アイスバーグ
ネイビーブルーの夜空に少しずつ朝の光が差し込み始める頃、私は店のシャッターを開ける。
「よーし、今日も頑張りますか!」
最近は寒さのピークを抜けて少しずつ日の出が早くなってきた。朝早く仕事をするのはもう長年続けているから慣れているけど、やっぱり空が明るいと気持ちもいいものだ。すぅーっと鼻から息を深く吸い込んで背伸びする。嗅ぎ慣れた潮風と、その日ごとによって違うこの子達の香りを肺一杯に取り込んで店前にぶら下がる看板を《Open》にひっくり返した。
「みんな、おはよう。今日も素敵な出会いがあるといいね〜」
店先に並ぶお花達に声をかけながら一つ一つの茎や花弁の調子を確認する。先程霧吹きで水をあげた鉢植えは、朝日を浴びて葉も花もキラキラと光って気持ち良さそうだ。
ウォーターセブンで花屋を営んで、もうすぐ3年になる。一人で細々と切り盛りしているが、少しずつ常連さんが着いてくれたり、近所のおばさまから子供達まで家族で皆さんが来てくれるので楽しくお仕事させてもらっている。
お花達に水を上げ終えて、とりあえず朝のミッションは一つ終了して一息つく。そろそろラッピングの紙の在庫を確認しようかとカウンターにしゃがみ込んだ時、ちょうど扉のベルがカランコロンと鳴ったのですぐに立ち上がった。
「いらっしゃいませ!…あ、アイスバーグさんこんにちは!」
「ンマー、今日も元気だな。こんにちは。」
入口に立っていたのは我がウォーターセブンの市長のアイスバーグさんで、つい普段より大きな声が出てしまってちょっとだけ気恥ずかしくなった。そんな私を見てアイスバーグさんは少しだけ口元を緩めると、新しくディスプレイしているお花達を眺めながら店内へ入ってきた。
「いつもの頼めるか?」
「はい!お任せください!」
アイスバーグさんはオープンして少しした時にたまたまウチの店を見つけてくれてから、こうやって時々花を買いに来てくれる。私が1人で切り盛りしてるから市長として気に掛けてくださっているんだろうが、何度も来ていただいて申し訳なくなって一度すみませんと謝った事があった。
「ンマー、なんで謝るんだ?おれは店の外から元気に花に水をやってる店主を見て、そんな風に周りを笑顔にさせるような花が欲しいと思っただけだ。」
顎髭を撫でながら不思議そうに首を傾げるアイスバーグさんからそう言っていただけて、胸にグッと色々な感情が込み上げてきた。自分が小さい頃、ウォーターセブンは貿易が途絶えているせいで治安が悪い時期があった。そんな時に海列車が開通して、島が賑わって活気付いていくのが嬉しかった。だから私も花を通してみんなを元気に幸せに出来ればと、そう思って花屋を始めた。だからそれを認めてもらえた気がして、しかもウォーターセブンを大切に思っている市長のアイスバーグさんに言っていただけて、最高に嬉しくて仕方ない。
「今日はガーベラなんていかがでしょうか?」
「カラフルで可愛い花だな」
季節の花を陳列している手前の棚から、オレンジや赤、黄色に白とピンクなど色とりどりの花を選んで抱えてテーブルの方へ戻る。ふわっと、陽だまりみたいな香りが広がってつい口元が緩んでしまった。
アイスバーグさんはガレーラカンパニーの社長室や自室に飾る花を買いに来てくださる。いつもその花選びを私に任せてくれるので、その日やその季節のオススメで、ガレーラやアイスバーグさんが楽しい気持ちになれる花を選ぶのが最近の私の楽しみになっていた。
「ガーベラは希望とか前向きとか、そんな花言葉が多いんです。色ごとにもチャレンジとか冒険心だったり……可愛いけど頑張り屋さんなお花なんですよ!ガレーラカンパニーの皆さんのお仕事には、市民みんな助けられてます!」
白いラッピングペーパーの上に順番に花を並べていきながら彼女達の花言葉を噛み締める。花は本当に素敵だ。あんな小さなタネから頑張って茎を伸ばしてそれぞれ違う花を咲かせる。蕾が出るまで何色の花が咲くかわからないのがまた楽しい。茎の先に栄養液が染み込んだコットンを当てて水が垂れないように固定して、シンプルなラッピングペーパーで包んで彼をイメージした青のリボンをつければ素敵な花束が完成した。毎日作っても毎回楽しい作業に自然と笑顔になりながら顔を上げてアイスバーグさんにお礼を言うと、少しだけ驚いたように目を開いていた。
「…ンマー、そう言ってもらえれば職人冥利に尽きるな」
アイスバーグさんは小さく笑って、私から花束を受け取る。作り終えれば常にお忙しいアイスバーグさんのお手間をこれ以上取らせる訳にはいかないのでお会計作業のためにレジへと移動した。今日はガーベラだけなのでレジ打ちは簡単で、単価と本数を打って出てきた金額のベリーをピッタリで受け取る。レジにお金を戻そうとした瞬間、視界の端にオレンジが割って入ってきた。
「え?」
一瞬理解が追いつかなかったが、それはオレンジのガーベラの花だった。それを手に持つ人は先程購入してくれたアイスバーグさんしかいなくて、顔を上げてキョトンとガーベラのアイスバーグさんを交互に見た。
「いつも一人で頑張ってる君にピッタリだと思ってな。いつもありがとう」
私のすっとぼけた
アイスバーグさんはわずかに口角を上げて、静かに手を振ると出て行った。
扉が閉まるたびに鳴るベルの音が、少し長く響いた気がした。
「び、っくりしたー……流石アイスバーグさん、大人でスマートな大人だ…」
つぶやきながら、もらった一輪をそっと胸に当てる。
花びらがまだ朝の光を宿していて、少しだけ頬が熱くなる。
「ダメダメ、相手は市長で社長……ただの偶然なんだから、そんなレベル高い人に落ちたらダメだぞ自分…!」
💐けれど窓越しに差し込む日差しの中、オレンジのガーベラがきらりと光った。
——どうしてだろう。
その光景だけで、今日一日が少し特別なものになる気がした。
黄色のガーベラの花言葉は「優しさ」「究極の愛」「親しみやすさ」です。
ピンクのガーベラの花言葉は「熱愛」「崇高な美」です。
上品なガーベラのピンク色は、情熱的な愛情や高尚な美しさを象徴します。
一目惚れ、あなたが私の運命の人
「“前向きに生きる”っていう花言葉なんです。」
そう言いながら花をまとめると、
指先を伝って水が少し冷たかった。
でも不思議と、その冷たさが心地よく感じた。
包み終えて顔を上げると、
彼はじっとこちらを見ていた。
何かを言いたげな、でも言葉にしないまま、ただ穏やかに。
「お待たせしました。」
花束を差し出すと、彼の手が重なった。
少し硬くて温かい手。
船をつくる人の手だ、と直感した。
「……綺麗だな。」
ぽつりとこぼれた声に、頬が熱くなる。
花のことを言ってくれたのに、どうしてだろう、胸がこんなに高鳴るなんて。
会計を済ませ、彼が帰っていく背中を見送る。
扉が閉まる瞬間、風がひとつ、花弁を揺らした。
そのとき気づいた。
テーブルの上に、一輪だけ置かれたままのガーベラ。
淡いピンクの、あの花が。
――どうして、一輪、抜かれているんだろう。
手に取ると、花の香りが少し濃くなった気がした。
朝の光が差し込んで、店内が少しだけ温かくなる。
胸の奥に、ほんの小さな、ときめきの種が落ちた。
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