それは暑い夏の日のこと



「あっ…つい!」

 命の灯火を燃やすように蝉があちこちで鳴き狂い大合唱をしていて、服の袖から出ている肌は日差しで焼けるようにジクジクと痛い。呪霊を祓って補助監督さんの車を待ってまだ五分。思わず心の底から声が漏れてしまう横で、同期の七海はジャケットを腕にかけてただ黙ったままだった。

「暑い。もう耐えられない。七海、今日ビアガーデン行こう。」
「悪くないですね。」

 どうしようもない暑さにグダグダと文句を言って少しでも生きがいが欲しくてそう提案すると、ずっと黙っていた七海から被せ気味に返事が帰ってきた。いつも涼しい顔をしている七海も、なんだかんだ参っているようだ。そんな暑さの中でも、ちゃんとネクタイをしているのは七海らしい。それからは体力を使わないようにお互いに無言で、やっとやってきた補助監督さんの車に乗り込んだ瞬間に車内の空調に大袈裟ではなく本当に命を救われた。

「予約あいててよかったね。」
「お酒の種類も豊富でしたし、期待出来そうです。」

 空調のお陰で肌を伝っていた汗もすっかり引いて、スマホの内カメでファンデーションのヨレと髪型を軽くだけチェックしてから画面を閉じる。先程までとにかくネットで黙々と二人で検索をかけて、評価も悪くなさそうなお店を見つける事が出来たので速攻予約した。ちらりと隣を見ると、七海が明日の任務の書類に目を通している。
 七海と飲みに行くのはいつぶりだろうか。一時期は顔を合わせる度に何かしら理由を探して誘って、七海のおすすめのお洒落なお店に連れて行ってもらったり、SNSで見た美味しそうなパン屋さんに行ったりしていた。理由は言わずとも、私が七海が好きだからである。学生の時についた恋心は、一度離れて再会すると燻っていた気持ちがまた燃え上がるのは簡単だった。必死に自分なりにアピールしていたけど、昔から何も変わらない七海の態度に流石に大人になった私は脈なしな事に気付いた。同じ職場で気まずくなるのを避ける為に、元の同僚の距離感に戻ろうと少しだけ距離を置いていて、今日は久々に七海と同じ任務になったわけだ。もう一度、チラリと横の七海を盗み見る。真っ直ぐと高い鼻筋に窓の外から差し込む夕日が彼の髪の毛をキラキラと照らしていて、とても綺麗だ。くそう、やっぱりかっこいいな。

「こちらで大丈夫でしょうか?」
「あ、はい!ありがとうございます!」
「お疲れ様でした。またよろしくお願いします。」

 ゆっくりと停車してハザードを出してこちらを振り返る補助監督さんの言葉に意識が戻ってきて、慌てて返事をすると頭を下げて慌てて荷物をまとめる。いつの間にか七海も書類を鞄にしまって身支度を整えていて、二人で補助監督さんにお礼を言い車を降りた。先程よりも少しマシだが、やはり外の空気はもわりと地面から熱気が込み上げてきて本当に暑い。周りを歩く人々も、うんざりしたように額の汗を拭うサラリーマンや、手持ちの小さな扇風機でぬるい風を運ぶ女子高生などで溢れている。気持ち早足で日陰を求めて歩きながら目的地のお店を目指す途中で、ふと人混みの中でもカランと音が耳に届いた。

「あれ、今日お祭りなのかな?」

 その音の先には浴衣を着た女の子がいて、その子が歩くたびにカランコロンと木がアスファルトを叩く音がする。アップにまとめ上げられた髪で頸が無防備に晒されており、じんわりと汗が滲んで襟足の後毛が張り付いている。暑そうにパタパタと手で風を送っている少女の姿から、なんだか目が離せなかった。

「そうかもしれませんね。帰りの電車が混まないことを祈りましょう。」

 私が足を止めたのに気付いて、七海も隣に立って目線の先の少女へ目を向ける。そうするとそこに同い年くらいの男の子が走ってやってきて、その姿を捉えた少女の瞳がくるりと一回り大きくなったように見えた。人混みで話し声は聞こえないけれど、一言二言交わして二人が楽しそうに笑っている。彼の言葉に少女は照れ臭そうに笑って、そんな表情を見て男の子の細められた瞳は愛おしさに溢れている。そのまま二人は手を繋いで、人の波に飲まれてあっという間に消えてしまった。

