飼い猫には首輪をつけて
いつも通り、と意識すればする程、変に力が入って普段がどんな感じだったかを全然思い出せない。自然に、をモットーにしていたのにその真逆で挙動不審な私は不自然極まりなくて、今日帰宅してからの時間だけで何回日下部さんに変な目で見られた事か…もう途中から数えるのをやめてしまったくらいだ。
「アッツ!!」
「おいおい、何してんだよ」
さっきだって、タイミングを考えていたら自分で作った味噌汁の熱さに驚いて舌を火傷してしまった。冷まさない自分と、こんな熱々に作った自分の両方が恨めしい。
日下部さんがお風呂に入っている間に食べ終えた食器を食洗機に突っ込んで、いよいよ自分なりのタイミングの時間になったけれど、どうにも踏ん切りがつかない。
「やっぱやめようかなぁ…」
ソファーに広げたそれを撫でながら、ボソリと一人の部屋で呟く。それっていうのは、今日ルンルンの先輩から無理矢理着けられた猫耳ってやつで。黒のふわふわとした素材の耳は質感が良くて、そこら辺の安いお店で買ったコスプレ用品って感じではないのが流石五条さんって感じだ。黒のレースがベースになっていて、真ん中にリボンとゴールドの鈴がちょこんと付いてるチョーカーもオマケでセットになっていた。その鈴に触れると、チリンッと小さい音が鳴る。たまたま一緒に職員室にいた同期の七海くんも色の違う猫耳を押し付けられていて、心底嫌そうに顔を顰めていたのを思い出して苦笑いが溢れてしまった。
「…やっぱやめよう。こういうのはその場の勢いとかノリが大切で…」
「なにブツブツ言ってんだ?」
「わぎゃー!」
職員室では笑ってる五条さんがいたから何となく楽しい雰囲気だったけど、いざ家でそれを出します!ってなると話が変わってくる。自問自答した結果、鞄に戻そうと首を振って手に取った瞬間背後から声が聞こえて思わず変な奇声をあげてしまった。バクバク煩い心臓がある部分のシャツを握り締めながら振り返れば、お風呂上がりでまだ水気のある髪をガシガシと乱暴にタオルで拭いてる日下部さんがいた。また何度目かわからない視線をいただいたが、その視線が下へと下がると対照的にタオルから覗く口元が上がっていく。
「ほーん……なに?そういうのがしてぇの?」
「アッ、いや、これは違ッ…!」
その視線を追えば、私の手元には例のセットが握り締められていたので慌てて背後に隠す。それでも見られてしまったのは変わりなくて、いつもみたいに揶揄うようにニヤニヤしてる日下部さんが距離を詰めてくるので、慌てて言い訳する為に言い淀んでいた口を開いた。
「ご、じょうさんが…今日猫の日だから、って…職員室で配ってて…」
「猫の日ぃ?」
「ほら、2月22日で、にゃんにゃんにゃん…みたいな…」
あー、なるほど。と意図がわかった様子の日下部さんが相槌を打ちながら隣のスペースに腰掛けた。五条さんの名前が出た途端に、面倒に巻き込まれたなお疲れさんって顔に書いてある。此処まで来たら、もうヤケクソになって後ろ手に隠していたカチューシャを自分の頭に勢いよく装着した。
「きっと、日下部さんが喜ぶからって言われたので…借りて、きま、した…。」
威勢よく挑もうと思っていたが、やはり途中からこの年で何をしているんだという念に駆られて最後の辺りはモゴモゴも口の中に消えていってしまった。おずおずと彼を見上げれば、少し驚いたように小さい黒目を開いていて、でもすぐにいつもみたいな気怠そうな表情に戻る。
「喜ぶもなにも……まぁ、猫耳って感じだな…」
うん、まぁ、そうですよね。私たちはいい大人で、大学生とかそういうキャッキャする年代でもないから、別に人につけられたニセモノの耳なんて特に何とも感じないだろうなとは凄くわかる。私も反対の立場だったら、猫耳つけたおじさんよりも、いっその事本当の猫ちゃんが家にいてくれた方が何百倍も嬉しい。もうすぐアラサーの女の猫耳姿なんて誰得すぎる。
「…なぁ、それもセットか?」
「え、あぁ…そうですね。」
「ふーん……そしたらつけてやるよ。」
この空気をどうするべきか悩んでいると、その沈黙を破るように声をかけられて顔を上げる。それ、というのは私が片手に握りしめているチョーカーのことで、ゆっくりと頷けば少し考えた様子で見つめた後にまさかの提案をされて次は私が目が点になる番だった。別にチョーカーはそんなに重要視してなかったからどちらでもいいけれど、本人はもうやる気のようで自分の膝を叩いて此処に来いと促してくる。いや、此処じゃダメなのか。膝に座るのは少し恥ずかしい。そう思って無言の抵抗をしたが、頑なに譲る様子のない目線に私が早々に折れて溜め息を一つだけ漏らしてからノロノロと重い足取りで彼を跨ぐように太腿に腰掛けた。
「苦しくねぇ?」
「大丈夫、です。」
首後ろでチョーカーの引き輪をつけるために日下部さんの顔が耳元に近付いたせいで呼吸を感じてくすぐったい。カチッと小さい音が聞こえると、レースと私の首の間に指を一本入れて苦しくないか確認してくれた。名残惜しいが体が離れていって、体制的にちょうど日下部さんの目線が私の首元の位置にきた。レースの縁を撫でて、もう固定されてるから解ける事のないリボンの端を軽く引っ張られる。その振動で小さく震えた鈴に目を止めると、ゆっくりと瞬きをしてから直接それに触れて部屋の中にチリンっと音が響いた。
「……あの、日下部さん…?」
「あ?……あぁ。案外悪くねぇかもなぁ」
かれこれ5分位、無言で日下部さんがチョーカーと鈴を触ってるから何とも言えない気分になってきて耐えられなくて声をかけた。体感時間だと1時間くらい経ってる気分だ。私の声に意識が戻ってきたのか、ボソリとそれだけ呟いてそのまま私の胸元に顔を埋めるように抱き着いてきた。
な、なんだ…?なんだか、日下部さんが甘えたさんみたいで可愛いぞ…?きっと、普段気まぐれで素っ気ない猫が不意に甘えてくる時ってこんな気持ちなのかな、と思いながらゆっくりとツンツンしてる頭を撫でてみた。付き合い始めて私好みに変えてくれたシャンプーのお陰で、当初よりなんとなく柔らかく感じる髪の毛の感触を味わってると胸元から顔を上げた日下部さんと目が合う。
「んで、これでご奉仕とかもセットなわけ?」
「っ、変態!ムッツリ!」
「猫ならそこはにゃーにゃーだろ。」
上目遣いも可愛い、とか思っていたのに、いつも通りに戻ってしまってあれは今日という日が見せた幻覚だったのかもしれない。此方を見上げたままの日下部さんが何かを待ってるのは伝わってきて、グッと息を呑む。今日は舌を火傷してヒリヒリしてるから、手加減してほしい。淡い期待と、それ以上の諦めを胸に抱きながら、朝剃った髭が少しチクチクと顔を覗かせる頬を両手で包んで相変わらず笑っている彼に唇を落とした。
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