猫は甘え上手


土日が終わって、また一週間が始まって。ただ、私たちの仕事は世の中の人々みたいに土日休みな訳ではないから、良いのか悪いのかそういうのは全く関係はないけれど。任務任務が続いて連勤なんて日常茶飯事だし、休みの日や夜中に緊急で連絡が入ることだってある。会社勤めな訳ではないけど、正しく『社畜』って言葉がピッタリだ。
任務を終えて疲れていたが、今日の補助監督の子は運転が上手で後部座席で少しうたた寝が出来て少しだけ回復出来た。そのお陰で明日に回そうかと思ってた報告書も今日中に仕上げる事が出来て、家に帰り着く頃にはあっという間にとっぷりと暗くなっていた。

「ただいまー…」

オートロックのフロントを抜けてエレベーターのディスプレイに表示される数字が増えていくのを見ると、毎度帰ってきたんだと体の力が抜ける。鍵を回してドアを開けると、事前に連絡をくれた彼のお陰で玄関に暖房の暖かい風が届いた。パンプスを脱ぎ捨てている時にリビングの扉が開いて、風に乗って美味しそうな匂いと、私の大好きな匂いもする。

「おかえりなさい。お疲れ様ですね。」
「もー疲れちゃったよー…七海も、お疲れ様。」

香水なのか、柔軟剤なのか。一緒に洗濯してるはずなのに、いつだって七海の匂いは不思議と落ち着く。ジャケットもネクタイも脱いで、トレードマークの水色のシャツを腕まくりしているラフな姿の七海を見るだけで頬が緩んでしまった。彼と色違いのスリッパに履き替えて部屋に入ってから、もう一つの匂いの正体を探るべく鼻をひくつかせると、その様子を見た七海が小さく笑う。

「今日はシチューにしました。先にお風呂とご飯だとどちらにしますか?」
「あ、何の献立か当てようと思ったのに。…うーん、今日はあんまり汚れなかったし、お腹減っちゃったからご飯先に食べようかな。」
「わかりました。バケットとご飯はどちらにします?」
「うーん、バケット!」

優しい香りだから何だろうと思っていると、先に七海から正解を知らされてしまった。どちらも悩ましいけれど、今日は寝れたのもあっていつもよりドロドロに疲れている方ではない。ご飯が冷めてしまうのも勿体ないので顔を上げると、それを聞いて七海がスムーズに準備に取り掛かってくれる。きっと、これが世の中で言う"スパダリ"ってやつなんだろうな。私もジャケットを脱いで洗面所で手を洗っている内に、テーブルには温め直されたシチューとサラダが並んでいる。ちょうどパンも焼けたようで、オーブントースターの軽快な音と共に美味しそうな匂いが部屋に広がった。

「何か飲みますか?」
「んー、七海が呑むなら呑もうかな。」
「それでは、軽くワインでも呑みましょう。」

私が料理をするときは、使ったまな板とかボウルとかそのままになってしまうことが多いけれど、七海がご飯を作ってくれるときはキッチンも綺麗に整えられているし料理の彩りやセッティングも彼らしくしっかりしている。お互いに向き合って食卓を囲むと、ワインを注ぐ七海は本当に絵になる。思わず無意識なレベルで小さくカッコいい。と呟けば、それはちゃんと七海の耳に届いたようでチラリと此方に視線を向けてから小さく笑った。

「今日も七海のご飯は美味しいねぇ」
「貴女の料理も、いつも美味しいですよ」

しっかり煮込まれて柔らかいニンジンを口に運んでから七海にお礼を言うと、スパダリな彼はしっかりと私も褒めてくれる。最初彼に相応しい女になる為に!と思って変に落ち込んだり感情の起伏が激しかった私も、いつもこう言ってもらえれば自己肯定感が高い人間になってくるから人は関わる周りの人によって変わるもんだとしみじみ思う。

「そういえば、今日は猫の日らしいですよ。」
「え?…あぁ、2月22日だからか。そういえば朝のニュースで言ってた気がする。」

ふと言われた言葉に、バケットをシチューに沈めていた手を止める。ねこ、と口の中で言葉を転がしてからやっと意味を理解して味の染みたパンでそれを上書きした。いい夫婦の日だったり、何かと語呂合わせで街のイベントがあるのを見かけることがある。休みが不定期な分、カレンダーの日を意識して見ないからいつもすっかり忘れてしまっているけど。そう思っていると七海が席を立ってどこかに行ってしまった。多分携帯でも探しに行ったのだろうかと思って、特に気に留めずにワインを満たされてきた胃に流し込んだ。

