研究所の玄関を出て、私は盛大に溜め息をついた。
「あー、まさか、あんなに期待されるなんて……」
私にはもちろん、物理学の発見を次々するような天才的な頭脳なんてない。父はアイディアこそ他人から盗んだものだったが、それを実現してみせるだけの基盤となる頭脳があったはずだ。
しかし、私の能力のことを知らない人たちは元より、あの発見の数々の裏を知っているはずのエバラさんすら、私に向ける視線は『後継者への期待』だった。
もちろん私は、こんなことを続けるつもりはない。人のアイディアを盗むだなんて、そんな犯罪まがいの……いや、犯罪そのものか……とにかくこんなことはすぐにでもやめるつもりだ。
でも。私は考える。でも、生活はどうする? 私には、これといって特筆すべき能力などない。父の言われるがまま、父の欲する情報を、父のために、得てきたのだ。父なき今、一人で何かできるとは思えなかった。
……いや、一人ならどんなによかっただろう。家には悪魔とも呼ぶべき猟奇的な快楽殺人魔が我が物顔で鎮座しており、新たな気持ちで再スタートすることも叶わないのだ。
(逃げ、ちゃおう、かなぁ。)
そうだ。なにも大人しく、あの家に帰る義理なんてない。そりゃ、置いて行くには惜しいものはいくつかあるが、幸いカードと現金は今手元にある。どうせ、ヒソカにとっても、同居なんてまるで狂言で、私が帰ってこなかったところで何も思わないだろうし、もしかしたら気づきもしないかもしれない。元々は父の功績を訝しんで、その大元である私を殺しに来たのだから、父亡き今、私と共に暮らす意味などない。
(……気に入ったとか何とか言ってるのだって、嘘に決まってる)
……でも、逃げ出す勇気なんて、もちろんないのだ。もし私がヒソカに命を狙われれば絶対に勝てない。私に選択肢なんてない。私が選べる人生なんて一つしかない。私が選ぶ意味なんてない。私が私である意味なんて、ない。
地下鉄に乗り込み、一番端の席に座ると自然とまぶたが落ちてきた。薄れゆく意識の中で、気持ちはどんどん沈む。地下鉄がトンネルを通る、ゴオ、という音が、私の脳内を埋め尽くしていく。
(200815)