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朝から降りしきる雨が、夏の暑さを少し和らげていた。控え目にドアを叩く音が聞こえたのは昼の二時を回った頃だった。
俺はいつもより急ぎ足で、玄関に向かう。大体のやつは無遠慮に大きくノックするか、大声で呼び掛けてくるかのどちらかだが、それをしない訪問相手に心当たりがあった。
ドアを開ける。あぁ、やっぱり。

「碧」
「来ちゃいました」

眉ねを下げて彼女は笑う。
碧の顔を見ると、どこかほっとしてしまう。

「・・・って、来ちゃいましたじゃねぇよ。びしょ濡れじゃねぇか」

俺は碧の手を引いて中に入れた後、引き戸を閉めた。
奥からタオルを持ってきて頭からかけてやる。

「あー、ったく・・・とりあえず、風呂入れ。風邪引いてもあれだから」

そう言って風呂場に放り込んだ。着替えと言っても神楽の服は小さすぎるだろうしと思い、俺の着物を出してくる。

「おい、碧?」
「はーい」

ドア越しに声をかけて、少し開き中を見えないように顔を背けながら着物を差し入れる。

「これ、着替えな」
「ありがとう」

碧が受け取ったのを確認して、俺は居間に戻った。ソファに寝転び、またジャンプを開く。
ぼんやりとして、内容はあまり入って来なかった。
いつもは俺が行くことの方が多く、碧から来るのは珍しい。人は雨に濡れたい気分の時もあるが・・・何かあったのだろうか。でも、表情はいつも通りだったはずだ。そんなことを考えながら、雨とシャワーと扇風機の音だけを聞いていた。
暫くして、ガタンッと大きな音が浴室の方からしたので、怪訝な面持ちでそちらに足を向かわせる。

「おい、どしたァ。大丈夫かー?」
「ぎっ、銀時・・・!」

焦ったような碧の声に俺はすぐさま脱衣所の扉を開けた。のを、いろんな意味で後悔した。
タオルで前を隠しただけの碧。白い肩、柔らかそうな腰のラインが露になっていて、思わず目を逸らしたのもつかの間。
床にへばりつくようにして倒れる見知った女に怒りが込み上げてくる。

「テメェは何やってんだぁぁああ」
「ごめんなさい、上から人が出てくるとは思わなくて、つい、蹴り落としてしまいました・・・」
「いや、碧はいいから。それで正解だから!とりあえず服着なさい」

目のやり場に困りながら籠の中から着物を取り、碧に肩からかける。

「はっ、銀さん!その女なんなの!?人んちの風呂で何やってんの?!」
「その言葉そっくりそのままお前に返すわ!!いいから出ろボケェ!!」
「あっ、痛い!銀さん!今日はいつにも増して積極的なのね!?」
「黙れ!!」

俺はさっちゃんの髪を引きながら無理やり脱衣場から連れて出た。そのまま玄関へ向かう。

「おいテメェ、まじで警察に付き出してやろうか?アァ?」
「あぁ、そのキツイ目付きも堪らないわ!私をブタ箱に入れて足掻く姿を楽しむつもりね!!そんなプレイも喜んで受け入れるわ!好きなだけなじって罵ればいいわぁ!!」
「でけぇ声で何言ってんだこの女ァァアア」

俺は呆れた視線をくれる。

「・・・百歩譲って俺に付きまとうのはいい。けどなぁ、あいつに変な真似したら殺すからな。マジで」

自分でも驚くほど、低く冷たい声だった。

「今日は帰れ」

それだけ言って、ピシャンと玄関の引き戸を閉め鍵をかけた。
部屋に戻ろうと振り向いた時、丁度風呂場のドアがカラリと開く。

「銀時、あの、来ちゃいけない時はちゃんと言ってくれたらいいですから」
「・・・碧ちゃん?」

ひくりと目のあたりが引きつるのがわかった。

「ごめんなさい、お付き合いしてる人が居るとは知らなくて」
「やっぱり!違うからな!あれストーカーだからただの!!」
「まぁ、そうだったんですか?」
「だいたいどこがそう見えたんだァ!?」
「プレイとか言ってたから・・・」
「やめて!違うからマジで!!・・・ったく、着物持って来いよ!部屋に干しとくから」
「・・はい」

