interlude
休日は沢山の人であふれかえる代々木公園も、平日ならば少し余裕を持って散策できるくらいの人出になる。私はベンチに座り、道行く人たちをぼおっと眺めていた。30cmくらい空けた隣には、幻太郎さんが座っている。
「……これって本当に小説家になるために役立つの?」
「文句でもあるんですか?小生がわざわざあなたのために時間を取って指南してさしあげていると言うのに」
「だって……」
「こうして、道行く人たちを見て、想像力を働かせるのです。はい、では、やってみましょう。あの人はどうです?」
幻太郎さんは、少し向こうを歩く女性をこそっと指さした。OL風の女性だ。
「あの人を見て、物語を作ってみて下さい」
「そんなこと突然言われても……」
「……しょうのない人ですね、では、まずはあの人を見て気がついたことを言ってみてください」
歩いてくるその女性を、じっと見た。どこからどう見ても、どこにでも居そうな、普通のOLという感じだ。
「えーっと、30前後くらいのOLさんっぽい人。オフィスカジュアルを着てる。OLさんが良く着てるような、高くも安くもないブランド。青いブラウスがよく似合ってる。ふんわりしたパフスリーブは可愛いけどちょっと年齢にそぐわない」
「はい、良い調子です。続けて」
「髪もよくケアしてるみたいで艶がある。メイクもばっちり。赤い紐の社員証を首から提げてる。……本当にこんな事で良いの?」
「いいから続けて下さいな」
「えーっと。……あれ? 何か変だな」
「どうしました?」
そうして観察している間に、OLさんは私達の前を颯爽と通り過ぎていき、カツカツというヒールの音だけが残された。後ろ姿を視線で追う。いくら見ても、違和感は拭いきれなかった。
「あんなに全身ばっちり決めてるのに、ストッキングを履いてない。生足だった。オフィスカジュアルで生足は、あまり奨励されてないけど……」
「ほうほう」
「それに、靴はルブタン、なのにバッグはGU……? アンバランスすぎる気がするけど……?」
答えを求めて幻太郎さんの方を見ると、幻太郎さんはただ微笑んだ。その微笑みには全く何の意味もない。途方にくれて、遠く小さくなっていくOLさんの後ろ姿をじっと見てみたけれど、当然そんなことでストーリーが捻り出されるわけもない。
「もう降参ですか」
「だって、それ以上ヒントがないし……」
「別に、真実を言い当てろとは言ってないんですよ。当てずっぽうでも、荒唐無稽でもいいんです」
「ええ……? えっと……ストッキング履き忘れたルブタン好きの女性?」
「終わりですか? ……あなた、本当に小説家志望ですか? 正直言って、観察力は申し分ないです。ですが、折角の観察眼で見つけた点と点を結びつける力が弱すぎる。先ほど自分で挙げた特徴を結びつけて、ストーリーを紡いでみてくださいな」
オフィスカジュアル。パフスリーブ。赤い紐の社員証。生足。ルブタン。GU。
頭の中で並べてみるが、それらは一向に交わらなかった。ただ一つの箱にごちゃごちゃに入れられているだけで、まとまりもなければ、繋がりも生まれない。
「……そ、そんなに言うなら、幻太郎さんが見本を見せてよ」
苦し紛れにそう言うと、幻太郎さんは溜め息をハァと大きく吐いた。物凄く呆れられているのをひしひしと感じるが、そうも言いつつこうして指導をしてくれているのだから、案外面倒見はいいのかもしれない。
「別に良いですけどね。小生なら……そうですね、あの女性は以前から社長と不倫をしていて、これを世間に公表すると脅して大金をせしめていたんです。その金で買ったものの一つがあのルブタンです。憧れの靴だったのでしょうね。しかしその不貞は実は社長の奥方にバレていたのです。本日早朝、社長と彼女の密会現場のホテルに、奥方が弁護士を連れて現れました。公表されることで会社の名に傷が付くのは致し方ない、それよりも奥方は自身の誇りを取り、社長に離婚を言い渡し、彼女に慰謝料を請求したのです。全裸だった彼女は慌てて服を着て、その場から逃げ出しました。だからストッキングを履き忘れたのでしょう。また、荷物はスマホと財布だけを引っ掴んで来たので、急場凌ぎにその辺のGUで鞄を買ったと」
「……その場にいたのかってくらいの臨場感」
「あるいは、」
「他にもあるの?」
「あるいは、彼女は宇宙人です」
「は?!」
「地球を侵略するために潜入しています。シブヤのOLとは、良いところに目を付けましたね。色んな人がいるので、多少突飛な行動をしても不審がられない。きっと彼女は——彼かもしれませんが——外から地球の様子をよく観察して、念入りに潜入を試みた。確かにとても精巧に擬態できています。なかなか見破れるものではありません。しかし、彼女は一つのミスを犯しました。そう、ストッキングです。あれは宇宙人の視力では素肌と変わらぬよう映ったのでしょう。だからストッキングという存在を知覚できなかった」
「んな馬鹿な……」
