シブヤディビジョンの誘拐(6)

「ぐああっ!」

 玄関に出てきた一人を幻太郎さんは瞬く間にラップで伸してしまい、流石の強さを思い知る。奥に踏み込むと、そこにはポーカーテーブルがあり、二人の男が手前に立っていた。一人はここまで来るヒントをばらまいてくれた安斉浩二その人であり、もう一人は恐らく先ほど事務所を襲ってきた際のリーダー格の男だろう。まさか私達が今日ここにくるとは思っていなかったようで、大変狼狽えている。

「わー! 幻太郎にナマエちゃんだぁ! どうやってここがわかったの? ていうか帝統はいないの?」
「まあ、諸々ありまして。……乱数、怪我はないですね?」
「うん、なーいよー! 超元気☆」
「無事で何よりです。……それで」

 幻太郎さんが安斉浩二たちに向き直る。男達は後ずさりしながらも、椅子に縛り付けた乱数くんと私達の間に立ち、乱数くんを奪われないように位置取った。ここまできても、まだ諦める気はないらしい。

「ま、まさかここに来るとはな……その様子じゃ、金は用意してないんだろう?」
「ええ、勿論。だいたい、あなた方だって、金銭目的ではないのでしょう」
「チッ。…………しかし、ここに攻め込んでくるには少々お粗末な戦闘力なんじゃないかぁ!?」

 叫ぶように言うと、安斉浩二はこちらに飛び出してきた。咄嗟のことに、私は身を竦める。ラップで応戦しようとする幻太郎さんに、安斉浩二が身体ごと突っ込み体当たりをした。派手な音を立てて床に倒れる二人に気を取られていると、後ろから腕を掴まれる。見ると、リーダー格の男が乱数くんに小刀を突きつけながら、私の手首をがっちりと掴んでいた。倒れたままの幻太郎さんに目をやると、こちらも安斉浩二が覆い被さるようにしながら小刀を突きつけていて、取り落とされたマイクは部屋の端まで転がっていた。乱数くんが相変わらず脳天気な声で「アハハ、結構ヤバーい」と言う。

「……卑怯ですね」
「所詮ラップなんかただの言葉遊びだ。本物の暴力には敵わねぇってことが良くわかっただろ」

 絶体絶命だ。戦力になるはずの二人の手元にはマイクはなく、刃が突きつけられている。

「有栖川帝統が来てねぇのは計算外だが。まあいい、ここで二人は殺っちまおう」

 リーダー格の男が、ゆっくりと乱数くんの喉に当てる。「ちょっとぉ、痛い、痛いって」流石の乱数くんもかなり焦った声色だった。

「や、やめなさい」

 幻太郎さんが追い詰められた表情で言う。当然男達はナイフを止めない。更に乱数くんの喉に刃を食い込ませ、じわっと血が滴り落ちる。

「やめなさい!」

 突然、幻太郎さんはそう叫んだかと思うと、自身に突きつけられている刃を気にも止めず飛び出した。勢いで、小刀が鎖骨の辺りに触れ、血飛沫が飛ぶ。「おい!」男達が混乱する間もなく、幻太郎さんはそのままリーダー格の男と乱数くんの方に突っ込んだ。ガタガタと椅子ごと乱数くんが倒れる音で私も我に返る。私は弾みで飛び出し、安斉浩二に体当たりする。安斉浩二はまさか自分の方に来るとは思っていなかったらしく、意外にもあっさりと小刀を取り落とした。幻太郎さんの方を見ると、リーダー格の男から小刀を奪い取り、リーダー格の男に振りかざしている。「何やってるんですか! だめ、」「こいつはこうでもしないと、」短い応酬の後、幻太郎さんが振りかぶる。

「……っ! やめろ!! バカかあんたは!!」
「…………!」

 私が叫ぶと同時に、遠くの方からサイレンが聞こえた。全員が息を飲んで窓の方を見る。パトカーが放つ複数の甲高い音は、明らかにこちらに向かって徐々に近づいてくる。

「警、察……」

誰ともなく、呟いた。大勢が階段を駆け上ってくる足音が聞こえる。カタン、と幻太郎さんが小刀を床に落とした。





「事情聴取ってこんなに疲れるんですね……」

 私達3人が解放されたのは、深夜にもなろうという時間だった。3人それぞれが、ぐったりと疲れ切った顔をしていた。乱数くんは喉の辺りに小さな絆創膏を貼っているけど、幸い余り大きな傷にはならなかったようだ。幻太郎さんは飛び出した時に鎖骨の辺りを深く怪我していて、簡易的に貼られたガーゼが、破れた服の襟元から覗いている。そこに染みこむ血が、見ていて痛々しかった。

