大人の階段 08

「被れよォ」
「……」
「お前のだ、しっかり被れェ」


 ヘルメットを被ることを躊躇った私を無視して、無理やり被せると、両脇に手を入れ軽々と私を持ち上げバイクに乗せた。
 あの人の、ヘルメットなんじゃないだろうか。そんな不安が頭から消えなかったけど、前に実弥お兄ちゃんが乗って、私の両手を掴むと、自分の腰に巻き付けるようにするから、心臓が一気にうるさくなってそんな事はすっ飛んで行った。


「実弥お兄ちゃん! ち、近いよ」
「しっかり掴んどけェ。離すんじゃねェぞ」
「…うん」


 ギュッとそこに力を込めると、実弥お兄ちゃんのお腹で繋がっている私の手に、温かいお兄ちゃんの手が一瞬触れた。
 大きな背中に頬を寄せる。心拍数がどんどん上がって苦しい。私の耳に伝わる鼓動も、心なしか速い気がするのは、私の勝手な解釈だろうか。
 風を切ってスピードを上げるバイク。もう、涙は枯れていた。


 どこに行く、とかそういう言葉がないまま、実弥お兄ちゃんはバイクを走らせた。
 朝から何も食べてないという私を怒ってから、早めにファミレスでご飯を食べた。それから映画館に連れていかれて、その中から見たい映画を伝えると、何も言わずにチケットとポップコーンを買ってくれた。それも、私の好きなキャラメル味。
 なんだかデートしてるみたい。
 徐々に心が弾んでいく私だけど、何も言ってくれない実弥お兄ちゃんが不安でならない。
 上映中も、チラチラと横目で顔を見るも、実弥お兄ちゃんはまっすぐスクリーンを見ていただけだった。ポップコーンを取る時に触れた指も、私だけがドキドキしていた。


「…着いたぞォ」


 映画館を出たあとてっきり帰ると思った私は、鼻をかすめる潮風と実弥お兄ちゃんの声に顔を上げた。
 人気のない砂浜と静かな波。ボケッと見てる私からヘルメットを取ると、また軽々とバイクから下ろしてくれる。それから何も言わずに、実弥お兄ちゃんは私の手を取って歩き出した。
 繋がっている手が熱い。手を繋ぐなんて、私が迷子になってお兄ちゃんが見つけてくれた時以来だよ。


「…あちィな」
「うん」
「日焼け止め塗ってきたかァ」
「うん」
「元気ねェじゃねぇか」
「…うん」
「もう嫌いかァ? 俺のこと」
「う、……え?」


 手を引いたまま少し振り返った実弥お兄ちゃん。その顔は、今まで見たことない表情だった。眉毛を下げて目を細めて…なんだか苦しそう。
 嫌いなわけないじゃん。なんでそんな事―――


「さっきの、聞いてたの?」
「…耳に入った」
「キライに、なれたらって思ったよ。でも出来ない」
「……」
「私は、実弥お兄ちゃんが好きだよ。大好きだよ! ずっとずっと言ってるじゃん! だけどっ…だけど、実弥お兄ちゃんは違うでしょ?! 私の事、なんとも思ってな――」


 息が詰まって、言葉が出なかった。
 一瞬何が起こったか分からなかったけど、私の顔が実弥お兄ちゃんの胸に当たっているのだけは分かる。背中には、力強く腕が回されている。
 実弥お兄ちゃんの顔が私の肩に埋まっていて、耳を掠めた小さな言葉に、体の奥からなにかが溢れ出そうだった。


「…実弥…お兄ちゃん…」
「頼むから、嫌いなんて言わないでくれ」
「実弥お兄ちゃん…もう一回、言って」
「……」
「お願い…」


 視界に映る、実弥お兄ちゃんの耳は赤い。脈打つ音が加速していく。


「好きだ…ハルが、好きだ」


 嬉しくても、涙が出てくることを初めて知った。

novel top / top