その腕で抱きしめて 02
「ハル! ちょっといいか」
クリスマスイブ当日。
始業時間になってすぐ、フロアに顔を出したのは営業部にいる錆兎だった。
真面目で男気のある性格ながらも、少しお節介というか世話焼きな彼は、ハルの気持ちを知っているひとりでもあった。
「錆兎、どうかした? 急ぎの案件?」
「そう急いでるわけじゃないが……うん、まぁいいんじゃないか?」
「え、何が?」
来てそうそう、顎に指を乗せてハルを一瞥した錆兎は、少し口許を緩めると、座っているハルに近づくように腰を屈めた。
宍色の髪が視界に入る。
耳元に顔を近づけた錆兎は、「そのメイクもリップも、似合ってる」と小さく囁いた。
こんな風に些細なことに気づくのは錆兎の元々の性格で、それを分かっていながらも、自分なりに試行錯誤して頑張ったことを褒められたら誰だって嬉しい。
デートではないが、クリスマスイブを実弥と過ごせると報告したので、恐らくひと言いいに来たのだろう。
ありがと、と若干の照れを隠しきれずに答えると、錆兎はようやく顔を離し距離を取った。
同期で意識する相手ではないにしろ、彼は社内でも人気がある。そんな彼との距離にハルがトキメかないにしろ平気でいろというのは無理な話だった。
「まぁ、頑張れよ」
ポンと肩に乗った錆兎の手。
そこにあった視線から何となく顔を上げると、フロアの入口に、実弥の姿を見つけた。
ハルの方を見て少し目を見開いていたのだ。
一瞬で、肝が冷えるような感覚だった。
何もやましい事はしていないけど、彼の表情がいいものでは無いと伝わってきたからだ。
立ち上がろうとしたハルだったが、実弥は視線を静かに外すと、背を向けて行ってしまった。
気のせいかもしれない。見間違いかもしれない。
だけど、ハルの不安は大きくなり、気づけば接待の時間が迫ってきていた。
◇
「では、また年始にでも企画書類をお持ちします。今後ともよろしくお願いします」
「頼んだよ、不死川くん。それと、藍沢さんも、行ける口みたいだからまた次もぜひ」
「ええ、社長。今度もよろしくお願いしますね」
店の外、寒空の下でタクシーを拾ったハルは、取引会社の社長と担当者を乗せると、頭を下げて見送った。
接待は滞りなく終えた。
だが、ハルの心は昼間の出来事の不安でいっぱいで、その所為かいつもはそんなに飲まないお酒を次々に流し込んでいた。
車が角を曲がり顔を上げると、その酔いが一気に体中を駆け巡るような感覚がした。
仕事だからと気を張っていたものが無くなったからだろうか、グランと目眩がする。
渦を巻く視界に、倒れる、と思ったが、それを阻止したのは隣にいた実弥だった。
「オイ、大丈夫かァ……飲み過ぎだァ。途中で止めたのも無視しやがって」
背中から腕を回し、軸の定まらない身体を支えてくれるその腕は、思った以上に逞しく温かかった。
温もりと吐息を近くに感じ、キュッと心が締め付けられる。
顔を上げると当たり前に絡む視線。
アルコールの所為で少し滲んた視線の先、ハルを見つめる実弥からは心配の色が見える。
昼間の彼の視線を思い出した。
錆兎との仲を、まだ勘違いしているのだろうか。もう期待は出来ないのだろうか。その瞳には、どう見えたの。
言いたいことは沢山あったが、一番伝えたくて知っていて欲しいと思った心の奥にあった感情が熱を帯びていく。
「実弥先輩……好きです」
白い息が儚く消えていく。
ハルの抑えきれない想いが溢れた瞬間だった。