「お祭り、かぁ…」

 眩しいくらいの青春の一ページに、クラクラと目が眩みそうだった。そう言われると、私は七海とお祭りに行ったことがないな。あの頃はまた来年行けばいいや、なんて呑気な事を思っていたのかもしれない。当たり前にまた来年も同じ夏が来るなんて、何で当たり前に思っていたんだろうか。沢山の人混みの中に、元気に笑う同級生の背中がチラリと見えた気がした。

「行きたいんですか?」

 陽炎のような幻想から目を背けると、七海がこちらをじっと見下ろしていて乾いた喉がゴクリと鳴った。七海とお祭りに行きたかった。あの頃の七海は今よりもまだ初々しさがあったから、誘ったらなんて反応したんだろうか。私の浴衣姿を見て、少しは可愛いとかときめいてくれたかな。とか。そんな事を思い描いて期待するけど、結局はそれはたられば話なので、小さく首を振ってあの可愛らしい少女とは違う色んなものを誤魔化すのが上手くなった大人の笑みを浮かべた。

「ううん。それよりキンキンに冷えたビールを一気飲みしたいかな。」
「…同感です。」

 笑って歩き出す私を七海はなにか言いたげにしてい多けれど、その言葉を飲み込んだのか同意してサングラスを外して胸ポケットに入れて頷いた。再び二人で歩き出して時々打つかる七海の腕は逞しくてビクともしないし、肩は思い出の頃より随分上にあって時の流れを感じる。

「もう、誘っていただけないのかと思っていました。」
「へ?」

 地図アプリでお店の場所を探していると、ふと頭上から言葉が降ってきて顔を上げた。身長差のある七海は相変わらず私を見下ろしていて、サングラスを挟まない瞳は真っ直で一瞬言葉に詰まる。私が距離を取ったのはバレバレだったようで、自分の幼稚な態度だったのが恥ずかしくなった。そりゃそうか、あんなにご飯に誘って連絡とってたのにいきなりそれが無くなったらバカでも気付く。熱くなった頬を誤魔化すように言い訳を探して足元に視線を落とした。

「あー…ごめんごめん。ちょっと立て込んでて。」
「そうですか。私はてっきり嫌われたか、誰か好きな人が出来たのかと思ってました。」
「そ、んな訳、ないじゃん」

 まさかの七海の発言に、上手に弁解出来なくてそんな言葉しか出てこなかった。嫌うこともなければ、七海以外に好きな人なんてずっといないのに。でもそれを言ってしまうと思いがけない告白になってしまうから説明ができなくて、うううと低く唸りながら悩んで視線を彷徨わせていると頭上で七海の溜息が聞こえてきた。

「そうですか。それならもう逃げられたら堪らないので、今夜はしっかりと口説かせてもらいます。」
「…へ?」

 再び呆けた声が漏れて、必死に集めていた言葉は勢いよく解散する。さっきまで嫌気が差していた暑さが気にならなくなったのは、きっと私の体温が上がってきているからなんだと思う。そんな素振り、いつも涼しげに飄々として全く見せてこなかったくせのに。冗談かと思って口を開きかけたけど、その瞳がこの日差しに負けないくらいジリジリと熱を孕んでいて出かけた言葉と一緒にごくりと飲み込んだ。

「ほ、本気…?」
「えぇ、貴女の為なら今から花火大会に行ってもいいくらいに本気です。」 

 冗談か本気かわからない七海の言葉に、先程の浴衣の女の子の後ろ姿が脳裏をチラつく。きっと私が花火大会に行きたいといえば、人混みにうんざりしながらも七海は付き合ってくれるんだろう。なんだかんだ優しい彼が、昔も今も好きだった。そんな七海を見たい気持ちと、でも今の状況はビールを何杯か流し込まないと恥ずかしくて彼と会話出来なさそうな気持ちが喧嘩している。立ち止まっているといろんな感情が爆発してしまいそうで、わざと聞かなかったふりをしてあと徒歩2分の表記に従って彼の手を取って歩き出した。

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