12

締め切られた窓、鍵のかかった玄関。
ドアを叩いても返事は無い。
スナックすまいるに呼ばれ、従業員がほぼ夏風邪で全滅しているのを理由に、将軍の相手をする羽目になったのは昨日のことだ。よくよく考えれば、碧もスナックで働いている従業員の一人で。心配して来てみたが、人が居るとは思えないほど静かだ。出掛けたとか?いやいや歩き回れるならあいつのことだから仕事に出るだろう。もしかして、中で倒れてんのか?

「おい!碧!!碧ー!?」

ドンドンとドアを叩く。しかし返事が聞こえたのは後ろからだった。

「兄ちゃん誰?静かにしてくんない?先生多分寝てるよ」

振り向くと怪訝そうに顔を顰める少年と、少し怯えた表情の少女が居た。

「幸音、お前ちょっと待ってろよ。風邪うつっちゃダメだから」
「でもっ!・・先生に会いたい」
「わがまま言うな。お前が風邪引いたら先生も悲しむだろ」
「・・・うん」

そう言うと少年は玄関に鍵をさし、カチャリと開けた。

「おい、お前ら、碧んとこのガキか」
「そうだけど・・、兄ちゃんは誰なんだよ」
「俺ぁ、先生の友達の銀時だ。やっぱ、碧風邪引いてんのか」
「そうだよ。うつすとダメだから来るなって言われてるんだけど、ふらふらだったから。代わりに買い物だけしてきた」
「そうか、ありがとうな。後は俺がやっとくから、お前らは帰れ」

俺は少年の持っていた袋を手から取り玄関のドアをがらりと開けると、少年はその前に立ちふさがる。

「おい!勝手に入んなよ!鍵預かってんのは俺なんだから!」
「いや、俺ァ、先生の友達だっつってんじゃん。どきなさい、良い子だから」
「いやだから、上げていいか先生に聞いて来るから!待ってろよ!」
「碧寝てんだろ?わざわざ起こさなくてもいいじゃねぇか」
「だからって知らねぇ男勝手に家にあげて帰るわけにはいかねぇ!」
「知らねぇ男じゃねぇよ。友達だから!のけよ!」
「お前がのけよ!証拠でもあんのか、ボケ!!」
「おまっ、年上に向かってお前とかボケとか!先生に怒られんぞォ!!」
「テメェみてぇなん残していくよりマシだ、ボケェ!!」
「あんだと、このガキ!!」
「・・・何やってるんですか、銀時。うるさいですよ」

言い合いを止めたのは碧の声だった。
玄関先に立っている碧はマスクをしていて、それでもわかるような呆れた視線を俺に向けている。

「先生っ・・!」
「おい碧、大丈夫なのか?」
「先生ー!」

幸音と呼ばれた少女が碧に駆け寄り、抱き着く。碧は幸音の頭を優しく撫でる。

「ごめんね、幸音。先生が風邪をひくとは情けない。もう大分良くなりましたから、来週からまた来てくださいね」
「うん!早く元気になってください!」
「ありがとう。陽太も、すみませんねぇ。お使い頼んじゃって」
「ううん。俺も早く先生に稽古つけて欲しいし」

さっきとは打って変わってにこにこと笑う少年。

「ねぇ、この兄ちゃん、先生の友達?」
「はい、そうですよ」
「だから言ったろうが」

俺が言うと少年はぎろりと睨みつけてくる。

「銀時、大人げないことしてるんじゃありません。あ、陽太。ついでにお願いなんですが、これ皆のところへ届けてくれますか?」
「何?」
「来週までの宿題です」
「・・・はい」

碧が渡した袋には紙の束がぎっしり入っていた。
子どもらが帰るのを見送った後、俺は碧の後から中へ入り後ろ手に玄関の引き戸を閉めた。

「おい、どんな教育してんだ、クソ生意気だったぞあのガキ」
「そうですか?いい子ですよ。それに、あれぐらいの年の子はだいたいクソ生意気ですし、銀時もクソ生意気だったと思いますよ」

可笑しそうに笑う碧に言い返す言葉も無い。
俺は碧に近づいてマスクを下げる。少し顔が赤い。だいぶ良くなったと言ってもまだ熱があるようだった。

「碧、お前んち電話あったよなァ?なんで連絡しねぇんだ」
「・・銀時のところにも、神楽ちゃんや新八くんが居るでしょう。うつすと大変じゃないですか」
「こんな時ぐらい、人のこと考えてねぇで素直に頼れ、馬鹿野郎」
「すみません」

低く言うと、碧は眉根を下げて笑顔を浮かべる。

「まぁ、いいから・・腹減ってるか?」
「そうですねぇ。少しお腹すきました」
「おう、じゃぁ、銀さんが何か作ってやっから、それまで寝てなさい」
「ありがとう」

俺は碧が部屋へ戻るのを見送ってから、台所で袋を開ける。
ガス台に乗った釜には米が残っていた。これだけあれば十分だ。
締め切った窓を開けてから空気を入れ替え俺は腕をまくった。







「おーい、碧ー」

部屋の前で声をかける。
眠ってしまったのか、返事が無い。粥と野菜の味噌汁を乗せた盆を片手に持って静かにドアを開ける。

「おわっ、狭ぇ」

小さな部屋は洋服箪笥と小物棚、本棚がその大部分の面積を占めていて、棚から溢れた本が床に綺麗に積み上げられている。その奥にある布団で、碧は静かな寝息を立てていた。小さな窓から風が吹き込む。

