11話 綺麗な君に薄汚い独占欲を
ドックは今日も金槌を叩く音と男どもの怒涛が飛び交う。クソ暑い夏の陽射しが容赦なく照りつけて、生暖かい潮風だけでは肌にまとわりつく汗が乾く暇もねェ。
一度ゴーグルを外して腕で額の汗を拭いとる。集中すると時間を忘れるのは昔からの悪い癖で、意識が手元から外れればいきなり一気に喉が渇き始めた。一度休憩する為に下を見下ろすと、無意識に彼女の姿を探してしまった。
――あれ以来、俺たちはろくに話せていない。
夢じゃなかった。そしてアイツのあの顔は、俺みたいに酔って覚えていなかった…なんて事は絶対にあり得ない。なんてハレンチで、なんて最悪なことをしてしまったんだと後悔ばかりが溢れて、彼女の姿を見かけると息と言葉が喉奥で詰まる。
有り得ない嫌いと怒ったり、泣いたりされた方がまだ良かった。目が合えばなんとなく逸らされる。朝挨拶をしようとしても、ちょっとタイミングをずらされて背中しか見えない。謝る事は疎か、話す事も出来ずじまいだ
…そりゃあそうだよな。酔ってたとはいえ、あんなことして、しかも覚えてないってんだから俺は本当にクソ野郎だ。
「はあ……」
下にいる彼女は忙しくちょこちょこと走り回っている。近いのに果てしないくらい遠く感じて、ハンマーを握り直して手元の作業に戻った。
「あの、すみません。仕事中ですので控えてもらってもよろしいですか?」
「え、いーじゃん!もしかして照れてるの?可愛いね〜!」
ぐぬぬと唸りながら頭を掻いていると、潮風に乗って静かな彼女の声とやけに耳につく大きな野郎の声が届く。もう一度下を見れば図案を三束くらい抱えている彼女と、何やら見慣れない男の姿があった。
「いや、照れてません。ご依頼でしたら私じゃなくて社長か職長にお願いします。」
「ツレないなー……せっかく可愛い顔してるのに台無しだよ!…あ、そうだ!じゃあ、船じゃなくて君の予定を見積もってもらおうかな!」
「……ちょっと、意味がわかりませんね…」
淡々と説明をする彼女を他所に、男は頭を抱えて悩んだり閃いて目を輝かせたりとなんとまぁ騒がしい。ドックに入ってきているところを見る限り、船の修理を依頼しにきた野良の海賊だろう。辺りを見渡すと、ちょうどルルがもっと歳の行った髭の生えた男とカタログを広げて話してる。…船長についてきた、下っ端ってところか。
こんな時こそアイツを娘のように可愛がって親父ヅラするタイルストンの出番だろうと大きな体話を探すが、別件で席を外しているのかドックにはいないようだった。
「ねぇねぇ、いつ仕事終わるの?今夜俺たちの船で飲み会するんだけど来ない?」
「ご遠慮します。」
「そんな事を言わないでさ、ほら、悪いようにはしないから…!」
馴れ馴れしく話している口調も無駄に距離が近いのも気に食わねェ。依頼主じゃなくて下っ端なんだから、アイツももっとピシャッと言い放てばいいのに……そんな事を思っていると、野郎が彼女の手首を掴んだ。
「……っ!」
野郎の力が強いのか、彼女の眉間の皺が寄り顔が歪む。男は力差の差を再認識したからか、苦しむ彼女の顔を見てニヤリと口元を緩めた。ニチャニチャして下心が溢れた顔で、心底気持ち悪ィ。クソ野郎の手が彼女の腰へ伸びたのと、俺がマストから飛び降りたのはほぼ同時だった。
「お客様。申し訳ありませんが、作業員に対する接触はお控え願えますか?」
「はっ?な、なんだよお前…!」
「ガレーラカンパニー1番ドック職長です。…何か用事があるなら、あちらで一緒にお話し聞きましょうか?」
ロープで宙を舞い、丁度2人の間に着地すると男は驚いたようで2、3歩後ろへよろけてそのまま尻餅をついた。この程度でそんなんじゃ、海に出たらすぐに海王類に食われちまいそうな。ガレーラカンパニーの職長として敬語は崩さず、しかし言葉と視線は真っ直ぐ牽制を込めて。遠くでルルと話している船長を指差せば、2人がこちらに気付いたのか会話を中断しコチラを向く。そうすれば先程の余裕なんて嘘みたいに、慌てて立ち上がった男はへらへらと媚を売る笑みで自分の船長の方へ駆け出していった。
