慈しみの味がする
今でも夢に見る。
呪術師として出戻りして、今までの労働もクソだったが呪術師もなかなかにクソだった。時間外労働に2徹も当たり前、いつだって人手不足だ。一級になると敵の強さも比例してくる。
前職の時はどうにか立ち回っていたが、復帰してからは何だかんだ日々追われていて偏った生活をしていたと思う。
「おかえり!ほら、七海!早くお風呂に浸かってきて!」
「…もう今日はシャワーでいいです。疲れた。」
「湯船に浸かった方が疲れ取れるの知ってるでしょ。ほら、無駄に広い風呂があるんだからさっさと浸かってきて!」
精神も体もボロボロで帰宅すれば、玄関先には自分よりサイズの小さい靴がちょこんと並んでいて、疲れた胃を刺激する食べ物の匂いが香ってくる。音で帰宅に気付いたのか、リビングから顔を出して彼女は浴室がある扉をすぐに指さした。ネクタイを外しながら疲れで億劫になって返事をすれば、もう決定事項のようでその意見は通らなかった。
元同級生で、同期で、恋人の彼女はいつも食事を作ってくれる。朝や昼はお互いに忙しいから各自だが、毎日晩飯は用意されてる。遅くなった日も、帰れない日も、家に帰れば机の上に丸文字で書かれたメモとラップされた飯があった。
彼女が一度決めた事を曲げないのを知っているので、溜息を吐き出せばそれを見逃さんと言わんばかりに一気に笑顔になる。私のジャケットと鞄を素早く受け取りパタパタとリビングに戻っていく彼女には、いつも負けてしまうのだ。
「すみません、お待たせしました。」
「いーえ!温め直すから一緒に食べようか」
「…遅くなる時は、先に食べておいてもいいんですよ」
脱衣所に用意されていたいつもの部屋着に着替えて髪の毛の水滴をタオルで取りながら部屋を出ると、リビングの机に頬杖ついてスマホを見ていた彼女が顔をあげた。もうメイクを落として髪の毛を下ろしているので、先に風呂には入ったのだろう。浴室にも彼女の使うシャンプーの匂いがしていた。机の上のすっかり冷めた晩御飯たちを温める為にレンジに入れている後ろ姿に声をかけると、キョトンとした顔で振り返った。そしてふわりと笑う。
「一緒に食べたら、もっと美味しくなるんだよ」
「…しかし、出来立てのが美味いでしょう」
「そしたら、七海が料理出来たらすぐに帰ってきてくれれば解決するね」
噛み合わない会話をしながら、手を合わせて食事にする。思い返せば朝から何も食べてない気がするので、漂う香りにお腹が早くと急かしている気分だ。特に食事の時に沢山喋る訳ではないが、ポツリとお互いにその日あったことなど他愛もない話をする時間は嫌いじゃなかった。
食事が終わって、彼女が入れてくれたコーヒーを飲みながらソファに座り一息つく。彼女に視線をやれば、食器を洗い終えるとココアを飲みながら私の横に座り書類に目を通し始める。浴室のシャンプーと同じ香りのはずなのに、彼女から香る匂いは全く別物に感じた。小さく唸り書類をめくり、報告書を作成している彼女を観察してみる。
「…最近、貴方頑張ってますよね」
手元に落ちてくる邪魔そうな髪を耳にかけてやりながら、ふと呟くと驚いたように見上げてくる目線と絡まり合う。色素の薄い瞳が大きく開いていて、すぐに嬉しそうに笑いながら細められた。
「七海が褒めてくれるなんて珍しいなぁ!私、明日が命日なんじゃない?」
「なんですかそれ。縁起でもないバカな事いうのやめてください。」
「言葉のあやよ。それくらい嬉しいってこと!」
呆れて溜息を吐いても、彼女は頬をほんのり赤らめ笑う。まるで猫のように擦り寄ってくるので、髪を一度撫でてそのまま頭を引き寄せ口付けると自分のコーヒーの味に甘いココアの風味が混ざり合った。この時間が、堪らなく大切だった。
「七海さん…大変申し上げにくいのですが…」
次の日。いつもと同じ日のはずなのに、伊地知くんからかかってきた電話でその日が変わった。いつものビクビクした声よりも、もっとか細く震えた声で、告げられた言葉はまるで信じられなくて最後まで聞かないまま電話を切って走りだした。周りなんて気にする余裕もなくて、医務室に着けば家入さんと五条さんが丸椅子に座っていて、改めて血の気が引いていく。
「…損傷が激しくて此処じゃなくて安置所だよ。ま、もう誰かわからない状態だけどね」
五条さんが顔を上げると、なんの感情も乗ってない声で淡々と言葉を繋ぐ。いつものうるさい話し方じゃないから、どこか別人のようで、そしてその内容も現実味がなくて走ったせいで息切れている自分の呼吸だけが医務室に響いている。何か言葉を出そうとしても、喉が渇いてて音を発す事がなく口の開閉を繰り返すだけになっていると、五条さんが縋るように強く握っていた手を目の前で開いた。それはいつの日か私が彼女にあげた指輪で、彼女の白い指に綺麗に輝いていたはずなのに赤黒い血に染まって寂しく掌に転がっていた。まるで呼吸を忘れていたかのように一気に酸素が体に入ってきて、医務室を飛び出そうとすると五条さんに一瞬で壁に押さえつけられた。