「あるいは、」
「まだあるの?!」
「彼女は多分AV女優でストッキングを破る演出が、」
「もういいもういい!」
「あるいは靴擦れを起こしてストッキングが血まみれで、」
「いいって!」
確かに、幻太郎さんが紡ぎ出すストーリーは何故か不思議な説得力があった。幻太郎さんが話作りに使っている要素も、はじめに私が見つけ出した物と相違ない。私はそれらの要素と要素を繋げ合わせるのが極端に下手だし、幻太郎さんはそれが極端に上手いのだ。
「……それで。あなたの方はどうなんですか? 乱数と働くというのも大変でしょう。あの人は中々気まぐれですからね」
「ああ、うん……怒濤の1ヶ月だった。はじめの頃は良かったんだけど……」
多分、幻太郎さんは、これを聞くために私を今日連れ出してくれたのだろうと思う。さっきも思ったけど、実は面倒見が良い人なのだろう。
幻太郎さんと協力して乱数くんを探し出したあの日以来、私は乱数くんのもとで事務所の立て直しに奔走していた。と言っても、そう大柄でも力持ちでもない乱数くんと私にできることには限度がある。できる限りの片付けをした後は業者さんに連絡して段取りを付けたり、イケアのカタログを眺めて新しい家具に目星を付けたり、必要に応じて雑用をしたり、あとは乱数くんの雑談の相手をするのが主な仕事だった。なんて楽な仕事だろう。ラッキー。……等と思った、その矢先だった。
「一昨日、乱数くんが……忘れてた〆切を思い出して一気に修羅場モードに……」
「ああ。〆切を目の前にして我を忘れる気持ちは良くわかりますよ」
鬼気迫る様子で机にかじりつく乱数くんを前に、私に手伝えることなんてほとんどなかった。手を持て余してしまった私は、余裕もへったくれもなくなった乱数くんに『そんなに暇ならネカフェでも行ってくれば』と超弩級の嫌味を言われ、かと言って家にいてもすることがあるわけでもなく、入院している帝統のお見舞いでも行こうかなぁと考えていた所に、幻太郎さんから連絡が入り今に至る、というわけだ。
「ああでも、帝統は今、面会謝絶らしいですよ?」
「ええ?! そんなに具合悪いの?!」
「いえいえ、ただの複雑骨折です。……そうではなくて、お見舞いと称して賭博仲間が彼の病床に集まり、他の入院客も巻き込み金を賭けてのポーカーパーティを連日やったんだとか。病院としては、これほど迷惑なこともないでしょう」
「入院してもギャンブル……」
「ギャンブル依存の治療もついでにしてもらった方がいいと思いますがね」
幻太郎さんはくすくすと可愛らしく笑った。先日の、下手な愛想笑いを思い出す。比べてみると、いくらか気を許してもらえたと思っても良さそうだ。
「『俺のせいでナマエが一文無し』発言の真意を聞きたいんだけど……」
「まあまあ、そのうち退院してからで、いいじゃないですか。それに、そういうときこそ想像を膨らませてみるべきです。それこそが、トレーニングですよ」
「うーん、帝統が私のお金を盗んだとか?」
「お金盗まれたんですか?」
「いや、盗まれてないけど……」
私の記憶によれば、私が一文無しになったのは紛れもなく私のせいだった。何か大きな失敗をしたわけじゃない。ただ自分で自覚があるのは、ちょっと人よりもお人好しなところと、ちょっと人よりも見栄っ張りなところがあって、そのせいで気付けばお金がなくなってしまったのだ。例えば友達数人にお金を貸したら戻って来なかっただとか、当時の恋人にあげるブランド物のプレゼントを24回払いでいくつか買っただとか、友達や友達の友達や友達の友達の友達にご飯を奢ってあげただとか。
「まぁとにかく、その件については帝統に聞けば解決することですし、退院を待ちましょう」
「うん、そうする。……考えても、今の私にはいいストーリーは思いつかないみたいだし」
「おやおや、自虐的なことを言ってもフォローしてくれる人はここにはいませんよ」
「……そうみたいだね」
「時に、あなた明日は暇ですか?」
そう尋ねられて、修羅場モードの乱数くんに一昨日言われたことを頭の中で反芻する。『5日後締め切りの提出が終わるまで、事務所に来ないでね。役立たずにウロチョロされたら気が散るから』。一昨日の5日後、は明後日だ。ということは明後日までは事務所に行ってはいけないということになる。
「うん、多分大丈夫。明後日まで暇だよ」
「では、明日編集者と打ち合わせがあるので、同席して見学しますか? 少しは勉強になるでしょう」
「え?! いいの?!」
「ええ、一応あなたは小生たちの恩人というものらしいですからねえ、リーダーから邪見にされていて不憫なので、小生が手を差し伸べて差し上げますよ」
幻太郎さんはこちらを見ずにそう言った。真っ直ぐ前を見る、その視線の先には、まばらに道ゆく人々と、西日に照らされる木々があった。この人は今どんなストーリーを紡いでいるのだろうか、せめてそれを想像することが、今の私に出来る精一杯の小説家修業だ。
(220219)