「反ヒプノシスマイクを叫ぶ、武力至上主義者による犯行だったみたいですね。目立つグループを武力で制圧して声明を出すっていう計画で、Fling Posseが標的にされたみたいです。さっき刑事さんが教えてくれました」
「確かに、各ディビジョン代表の中で言うと、僕達が一番ケンカ弱そーだもんね! 狙うのもわかる〜って感じ」
「……警察を呼んだのは、ナマエですか」
「あ、はい……ごめんなさい。帝統には止められてたけど、やっぱり命には代えられないし。……正直、最悪帝統が捕まってもしょうがないかなって」
「あはは! 確かに、あの時警察来なかったら、3人とも死んでたよねー!」
「……乱数くん、明るく言わないでよ」
「助かったんだから、結果オーライでしょ☆」

 乱数くんは明るく笑った。対して、幻太郎さんは渋い顔でため息を吐いている。

「ていうかぁ、二人で協力して僕を見つけ出してくれるなんて、めちゃくちゃすごいよ! 名コンビ誕生だねっ!」
「そ、そんなこと言ったら幻太郎さんに怒られるって」
「ふむ、確かに……」
「ええ?!」
「良い小説の題材にはなりそうです。……馬鹿でケチでド貧乏な小娘の物語」
「えええ?! う、嘘です、よね?!」
「さあ?」

 警察を出て、3人連れ立って歩く。渋谷の警察署は駅のすぐ近くだ。きっと、治安の悪いこの街で、抑止力の意味合いもあるのだろう。深夜とは思えない明るさを放つこの街は、今日も相変わらず五月蠅く光っている。

「ところで乱数、あなたの自宅兼事務所は半壊状態なわけですが。今日はこれからどうするんですか?」
「幻太郎んち泊めてくれるよね? ……って言いたいところだけどぉ、とりあえず今日は命の恩人ナマエちゃんと一緒にネカフェでパーティしちゃおっかなぁ!」
「そうですか。……ナマエ、あなたは?」
「私はまたネカフェ生活に戻るしかないかな。今日は乱数くんがいるから楽しそう」
「……ああっ! いいこと思いついちゃった!」

 急に乱数くんが立ち止まった。幻太郎さんと私も、一歩遅れて立ち止まり、彼の方を振り返る。

「僕やっぱり、明日からナマエちゃんを雇う!」
「えっ、乱数くん本当?!」
「人手は足りているという話では?」
「いやいやー、あのめちゃくちゃな事務所を片付ける人が必要だもん。……それに、ナマエちゃんには、助けてもらったおっきい借りがあるからね、仕事と家くらい、僕が用意しちゃう! しばらくは事務所の片付け、終わったら、んー何か色々お手伝いしてもらう! だいたい週休2日で、だいたい1日8時間のフレックス制、給料は前職と同じかそれ以上で応相談、僕が初期費用は出すから借り上げた部屋に住んでもらって、家賃云々は給料から天引き。どうだ!」
「そ、そんな……」

 願ってもない好待遇だ。私は飛び跳ねて乱数くんの手に飛びついた。「是非、お願いします!」

「やったぁ! お片付け隊人員確保〜!」
「家も用意してあげるだなんて、乱数はおなごに甘いでごわすなぁ」
「もっちろん、お姉さんには優しくしなくちゃねー!」

 喧騒の中、幻太郎さんのスマホのバイブが鳴る。「もしもし、……ああ、帝統。ぜーんぶ、解決しましたよ、あなたがのこのこ骨折している間に」とにこやかに言う。私はお腹いっぱいに街の空気を吸い込んだ。人生の中で、こんなに疲れたのは初めてだった。それに、こんなに人生が転換したのも。シブヤの街を歩く二人の姿に、胸が躍るのを止められない。

(220115/シブヤディビジョンの誘拐 fin.)