理由なんてなくていい/絶対的-絶望


 引っ越し業者を探すのは、諦めた。そう多くない荷物だ。手で持てるだけ持って、持てない分は置いていくことにしたのだ。ただ、手間取ったのが新しい住居探しだった。探し方が悪いのか、なかなか見つからない。やっとの思いで見つけたウィークリーマンションの会社に「できれば今日……明日でも大丈夫です」と控えめに告げると、「はァ?!」と怒鳴られ、電話を切られてしまった。もう一度電話をして頼み込むとなんとか一ヶ月後に入居できることになった。

 一ヶ月、一ヶ月かあ。私はケータイを片手に部屋をぐるぐる周りながら、派手に散らかった部屋を片付けていった。二人で暮らした部屋。つい一昨日、二人で殺し合いをした部屋。昨日病院に行った後試しに戻ってみたこの部屋からは、見事にヒソカの痕跡だけがなくなっていた。キャビネットに刺さったトランプから、ヒソカの使っていたマグカップ、枕をくるむタオルまで、全て。ただ乱雑に配置された家具だけがそのままだった。私がこれを片付けることまでもヒソカに見透かされているような気がして、でもその通りにしてしまう自分に、なけなしのプライドが傷つくのを感じた。

(一ヶ月も、まだこの部屋にいなきゃいけないなんて……)
 つい一昨日、殺されかけた部屋に舞い戻り、しかも一ヶ月も過ごすなんてことは、非道く幼稚で馬鹿らしいことのように思えた。まあ、逆に言えば、意表を突いているとも、言えるかも知れない。ただやっぱり住む場所に固執している意固地さは、まるで世間を知らぬ少女のようだ。

(とりあえず。買い物に行かなきゃ。)
 そう思い、スニーカーに脚を入れた。大丈夫、きっとヒソカだって、まさか私がまだこの街にいるだなんて、思わないだろうし。私にそれほどまでに執着しているとは、思えないし。(だってあのヒソカだもんなぁ。)黒いお気に入りのスニーカーは、履きすぎてもうボロボロだった。ヒソカは私がこのスニーカーを履いているのを見る度に顔をしかめたし、ことあるごとに小綺麗なハイヒールを贈ってくれたのだけれど、どれも脚に合わず、靴箱に仕舞ってしまった。一度として履くことのなかった色とりどりの宝石みたいな靴たちは、ヒソカの物として回収されたのか、私の物として置いて行かれたのか。確認するのも躊躇われて、シューズボックスは開けずにおいた。

 グロッサリーで食料品をできるだけ買ったあと、そのままどこか落ち着きのない街の中をぶらぶらと歩いた。あてもなく街の中を歩き回るのは今の自分に酷く似つかわしい気がして、飽きもせずに足を交互に前に出す。


「あれ、ナマエ先生?」

 背中から声を掛けられ振り向くと、そこには以前私が治療をした子どもが立っていた。治らない病気ではなかったのだが、苦痛を伴う治療が予想されたため、念能力者じゃないことを十分に確認した後こっそりと縛りに変えてしまった患者だった。そのため、よく覚えていたし、思い入れのある子だ。

「わぁ、ほんとにナマエ先生だ! 久しぶりだね!」
「本当に。足はもうすっかりいいの?」
「うん。ほら、」

 病を患っていたはずの右足をパンと元気よく叩き、その子は満面の笑顔を作った。私もつられて笑顔になり、病があったはずの箇所をさする。その子は照れくさそうに頭を掻いた後、ママが待ってるから行かなくちゃ、もう走ったりもできるんだからようく見ててね、と言い残して元気に駆けていった。私は思う。世界がこの街やあの子のようばかりだったら、なんて明るく汚れのないものだろうと。そう、思うのだ。
 直ぐ後ろ、べったりと張り付くように垂れ流される禍々しいオーラをしっかりと背中に感じながら。

「だめだなぁ、ナマエ。見つけちゃったよ」

(130727)

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