シャーベットムーンに住むこどもたち(1)
 ミョウジ博士という学術的に偉大な人物を亡くし、戸惑いを隠しきれなかったのはもちろん私だけではなかった。専門である物理学にとどまらず、様々な分野において次々と新発見をした俊豪の死に、世間は大騒ぎになったようだ。父が亡くなったその日、……言わずもがなそれは私がヒソカと同居することとなった日と同日であったが、私は父の所属する研究室に電話を掛け、彼の死を知らせた。するとそこから瞬く間に情報が広まり、その日の内にテレビでは速報が流れ、この国の主要な都市では号外が配られたという。

 ……“という”、と伝聞調なのは、つまり私がその日以来部屋から外に出ることがなく、テレビも新聞もラジオもネットも何もかもヒソカによって遮断されていたからに他ならない。それ以来、ヒソカはやってくる警察や報道陣を華麗にひらりひらりとかわし(この街の平和ボケした警察の無能さには驚きを隠せない)、いつのまにか誰にも干渉されない二人だけの箱庭を作り上げてしまったのだった。

 三日経ち、五日経ち、十日経ち。奇妙な共同生活にも慣れ始め、だんだんと今の状況に窮屈さを感じ始めていた。私、いつまでこの部屋に閉じ込められているのだろう。日当たり抜群、20坪の2LDK。一人で住むには広すぎたけれど、一歩も外に出られないとなれば話は別だ。

 思いきって、ヒソカに外出を願い出てみることにした。これは、私としてはかなり勇気を振り絞り、無下にされてもおかしくない、ダメ元の試みだったのだが、ヒソカは存外簡単に「いいよ」と答えたのだった。

「え……いいの?」
「そろそろ言ってくるかなとは思ってたし。ついでに食料品とか買ってきてよ。もう具無しシチューは飽きたから♦」



 いざ外に出られるとなり、私は途方にくれた。正直、こんなときに会いたい友達や恋人なんていないし、現状を話したところで信じてくれる理解者も思い当たらなかった。とにかく、父の手となり足となり働いてきた私は、父がいなくなった今、恐ろしい自由の海へ放り出されてしまったのだった。

(とりあえず……エバラさんに顔を見せに行こうかな)

 エバラさんというのは、父の研究所で助教をしていた、有り体に言えば父の助手だ。傍若無人な父の振る舞いに文句のひとつも言わず、たいていの雑事はエバラさんがこなしてくれていた。この人は私の能力と父の関係を知る唯一の人で、私がアイディアを盗みにいく段取りをいつも整えてくれていたのもエバラさんだった。
 十日ぶりに外に出られるというのに、行く先が父の研究所だなんて、驚くほどの世界の狭さだ。私を父のもとに縛り付けていた鎖は、同時に私を世界の広さから守ってくれていたのだ。
井の中の蛙、井の中がお似合い、だ。

(200711)
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