3話 そしてバーボンは静かに笑った




「あー……やっちゃったー…」

カウンターにぺたりと頬を押し付けると、酒で熱くなった頬がほんのりとだけ冷えていく気がする。でも木目のカウンターはすぐに私の熱が伝わってしまいすぐに緩くなった。グラスの底に残った黄金色の液体をただぼんやり見つめながら、此処に来てからずっと言っている言葉をぼやいて溜息と共に吐き出した。

此処はウォーターセブンの中心街にある、ブルーノさんの営む小さな酒場。
いつもは仕事終わりに職場の誰かに連れられて来るが、今日は一人でやってきてチビチビと酒を呑んでこうやって項垂れている。

「いつもはみんなと一緒なのに、珍しいね。今日はパウリーさんやカクさん達は来ないのかい?」
「……うん、一人で呑みたい気分なの。」

空になった私のジョッキにピッチャーでビールを注いでくれながら、ブルーノさんが首を傾げる。初めに彼から出てきた名前にギクリとして、誤魔化すために泡が並々になったビールに口付けた。ブルーノさんはそんな私の様子にそれ以上深追いして聞いてくることはなく、代わりにお代わりのナッツを出してくれながらグラスを拭いている。

「…きつく、言い過ぎたかな。」

夜も更けてきて、店内はいつものように船大工や港の人々で賑わってくる。私が座っているカウンターはテーブル席よりも少しだけ静かで、きっと目の前のブルーノさんがその空気を作っているんだと思う。私がポツリと呟いた言葉は、喧騒ですぐに溶けていく。

あの日、あの朝。
パウリーの「ハレンチだろうが!」の一言に、ついつい頭に血がのぼって理詰めで言葉を返してしまった。別に、普段と違う服装をすれば彼からハレンチ判定をもらうかもしれないなんて事は、元から薄々はわかってたことだ。だから今までもボーイッシュスタイルを貫いてきた訳だし。
だけど、彼から"男の職場"と言われたら、なんだか今の私が全否定された気持ちになっ
てしまった。パウリーのゆるゆるハレンチ判定に普段から呆れていたのは事実だし、私が
言った内容も間違っているとは思っていない。本当のことだし。…でも、もう少し言い方があったんじゃないかなぁ…と。時間が経てば経つほど、そんな後悔がじわじわと滲んできてずっと胸を蝕んでいる。

「何が“男の職場だ”よ……馬鹿じゃないの……」

酔ってしまえば多少はそのモヤモヤは緩和されて、毒を吐きながらキンキンに冷えたジョッキから手を離す。外気との温度差に結露しカウンターを濡らして出来た小さな水溜りを指先で撫でてあると、ふと手元に影ができて顔を上げた。

「ンマー、これが“噂のロングヘアの女船大工”か」
「わ、アイスバーグさん!お一人ですか?」

顔を上げるとそこには顎に手を当て私を見下ろすアイスバーグさんが立っていた。驚いて目をパチパチ瞬きを繰り返してから彼の後ろを覗き込むが、秘書のカリファさんの姿はない。ウォーターセブン市長、そしてガレーラカンパニー社長のアイスバーグさんはいつも忙しそうだし、誰かに囲まれている印象だから一人でいるのを見るのは久々だ。首を傾
げて問い掛ければ、アイスバーグさんは小さく頷いて長い指先で私の隣の席を指差した。

「隣、いいか?」
「へあ?…あ、あぁ、どうぞ…!」

間抜けな声を漏らしてしまってから、少しだけ酔いが覚めてハッとする。慌てて何度も頷いて意味もなく少しだけ体をずらすと、アイズバーグさんは私の隣の席に腰掛けた。慣れたようにブルーノさんに注文をすると、直ぐにロックグラスに入ったバーボンが彼の前に届く。アイスバーグさんが小さなグラスを掲げてくるので、僭越ながらおずおずとビールジョッキを持ち彼の元へ傾けるとカチンとガラス同士がぶつかる音とガラスの中で氷が揺れる音がカウンターに静かに響いた。

