ゴッと鈍い音がして二人は床に伏した。
「こら、初対面の人に喧嘩売るんじゃありません」
「いってぇ・・・!先生!」
「こいつら刀持ってる!」
「だからと言って、誰彼構わず挑んでいくやつがありますか、馬鹿者」
「だって!」
「安心なさい、真選組の方です。書き取り終わったんでしょうね」
「・・・まだ」
「だったら、早く机にお戻りなさい」
とくに怒っている風でも無く穏やかな口調で、女は子供たちを促した。
一見すると、どこか品のある、顔立ちの整った綺麗な女だ。だが、田舎のかあちゃんよろしく子どもに拳骨を食らわし往なす姿には少し親しみを覚える。
頭にたん瘤を作った少年たちはばつが悪そうにこちらをちらりと見て、部屋へ入って行った。
女は俺たちに目をくれ、朗らかに笑う。
「すみません、ちょっと奥に本を取りに行ってたもので」
「いえ、こちらこそ、突然すみません。子どもたちを警戒させてしまったみたいで」
近藤さんは笑顔を見せながら、軽く頭を下げた。
「どうぞ、お掛けになってください。お茶を淹れて来ますね」
そう言って、女はまた部屋の奥へ戻った。
俺たちは少し拍子抜けした顔を見合わせ縁側に足を向けた。
腰を下ろすと近藤さんはふっと息をつく。
部屋の中はあまり物が無くすっきりとしていた。
縁側に沿って部屋が二つ続きに並んでいて、その一つを教室にしているらしく、机に向かう子供らの背中が見える。十人くらいだろうか。そして、俺たちの座っているところの部屋一つ挟んで反対側では女が台所で湯呑みの用意をしていた。
「特に心配することは無さそうだな」
「あぁ」
近藤さんは少し楽し気に子どもの様子を眺めていた。俺は煙草の火を消す。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「すまねぇな」
女は湯呑みを置いて、姿勢を正し座る。
「それで、どうして真選組の方がこんなところへ?」
「あぁ、申し遅れました、俺は局長の近藤勲と言います。こっちは副長の土方十四郎。お名前をお聞きしても?」
「はい、黒木碧と申します」
「黒木先生ですね!実は我々、このあたりで手習いを教えている女性がいると聞いて。あぁ、その、武術や剣なんかも教えているそうで・・・」
「はぁ」
言い淀む近藤さんに代わり口を開く。
「ここは町中から外れて人通りも少ない。攘夷浪士なんぞが出入りしていないかと思ってな」
「ト、トシ!」
気まずそうな近藤さんとは対照的に黒木碧は少し困ったように笑う。
「それはそれは。こんな辺鄙な場所ですから、不逞浪士の隠れ家やもと疑われても仕方ありません。でもここには子供たちと、・・・そうですねぇ、旧友がたまに来るくらいのもので。それに武術と言っても護身術程度のものですよ」
「すみません!お気を悪くしたなら謝ります」
「いえいえ、こちらこそ、ご足労をおかけしてすみません」
湯呑みに口をつける。仄かに甘味のある美味い茶だった。
「一人で教えてるのか」
「はい、他に仕事を持ちながらなので週に数日ほど」
「そうなんですか、若いのに・・苦労されておられるんですね」
「いえ、苦だとは思いません、やりたいようにやっているだけです」
そう言って微笑んだ黒木は楽しそうで、その言葉に嘘は無いのだろうと思った。
「先生!終わりました」
「私も!」
「はぁい、ちょっと失礼しますね」
子どもに呼ばれ、黒木は腰を上げる。
「近藤さん、長居しても邪魔になる」
「そうだな」
立ち上がろうかとしたとき、子どもがこちらに走り寄ってきて、見ると先ほどのたん瘤をこさえた少年だった。