「……大丈夫か?」
二度と来んなクソ野郎。と心の中で悪態吐きながら、振り返って彼女に声をかける。小さく細い方は怯えて震える…なんて事はなく、少し驚いた顔をして突っ立っていた。暫くすると小さく笑って、二度と来んなクソ野郎。と俺と同じ台詞を吐いて男が走っていった方へ、ベッと短く赤い舌を出す。
「ったく…お前、もう少し警戒しろ。あいつは下っ端野郎だが、海賊はどんな手を使ってくるかわからねェぞ」
「うん、ありがとうパウリー。しつこくて、もうすぐで手が出ちゃいそうだったぁ」
「一応、アイスバーグさんに迷惑かけるからそれはやめとけ。…でもなんか危害加えられそうになったら、速攻やるか逃げろよ。」
「うん、もう片手にハンマー持ってたっ」
俺の心配を他所に、ニッと笑った彼女の細い背中からひょっこりと隠していたハンマーが出てくる。恋は盲目なのか、コイツは案外図太くて逞しい奴だったのをすっかり忘れていた。お互い顔を見合わせて、なんだか可笑しくて2人で吹き出して笑ってしまった。
目を見て、話せたというだけなのにそれがどうしようもなく嬉しい。暫く笑うと、2人の間に沈黙の時間が生まれた。
嫁入り前なのに、この間は悪かった。殴る蹴るでも、気が済むまでしてもらって構わない。俺に償える事があればなんでも言ってくれ。ここ何日か考えていた言葉も、いざ目の前にくれば怖気ついて喉から何一つ出てこない。
「……んじゃ、仕事戻るわ」
折角の仲直りの機会に結局何も出来ずに、くるりと背を向けてそう声をかける。持ち場に戻る為に歩きかけたその時、ツンっとシャツが弱々しい力で引かれてその一歩は踏み出せなかった。
「ねぇ、パウリー!…えっと、今日の、夜……飲みに行かない?」
「…………はぁ?」
正気か?と本気で思った。まだ昼休憩や終業後に軽くメシならまだわかる。しかし酒の失態であんな事されといて、それでも飲みに誘ってくる理由がわからなかった。立ち止まって目を丸くして振り返ると、彼女は少し俯いて俺のシャツを握る自分の指先をいじいじと見ている。何か考えるように目を閉じて、数回深呼吸するとゆっくりと顔を上げた。
「この間、ちゃんと話したい。……ダメ?」
「いや、ダメじゃねェけど………俺なんかと飲んで、いいのかよ?」
「うん。パウリーとがいいの。」
真っ直ぐ俺を見上げてそう言う彼女の目の周りは少し赤らんでいて、その瞳の奥は少しだけ、どこか悲しそうにも見えた。お願い、と最後に呟く彼女に、頷かずにはいられなかった。それを見て細い肩はホッと小さく下がる。誘われて嬉しいはずなのに、どこか躊躇ってしまう。あの夜のことが喉にひっかかって、また彼女を傷付けて汚してしまうんじゃないかと胸が詰まってしまう。
「……じゃあ、今日の夜。仕事終わったら、ブルーノんとこな」
いつもの行き慣れた店、あの日と同じ店を伝えれば彼女の顔色はパッと明るくなりコクコクと何度も頷いた。その姿が小動物のようにいじらしく、まるでおれと飲む事を心底喜んでくれているようでじわじわと顔に熱が込み上げてきた。
あぁ、やっぱりおれ、コイツの事好きだわ。
「それじゃ、また夜ね!」
彼女はそう言うと、図案を両手に抱え直して走ってどこかへ行ってしまった。その背中と相変わらずゆらゆらと揺れているポニーテールを見て、葉巻を吸う時のようにゆっくりと吐き出す。
全部、話そう。いつも夢を見て焦がれている事も、そのせいであの夜間違えてしまった事も。彼女から与えられるような綺麗なもんと同じとは言い難いような、薄汚い俺の本音もすべて。
夜の事を思うと嬉しさを超えるぐらいに気が重くはなるが、一歩踏み出すのを決意して俺も持ち場の方へと戻っていった。
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