「珍しいですね、こんな夜遅くに」
「まぁな。噂を聞いたら、ちょっと気になっちまってな。」

後ろで呑んでた人達がアイスバーグさんの存在に気付いて、声をかけてきたり黄色い声援が飛んでくると彼は律儀に手を振り返している。そんな姿を眺めながら声をかけると、一通り挨拶を終えたアイスバーグさんが目を細めて楽しそうに微笑んだ。その顔はまさに年上の男の余裕って感じで、ひぇと間抜けな声が漏れた。ほろ酔いの私がカウンターにもたれているのもあるし、ただ単にアイスバーグさんが背が高いのもあって目線がだいぶ上にある。そう言う彼の瞳は遊び心が混じっていて、何となくその意味が見当がついた。

「……ちなみに、何の噂です?」
「お前がパウリーに告白して、失恋を乗り越えて色っぽいレディになったって話だ。」

前半は予想していた通りだったが、後半の台詞は思ったものではなくて思わずビールを吹き出してしまいそうになった。…失恋してヤケクソで一人で飲んだくれてるらしい、とかならわかるけど、野蛮な野郎が集まるあの職場のみんながそんな風に褒めているなんて想像出来ない。

「ま、まぁ告白の件は間違いじゃないですけども……社長にまでこんなに早く広まるもんなんですね…」
「ンマー、お前らの恋路に賭け事してる奴らもいたからなァ」

にやりと笑うアイスバーグさんに、ポカンと口が空いてしまった。…あの人達ならあり得るな。と言っても、誰が見ても私の惨敗確定だっただろうから、賭けにもならなかった
だろう。万が一の可能性に賭けてくれた人がいたならば、大変申し訳ない事をしたな…。
あははと苦笑いをして誤魔化していると、アイスバーグさんが頼んだオリーブや生ハムが続いて届いて机が華やかになっている。さり気なく私と彼の間に置いてくれる辺り、スマートで本当にいい大人の男だなとしみじみする。
それこそ、あのハレンチ男ならば腹減ったと言いながら大口開けてガツガツと一人で食べてそうだ。…いや、そもそもこんなオシャレなおつまみじゃなくて食べ甲斐のある水水肉とかそういうの頼むか。美味しくて時々感動すると、美味ェからお前も一口食ってみろよ!って寄越してくるんだよねぇ…。そんな事をぼんやり考えながら、お言葉に甘えてオリーブを一粒摘んで口の中に放るとちょうどいい塩気と苦味が広がって、あんなにずっと飲んでたビールが恋しくなってジョッキを持って喉に流し込んだ。

「元々可愛らしい顔立ちはしてるとは思っていたが、美人系だったんだな。この髪型も似合ってるぞ」

ジョッキから口を離して一息ついていると、アイスバーグさんの手が伸びて来る。私の
頬をすり抜けた先、まだ自分でも慣れないポニーテールした毛先に触れていると気付いた
のは数秒経ってからだった。

「そ…そんな、お気遣い頂かなくても…」
「心外だな、おれが冗談で言うと思うか?」

髪に触れている分、カウンター席一個分よりも随分距離が近い。しどろもどろでどうにか絞り出した言葉が語尾が消えてしまいそうだった。アイスバーグさんと話すことは決して少なくはないけれど、こうやって触れられたのは初めてだ。髪の毛先は感覚がないはずなのに、するりと彼の指先をすり抜ける感覚がハッキリとわかるようだ。真っ直ぐと私を見るその目は、どこか穏やかで、でも射抜くように鋭い。どこまでも冗談に見せかけて、本気かどうかは決して読ませない。そんな目だった。
ジクジクと熱くなる頬を誤魔化すように耐えきれずに目を伏せると、アイスバーグさんが小さく笑った気がしてその後体が離れていく気配がする。漸くホッと息を吐き出すと肩の力が一気に抜けて、無意識に息を止めていたのにその時に初めて気付いた。

「今の顔もいいな。…眉間に皺寄せて暗い顔してるより、いつもみたいに笑ってる方がもっと魅力的だ。」
「…ふふっ、ありがとうございます。」

グラスを持ちバーボンを一口飲むアイスバーグさんを見て、小さく笑ってしまった。普段と違う様子にドギマギしてしまったが、どうやら彼なりに慰めて鼓舞してくれたみたいだ。そりゃそうだ、そうじゃなきゃこんなちんちくりんの小娘なんて、あのアイスバーグさんが相手にしてくれる訳ないかぁ。何だか張っていた力も毒気もお陰で抜けた気がして、ぐぐーっと背伸びして残ったビールを飲み干した。