「………あの、七海さん?」

後ろから伸びてきた指先が、私の髪を掬って耳にかける。そしてそのまま頭に何かをつけられてこめかみ辺りに圧をほんのりと感じた。何事かと思ってそれに手を伸ばそうとしたけれど、それは七海の大きな手のひらに止められてしまった。

「似合いますね。髪の毛の色にも合ってます。」
「あー…うん、ありがと…?」

首を後ろに逸らして上を仰ぐと七海が目を細めて此方を見下ろしている。私の髪を撫でて、そのままその何かに触れている姿は、照明の光が彼の金髪の髪をキラキラと照らしていてなかなか綺麗だ。暖房の部屋にいていつもより体温の高い七海の指先を追うように手を伸ばすと、視界の角に何となく入るその何かに触れた。

「五条さんから無理矢理押し付けられまして…」
「あぁ……五条さんならやりそうだね。」

ふわふわと、柔らかいもの。少しだけ手前にそれを倒して見ると、それは動物の耳のようなものだった。困ったように笑う七海の様子で、前振りから全てが繋がって私達の先輩が脳内でニヤニヤしてる顔が鮮明に浮かぶ。釣られて彼と同じように笑ってしまいながら、改めてその手触りのいいニセモノの耳を撫でた。

「…で、私はにゃーにゃー言えばいいの?」
「いえ、それも捨てがたいですが……そういう意味ではありません。」

七海の言うように確かに自分の髪色と似ているベージュのカチューシャをしっくりとする位置に付け直して首を傾げて見せる。七海はまた崩れた髪を直してくれて、そのまま耳から耳たぶまでゆっくり指先で撫でた。そろそろ見上げる首が苦しくなってきたのを察したのか、七海が隣に回り込んできてくれる。立ってる七海と座ってる私だと高さは変わらないけれど、私が彼に体ごと向き直れば体制は幾分楽になった。

「…貴女は、頑張りすぎていますから。猫になった、という口実があれば少しは甘えてくれるかと思いまして。」

耳から頬へ、目尻、唇と一つ一つを慈しむように撫でる七海の手はいつだって優しい。一つ一つ私の中にある不安や恐怖などの重たい気持ちも、何だって彼が溶かしてくれるような感覚がする。再び頬から首に滑る指先が、顎下を擽るように撫でた。それはいつもと違っていて、それこそ猫を可愛がるような仕草だった。

「ん………そしたら、ぎゅっと、してくれる?」

本来ならば何も感じないはずなのに、自分は猫だからなんて思えば心地良い気がして目を細めた。大人になって素直に甘えるなんて事がなかなか高い壁になってしまっていたけれど、猫ならいいのかもしれないと思っておずおずと手を広げてみせる。それを見て七海の瞳が一瞬大きく開くが、すぐにいつもの様に戻ってゆっくりと引き寄せられて大きな体に包み込まれた。

「…あったかいね。」
「今日は寒かったですからね。…折角なので、一緒にお風呂も入りますか?」
「頭洗って、ツルツルにトリートメントもしてくれるの?ドライヤーも?」
「えぇ、貴女が望むなら何だってしますよ。」
「ふふっ、飼い主さんっていうより、執事みたいだね。」

体制のせいでちょうど私の頭の位置が七海の胸元あたりで、トクトクの規則正しい心臓の音が聞こえる。彼の広い背中は腕が回るのがやっとで、シャツ越しに体温を感じながら息を目一杯吸うと大好きな七海の匂いが肺に入ってきて全身で彼に愛されているみたいだった。私が顔を埋めたままクスクスと笑えば、頭上で小さく笑う気配がしてほんのり彼の体も震える。

「……あのね、寝かしつけてほしいの。抱きしめて、頭…撫でてほしい。」

普段なら言えないけれど、今日は特別だから。何度目かわからない言い訳を自分の中で繰り返して、彼の腕の中でモゴモゴと呟く。きちんと聞こえたか不安になるが、ぎゅっと私を抱きしめてくれる力が強まったのが答えを教えてくれた。抱きしめ返そうとしたけれど、ふと緩んだ腕がそのまま脇に差し込まれ瞬く間に体に浮遊感が襲ってきて思わず変な声を上げてしまった。

「それくらい、今日だけじゃなくていつだってしますよ。」

勿論犯人は七海しかいなくて、あっという間に抱き上げられて視線が同じくらいの高さになった。あぁ、やっぱり執事でもなくて王子様とかがピッタリかもしれない。なんて、七海本人に言ったらなんとも言えない渋い顔しそうだけど。まるで宝物のように抱き抱えて浴室に向かっていく七海の胸元に体を預けて、たまには猫も悪くないな、なんて思えた。

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