「おい、離せっ…!」
「落ち着けって七海。灰原の時とは状態が違うんだ、見ない方がいい。」
「そんなの、納得できる訳ないだろ!」
医務室に私の叫び声と、五条さんの静かな声が響いて、ひどく虚しかった。何度呼んでも返事のない彼女の名前を、ひたすら叫んだがその姿を見ることさえ出来ないままだった。
「また、あの夢か…」
重たい瞼を開けると、見慣れた天井が見える。いつの間にソファに寝ていたようで起きたら肩や背中が凝っていて少し痛い。彼女が殉職して、時間が経ったが、彼女がいない部屋に慣れることなどなく何か物足りないままだった。気がついたら、キッチンやソファなど家の中で面影を探してしまう自分がいて、自分に呆れながら朝食用に昨日買っておいたパンを食べる。
「…たしかに、一緒に食べないと何も美味くない」
好きなパン屋のパンだったのに、どこか味気ない。呟いた言葉も、一人の部屋ではそのまま消えていく。タイミングよく鳴り響く携帯の音に、今は何も考えたくなくてジャケットを羽織ってもう残り香を感じない家を出た。
駆けつけた先にいた呪霊は思ったよりも手強かった。階級は一級だが、タチの悪い異形型な上に地盤を緩められ足場が悪くて近寄りにくい。距離感を伺っていると、砕けた岩が雨のように降ってきた。細かいが避けられないスピードではないので鉈で振り落としていたが、死角から飛んできた岩が額にもろに当たってサングラスが弾け飛んだ。どろりと滴る血が目に入ったタイミングで、それを狙ったように呪霊の腕が伸びてきて押さえつけられる。
「ぐ…っ」
完全に油断した。骨が嫌な音を立てて軋むので眉を寄せる。ヤバイと思う反面、夢見のせいでどうでもいいとさえ思ってしまった。勝利や生にしがみついているが、何の為なのだろうか。死んだ人の分まで生きるだとか、そんな綺麗事だろうとさえ一瞬過った。あぁ、彼女もこんな風にいたぶられ苦しみ痛みに耐え泣いていたのだろうかと思うと胸が苦しくなる。会いたい、と。それだけ思って血で霞む目を閉じた。
「こら!七海…!何、やってんのよ…!」
「……っ」
聞きなれた声。よく口うるさく言われていた口調。瞑っていた瞼を開けると同時に体の上に乗る重さがなくなった。飛ばされた呪霊と、目の前に記憶の中よりも髪が伸びた彼女の姿があった。あぁ、私は死んだのか?なんて都合のいい走馬灯なんだろうと思ったが、敵が倒されていくのを見てそうでないと気づいた。あんなに手こずっていた奴は彼女の小さな足元に倒れており、こちらを振り返る。あの時より少し大人びていて、綺麗になった。
「、なんで…」
「…あの時、二週間、ずっと眠ってたの。起きたら、もう私は死んだことになってるから、極秘で情報収集員になってくれーって」
思ったより自分の声が震えていたので驚いた。近付いて俺の前でしゃがみこむ彼女は気まずそうに目を反らしながら自分の来ていた服の袖を破く。
「勝手だよね!何も私の物持って来れないし、誰にもお別れ言えなかったし、そうそう!影武者で他の遺体提出したって言われたんだよね!」
彼女は、昔と変わらない明るい声で話しながら破いた服で額を拭って傷口を手当てしてくれるが、その手が震えているのが伝わってくる。笑っている口元もうまく笑えていなくて、目が合うとじわじわとその大きな瞳が涙で溢れていった。
「ごめんね、七海…」
震える声で名前を呼ぶ彼女をそのまま抱きしめた。昔と変わらない温もりと匂いに、心底安心する。必死に痛いほどかき抱いて腕の中から逃さないように力を込めると、苦しいはずなのに抱きしめ返してくれた。懐かしい温もりにツンっと鼻の奥が疼く。
「もう、いなくならないでくれ…ッ」
「う、ん…!」
縋るように抱きしめると、彼女が体を震わせ嗚咽を漏らしながら声を振り絞るので尚更キツく腕の中に閉じ込める。彼女の泣き声が止むまで、暫くそうしていて徐々に落ち着いてくると名残惜しいが一度体を離す。泣き腫らして真っ赤になった彼女の目尻を親指で撫でたあと、ポケットからずっと持っていた指輪を出してその白い掌に乗せてやった。
「…なくなったと、思ってた」
「なくしても、何度だって新しいものを買ってあげます」
驚いたように目を開きまた泣きそうに笑う彼女の指にまた昔と同じように通すとピッタリと指にはまった。どことなく指輪が嬉しそうに見えて、指先に口付けたあと、少し伸びた髪を撫でて小さな唇に思い出をなぞる様にキスを零した。
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