それからはアイスバーグさんと呑んだりツマミをつつきながらポツポツと世間話に花を咲かせた。主に新しく依頼された海賊船の話だったり、工具の話だったり。憧れの人と仕事の話を出来るのは楽しくて、時間があっという間に感じた。

「……パウリーの事は、もういいのか?」
「……まぁ、一応。とりあえずは、合コンとかして外部の出会いを探そうかなーと思ってます!…アイスバーグさん、こんな事頼むのも無礼かもしれませんが、良い人いたら紹介してください!」

そろそろお開きかなと思っていると、アイスバーグさんから核心をついた質問をされてジョッキを持っていた手を離す。本当は、答えなんて出ていない。もう想いは伝えたし、吹っ切って前に進もう!とあんなに意気込んでいたくせに、ずっと燻っていた恋心はまだ胸の中で静かに燃えているままだった。でも今日みたいに悩んで、後悔してとを繰り返しながら、きっといつかは忘れていくんだろうと思う。今は無理でも結局一緒に働く以上は自分が頑張ってもとの関係性に戻るしかない。改めてそう思い直して、隣に座るアイスバーグさんに向き合って拝むように両手を合わせ頭を下げる。本当、こんな事お願いするのは無礼だってわかってはいるが、あのアイスバーグさんだよ?こんな良い人が紹介してくれる人なんて、絶対的に良い人に間違いない。パウリーを超えるくらい新しい人を好きになる為には、焦がれた片想いを忘れれる程にめーちゃめちゃ良い人じゃないと無理だと思う。そんな私の必死さに引いているのか悩んでいるのかは俯いているからわからないけど、アイスバーグさんが唸る声だけが頭上から聞こえてきた。

「…ンマー、それはおれも立候補出来るもんなのか?」
「…はへ?」

冗談とも本気ともつかないその言葉に、思わず本日3回目の間抜けな声が漏れてしまっ
た。顔を上げるとアイスバーグさんは相変わらず私を見下ろしていて、その瞳の色は本当に意図が汲み取れない。でもさっきよりも酒のせいか潤んでいる気がして、完璧な彼も酒で酔うくらい人間なんだなぁと場違いな事を思った。

「……アイズバーグさんが、会食も取材も全部サボらないようになったら、ですかね…」
「はっはっ、そりゃ相当頑張らないとだな!」

本気か冗談かわからない提案に、冗談混じりの方で返すとアイスバーグさんはきょとんとしてから声高らかに笑う。よかった、この返しは間違いではないた。私が気娘なら本気にしてしまって大恥をかく所だった。

「そろそろ帰るか。明日仕事だろう?送って行く。」
「えっ、いや、大丈夫です!このくらい一人で帰れます!」
「いや、送らせてくれ。こんな時間にレディ一人帰すなんざ、男として出来ないんでな」

何だか夢見たいな一時に呆けていると、アイスバーグさんはグラスを傾けバーボンを呑み干す。カランコロンと氷がグラスに当たる音が、何だか笑ってお喋りしてるみたいだなと思った。
アイスバーグさんは相変わらずスマートにブルーノさんにお会計を頼むと、当たり前みたいに私の分と一緒に会計が出されていて慌てて財布を出そうとしたがその手は彼の大きな手で遮られてしまった。
アイスバーグさんは大人の余裕があって、紳士でスマートでカッコいいセリフもサラッと言ってくれるし、帰り道も水路の方を歩いてくれてエスコートしてくれた。きっと好きになるなら、こういう人を選んだら幸せになれるんだろう。わかっているけど、でもやっぱり私はだらしなく酒に溺れて酔っ払いながらギャンブルの話ばっかりして、酒で熱くなった自分の半身がパウリーの熱さと重さを感じながらほんのりと葉巻の匂いが鼻先を擽るあの時間が恋しいと思ってしまった。




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