部屋へ入ってきた碧から着物を受け取りハンガーに通す。
襖の木枠にそれを掛け、扇風機を首振りモードにして風を当てるとひらひらと揺れる。

「麦茶でいいか?」
「あ、はい。ありがとう。今日は静かですねぇ。神楽ちゃんと新八君は?」
「今日は新八んとこに泊まるんだとよ、お妙と買い物するからって早々に出て行ったわ」
「そうなんですか・・・」

少し残念そうな声を出す碧に、コップを渡し、隣に座る。

「お前こそ、塾はどうした。今日平日だろ」
「今夏休み中なんですよ」
「へぇ、それで?寂しくなっちゃったの?寂しくなって来ちゃったの?」
「ふふ、そんな感じです」

誤魔化すことも無く頬を緩める碧。
濡れた髪を解くように撫でてやる。

「だからって、雨に濡れながら来るこたぁねぇだろ」
「あぁ、傘はさしてたんですよ?」
「んなもん持って無かったよ?来た時」
「来る途中公園で、すごく悲壮感漂うおじさんが居たので、あげちゃいました」
「・・・お前あげちゃいましたじゃねぇよ。そのおじさんは多分あれだよ。汚れきった心を雨で洗い流そうとしてたんだよ」
「じゃぁ、余計なことしちゃいましたねぇ」
「そうだよ。だいたい自分が濡れてちゃァ世話ねぇぜ」
「ごめんなさい、心配をおかけしました」
「まぁ・・・服もすぐには乾かねぇし。ゆっくりしてけよ」
「はい、そうさせてもらいます」

碧は神楽の雑誌に手を伸ばした。
俺たちはそれぞれパラパラとページを捲る。
ちらりと横を見ると、碧は気の抜けた表情で頭をソファの背に凭れかけさせている。
静かな部屋に雨の音が心地いい。頬を緩め、ジャンプに向き直る。
暫く静かに雑誌を読んでいた。
そう思ったが、こつんと肩に乗る重さにそちらを向くと、碧はすぅすぅと寝息を立てていた。起こさないようにゆっくりと、体を支えながら頭を膝の上に移す。まだガキの頃、こうして碧が俺に凭れてよく眠っていたのを思い出す。
まだ乾いていない髪が服を濡らして、少し冷たい。

「碧・・・」

小声で呼んで、顔にかかった髪を耳にかけてやると、小さく身じろぎをする。
衣擦れの音。薄い着物が体のラインに沿っていて、風呂場での光景がフラッシュバックする。はだけた着物から伸びる白い足に目が移るのを無理やり背けた。
もうガキじゃないんだと突き付けられているようで、意識すると急に心拍数が上がる。

「これは、あれだよな、その。お父さんが娘の裸見ちゃったみたいな、そりゃぁお父さんでもどぎまぎするわ。子どもだと思っていた娘が立派に成長してるんだもの、いろんなところが立派に成長してるんだもの」

ぶつぶつと気を紛らわそうとするのを傍目に、気持ちよさそうに眠る碧が少し憎たらしい。

「・・・ったく、俺も男なんだからな」

ただたまに思うのは、こいつが俺の隣で気を落ち着かせているのに安心していることと、こういう姿を他の奴には見せたくないと言うこと。そして何処にも行かないように、無性に手を伸ばしたくなること。
そんな資格は無いだろうに。
碧の頭をゆっくりと撫でる。
いつまでもこのままで居られるとは思っていない。けれど今のこの至福の時間が出来るだけ長く続けばいいと思う。






私は目を開けた。
眠っていてしまったようで、どれくらい時間が経ったのだろうと思う。
頭にかかる心地よいくらいの重みが、銀時の掌だと気付いたのは体を起こした後だった。力なく落ちる手。銀時の方を見ると、小さないびきを漏らしながら眠っている。私が頭を置いていた銀時の膝のあたりに、髪に含んでいた水分が染みを作っていて、心の中で謝ると同時に少し笑ってしまった。

「銀時」

小さく呼んでみたが起きる気配は無い。
ぼんやりと寝顔を眺める。
銀時は違うと言ったけれど、やっぱり彼も大人なんだし、お付き合いしている女性が居てもおかしくない。ただたまに、無性に抱きしめて留めて置きたいと思うことがあるのも事実で。
私はそっと手を握る。少し汗を掻いていたいた。
扇風機の風にさわさわと柔らかそうな髪が揺れる。
この愛しいほどの時間がずっと続いていくとは思っていない。ただもう少しこのままで居させて欲しいと思う。