「おい、碧・・・」
「ん・・・」

薄っすらと目をあけ、碧は潤んだ瞳をこちらに向ける。

「物置きみてぇな部屋だな、オイ・・。起きれるか?」
「・・はい。あー、いい匂い」

布団の横に置いてある本を避けながら碧の傍らに座る。
体を起こした碧に盆を渡してやると嬉しそうな笑みを見せた。

「・・すみませんね。狭くて。他は子どもたちの手習いや稽古に使うので大体私物はこの部屋にまとめてるんですよ」

いただきます、と手を合わせて碧はレンゲで粥を口に運ぶ。

「だからってなァ」
「美味しいです」
「・・・そりゃぁよかった」

俺は溜息一つついて頭を掻いた。
まぁ、思ったより元気そうでよかった。もぐもぐと目を細めながら幸せそうに食べている姿を素直に可愛らしいと思う。俺は近くにあった紙を手に取った。

「・・・風邪引いてんのに、ガキどもの宿題なんぞ作ってたのか」
「えぇ、授業お休みにしてしまったので」
「んなことしてっから風邪長引くんだぞ」
「ちゃんと寝ていましたよ。でも一日中寝て居られる訳も無いじゃないですか」
「それでも、頭使わず横になっとくもんなの」
「頭ではわかってるんですけどねぇ」

暫くの間、碧が食べ終わるのをじっと見ていた。
美味そうに食いやがって。
自分のことを後回しにして、人のことばかり気遣って、いくら言っても聞きやしねぇことぐらいわかってる。俺も怪我したのを黙ってはいたけれど。でもこいつは一人で住んでんだから、それはまた別だ。

「ご馳走様でした」
「はいよ」
「銀時は料理うまくなりましたね」
「あたりめぇだろ、一人身でいりゃぁ必然的に上手くなるもんだろぉが」
「・・・そうですねぇ」

俺は碧から盆を受け取って、後ろに置く。

「なぁ、碧。・・自分のこともっと大事にしろよ。ガキどものためでもなんでもいいから。てめぇの考える迷惑なんぞ、俺にとっちゃぁ迷惑のうちに入らねぇんだから」
「そっくりそのまま言葉を返しましょうか、銀時」

碧はくすくすと口元に手を当てて微笑む。

「・・なんでしょうねぇ。新八くんからも同じことを言われました」
「あ?新八が?」
「最初に、銀時のお見舞いに行った時です。もう少し自分のことを考えてくださいって」
「・・・そうだったのか」

あの時、碧が帰った後、新八が少し落ち込んだ表情をしていたのを思い出す。

「・・・新八くんに、余計なことを言ってしまって。晋助は新八くんにとって敵かもしれないけれど、って。きっとあの子のことだから・・私にとっては友人なのだと言いたかったのもばれているでしょうね」

口数少なく帰ってしまった碧。そんなことを話したのか。
少しぼんやりとした表情で話す碧はやはりまだ熱があるのだろう。きっといつもならこんなことを言わない。一人で考え込んで、一人で答えを探しているのだ、いつも。

「謝らないと、いけないと思いながら、謝ったら余計に考えさせてしまいそうで。ずっとそのままにしてしまいました」
「安心しろ、あいつはそんな軟なやつじゃねぇから。だいたい、最近の仕事でけろっと忘れてらァ。そんなことは」
「そうですか、銀時が言うならそうなんでしょうね。・・私は」

少し安心したような笑みを見せて、碧は言葉を続ける。

「銀時も、晋助も・・まだ変わりなく大事なんです。皆、私に自分のことを考えろと言うけれど、私は自分のことばかりですよ・・」
「どこがだよ」
「銀時にあんな怪我をさせても、晋助を殴ることはできなかったですし。それでも、銀時が居なくなるのも嫌で」
「・・・それでいいさ。お前が選んだなら」

俺は碧の頭に手をやった。柔らかな髪をくしゃりと撫でる。

「俺たちは元々仲良くねぇが、碧まで敵に回っちまったら・・あいつももう本当に帰って来れなくなっちまうだろ。だから、それでいい。安心しろ、俺だって・・・黙ってどっかに行ったりしねぇ」
「本当、ですか・・・」
「あぁ、例えまたてめぇをあの時みたいに、手放しても。今度はちゃんと迎えに行く」
「銀時・・・」

俺の顔を見ながら、碧は目を細める。

「あなたは口だけは達者ですからねぇ」
「おまっ、それ今言う?銀さんちょっと恥ずかしかったんですけど。今割と勇気出して言ったんですけどォ!」
「ふふ、じゃぁ約束ですよ」

そう言って、碧はまた布団で横になり目を瞑る。

「碧ー!寝るな!いや、寝ていいんだけど!!」
「銀時、煩いです」
「碧ー!!」

目を開ける気配がないので、俺は仕方なく盆を持って腰をあげる。
本の山を倒さないようにそろそろとドアに向かい、手をかけた。

「銀時、私、また・・十年だって待ってますから」
「あぁ」

小さな声だった。
部屋を出て戸を閉める。ふっと息をついた。
碧には悪いが、こうして素直に話すならたまには熱に浮かされるのもいいと思う。
あれ・・・てかさっき俺プロポーズみてぇなこと言った?で、さっきの碧の返事って・・・え?

「やべぇ」

顔が火照る。

「風邪うつったか?オイ・・・」