炎の如き孤独/you


 朝は思ったよりも、定期的にやってくる。きらきらと眩しい朝日は、たくさんの後悔とほんの少しの希望を、焦燥感に乗せて届けてくれる。
 たくさんの怪我や傷を、ひとつずつ治していくのは案外手間のかからないことだった。自分の怪我を縛りに変えていくという作業は、人の怪我を治すのと違い念を外側に放出する必要がないため必要な労力が少ない。なので、念を縛る期間が比較的短くて済むのだ。

 それに、私には他にすることがなかった。
 時間だけはばかみたいにたくさんあるし、念なんて他に使う予定もない。そんな私に、こうして自分の体を淡々と正常に戻していくという作業はお誂え向きだった。
 大きな怪我から順に治していき、一週間もする頃には、外出もできるようになった。小さな傷は普通に治るのを待てばいい。顔に大きなガーゼをサージカルテープで留めてスーパーに行った時は、さすがにレジの女性に怪訝な顔をされたが、通常の生活をするには、申し分ない。

 オレンジジュースをコップに注ぎ、少しずつ飲んでいると、まるで自分が普通の人間であると、錯覚してしまう。料理が好きで少し内気な、街の外れにある中くらいの診療所の小児科医。友達はあまり多くはないけれど、職場には恵まれている。この街の陽気な雰囲気が好きで、住んで1年半になる。自己紹介を並べれば並べるほど、私は『ふつう』だった。特別なところなんてなにもない、『ふつう』、のはずだったのだ。

 キンコン、と玄関のチャイムが鳴ったのは、のどかな昼下がりのことだった。その時私といえば、ただぼうっとしながら、本を読んだり、作りさしのパッチワークを眺めたりしていた。なので頭をすぐに切り換えられず、かなり緩慢な動きでインターフォンに出たのだが、訪ねてきた相手は気にする様子もなく、寧ろ機嫌が良いようであった。

「良かった。ベルを鳴らしてからすぐに出なかったものだから、居留守か、本当にいないかと思った。オレもまあ嫌われたものだと思ったよ」
「そんなこと。少し、頭の中が散らかっていて、すぐに人と話せるような状態じゃなかったの。だから間を置いただけ。許してね」
「許すだなんて。もちろんだよ。それ以前にオレは怒っていない」
「ならよかった。さあ、入って。スリッパを忘れず履いてね」

 インターフォンで、来客がクロロであったと知り、すぐに玄関のチェーンを外して迎え入れた。クロロは元々ヒソカに紹介してもらった除念の顧客であったが、今ではほとんど茶飲み友達といったところだ。ヒソカとは仕事仲間らしいが、二人が顔を合わせているところを余り見たことがない。だから仲が悪いのだろうかと思っていたのだが、あるときクロロは『そんなことないさ。』と言った。『少しね、似てるのかもしれない。だからかな、オレもこうしてキミみたいな人とたまにコーヒーを飲みたくなる』と。

「そういえば、ヒソカは? 今日はいないのか?」
「あら、あなたがヒソカのこと気にするなんて珍しい。……いないの。ヒソカはね、いないの」

 クロロは少し目を丸くして、控えめに「どういうこと?」と聞いた。クロロにはガテマラを、自分にはアールグレイを用意しながら、「そうだねえ、」と生返事をした。詳しく説明することなど、できない。自分でも詳しいことなどわからないのだから。その代わりにと言ってはなんだけれど、小さく切ったレモンケーキを、コーヒーと共に差し出した。

「良い香りだ。相変わらずナマエは豆を選ぶのが上手いね」
「あなたは相変わらず人を褒めるのがお上手だね」
「オレは本当にそう思ったときしか褒めたりしないよ。それで……」

 神妙な顔をして、クロロはカップをソーサーに置き立ち上がる。

「ヒソカがいないって?」
「……ええ。でも、クロロが来るときは大抵いなかったんだから、大して状況は変わらないとも言えるかもしれないけどね」
「だが……その言い方だと、キミにとっては変化があったみたいだけど?」
「まあね……でも、こんな個人的なことをクロロに話していいか……」
「もちろん、いいに決まってる。オレにとってナマエ、キミは唯一と言っていい、利害関係のない友達なんだ。茶飲み友達だなんて、くだらないと思うかもしれない。ただ、オレにとってはこうやって仕事以外のところに居場所があるというのはとても貴重なことなんだ」
「うん……。」

 いつのまにかクロロは、向かいに座っていたはずの私の後ろに回ってきていた。肩を優しく包まれる。暖かかった。とても、暖かかった。「もしかしたら、あなたたちのような人たちからしたら普通のことなのかもしれないけど、」気付けば私はクロロに向かって吐露していた。「うん、うん、」クロロは静かに相づちを打ってくれた。一人で生きていけるなんて、嘘に決まっている。きっと私も、人の優しさを欲していたのだろう。でなければ、どうしてこんなに縋り付くように私事を話すことがあるだろう。

「……そうして、ヒソカはどこかへ行ってしまった。私たちは、パートナーじゃなかった。そう思っていたのは私だけだったんだ」
「キミは、とても辛い思いをしたね。それを乗り越えたんだね」
「そうかもしれない。でも、こうしてクロロに縋ってしまうということは、まだ乗り越えていないということかもしれない。」

 抱きしめて欲しいと、心からそう思った。しかし、それで満たされないということも、わかっている。そしてクロロは、そういう私の気持ちをわかっていた。クロロは決して私を抱きしめない。その代わり、暖かい手を私の手に重ねてくれた。

「じゃあ、今はヒソカがどこへいるか、見当がつかないということかな?」
「そうだね」
「そうか……それは……」

 クロロは私の手を離さない。不思議に思ってそちらを見ると、何故かクロロは笑っていた。こみ上げてきた笑みを隠しきれないとでも言うように。

「好都合だな」

(150805)

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