「ねぇおじさんたち強いの?」
「おぉ、そうだぞぉ」
「じゃぁ練習相手になってよ!」
「ははは、いいぞ!」
「おい、近藤さん・・・」
「いいじゃないかトシ!少しだけだ!」
豪快に笑う近藤さんに俺は溜息をついた。
「陽太、あまり困らせるんじゃありませんよ」
「だっておじさんが良いって!」
「おじさんじゃなくて近藤さんですよ。偉い方なんですから・・・すみません」
「いえいえ、たまには子どもの遊び相手も悪くない」
「ずるい俺も!」
「おぉー、元気がいいなァ!まとめて来い!」
子どもに手を引かれ庭へ出る様子に呆れる俺に黒木は声をかける。
「ごめんなさい、副長さん。お仕事中なのに」
「いや、うちの局長が言いつってんだ。気にするな」
俺はまた縁側に座って、子どもと戯れる近藤を眺めながら煙草に火をつけた。
「なぁ。先生はなんでわざわざ他の仕事をしてまで金もとらずガキを教えてる」
「そうですねぇ、私も昔孤児で拾われた身でして。何というか、寺子屋に通えない子どもたちの方に目が向いちゃったんですかねぇ」
「そうか。・・・立派なもんだ」
「よしてください、先ほども言った通り好きなようにやっているだけなので」
「誉め言葉は素直に受け取っとくもだぜ、先生」
後ろで笑う声が聞こえて、それに吊られるように俺も口の端を緩めた。
後日。
先生に会ったのは意外な場所だった。
「あら、副長さん。いらっしゃいませ」
「あ・・・先生か?」
近藤にせがまれ、ついて来たスナックすまいるで、席にやってきたのは綺麗な着物を身にまとい紅を引いた先生の姿。一瞬誰かわからなかった。
「先生!?何やってるんですか!」
「他に仕事してるつってたのは覚えてるが、まさかこことは」
「つい最近入ったばかりなんです、改めまして碧と言います」
「あら、碧ちゃん知り合いだったの?」
驚く俺と近藤の隣でお妙は不思議そうに首を傾げる。
「えぇ、先日お会いしたばかりなんですが」
失礼しますと丁寧に一言断ってから、先生は俺の隣に座った。
「先生、」
「ここで先生はよしてください。トシさん」
上目がちに少し悪戯っぽく笑う表情にドキリと心臓が跳ねる。
「今日は制服じゃないですし。近藤さんがそう呼んでおられたので・・・いけませんか?」
「・・・いや、構わねぇ。じゃぁ俺は碧とでも呼べばいいか?」
「はい、そうして頂けると嬉しいです」
碧は頬を綻ばせたまま、淑やかな手つきでお猪口に酒を注ぐ。
「ぼっ、僕もお妙さんには、勲さんって呼んで頂けると嬉しいです!」
「え?なんですか?近藤さん、ドンペリですか?すいませーん!ドンペリ一つお願いしまぁす!」
「お、お妙さん!!」
涙目の近藤さんにかける言葉も無く、酒を仰ぐ。
「ガキども元気か」
「はい、相変わらずです。また来たら相手して欲しいと」
「いやぁ・・・俺は御免被る」
「ふふ、そうですか」
碧の家に訪れた時、近藤が庭に引っ張り出され、股間に頭突きをくらい揉みくちゃにされていた情景を思い浮かべる。心底嫌そうな顔をしていたのか、碧は可笑しそうに口元を押さえた。
「まぁこうして売り上げに貢献するぐらいは、構わねぇよ」
「それは、有難いです。じゃぁ、私もがんばらないといけませんね」
「いや・・・そのままでいい。面倒くせぇ世辞を並べて騒がしくされんのは、苦手だからな」
「そうですか。ではそうさせてもらいます」
「あぁ」
視界の端で碧が微笑むのを見て、少し口元が緩む。
それを隠すように煙草に火をつけた。
近藤さんにはよく連れてこられる店だ。
一つくらい、楽しみが出来てもいいのかもしれないと思った。