6話 赤いリップが惑わせる




昔から自分達と違って力を込めちまえば簡単に折れそうだと思っていた腰は、実際に触れるとやっぱり細くて本当に臓器足りてんのか?とさえ思えた。ベッドサイドに腰掛けるおれの膝に跨る彼女の腰を撫でれば、ぴくりと小さく震える。

「パウリー……」

相変わらずしっとりと甘えた声が耳元で囁く。俺の首に手を回し擦り寄ってくる度に顔に黒髪が触れて少し擽ったいし、見えないおれの胸板に柔らかい感触が押し付けられているのがわかる。腰元からおずおずと丸く小さい尻に手を這われせば、小さく震えて脱力したように俺の股上に座り込んだ。

「ねぇ…焦らさないで、早くキスしてよ…」
「……おぅ。」

ゆっくりとしがみつく力が緩み、彼女がおれの顔を見てそう言う。隙間から鎖骨を覗かせて、照れたように微笑んでそう強請られて断る理由はなかった。
彼女の頬を両手で包むと、それが合図かのように潤んだ瞳は静かに目を閉じる。睫毛が長ェな、なんて頭の片隅で考えながら、初めて見る色のリップで色付いている唇にゆっくりと近付いた。


「……いッ、てェ……ッ!」

唇が触れ合う直前、ゴンッと音を立ててベッドから転げ落ちた。鈍い音は頭から床に落ちたせいで、後頭部を抑えながら悶える。すると夢を見ながら無意識に息を止めていたようで、息を一気に吐き出すと心臓がバクバクと酸素を送り込むために脈撃ち始めた。相変わらず喉がカラカラで、心臓がバクバクと煩い。

「あー……またかよ…」

初めて夢を見たあの日から、ほぼ毎日と言っていいほどアイツの夢を見る。今まで別に夢を覚えているとかそういうタイプじゃなかった癖に、アイツとの夢は鮮明に覚えているからマジで意味がわからねェ。

額に浮いた汗を乱暴に拭って起き上がって、最近恒例の恐る恐るシーツを捲る儀式が始まる。…今朝はパンツはシミが出来ている事なかった。しかし代わりに発散されていない熱のせいでパンツの布地を突き上げる様に自身のブツが立ち上がっていて苦しそうだ。
今日は、まだあの内容なだけにギリギリセーフだった。これが時折、その……決して同僚にするべき事ではない、ハッ…ハレンチなモノゴトをする夢の時は、決まって朝の洗濯物が増えてしまっている。
……今日の夢も、あのままキスしちまってたら絶対にそうなってただろう。

「あー……クソッ、休みの日なのに早起きしちまった…」

時計を確認すると、折角寝る前に目覚まし時計をセットせずに寝たのにいつも起きる時間とそう変わらずに悔しくなる。どっかの国で早起きすると良いことあるって言葉があるらしいが、おれは可能なら休みの日くらい寝ていたい。
二度寝してしまいたいが、夢のお陰で目が冴えているし何より体の芯が熱いままでは寝れそうにない。とりあえず自分の昂りが治るのを待つために、ベットの上で胡座をかいてゆっくりと深呼吸に努めた。

「……そういやァ、今日か。アイツの合コン。」

誰に向けるでもない独り言がぽつりと漏れる。
昨日退勤する時にアイツの事をタイルストンが飲みに誘っていたが、『明日顔浮腫みたくないんで帰りますね!』と笑って颯爽と帰って行った。あの時のタイルストンの寂しそうな背中は彼女絡みでなければ爆笑ものだった。ガレーラが出来てからずっと彼女はタイルストンの直属の部下で、タイルストンのやつアイツの事を本当の娘みたいに可愛がってるからなァ…男に会う為に誘いを断れれば確かに悲しいもんがあるだろう。そんな様子を遠くでぼんやりと眺めていると、いつの間にか隣にいたルルから静かに肩を叩かれたのが癪で軽く振り払ったのが記憶に新しい。

「…とりあえず、朝風呂入るか…」

そんなオッサン達の姿を思い出しているとどうにかムスコも少しだけ落ち着いて、再度溜息を吐き出しながらベットから立ち上がる。いくら水の都といっても、季節が巡れば気温が上がり蒸し暑い。夢のお陰もあり汗をべっとりかいてて気持ち悪ィし、一旦シャワーでも浴びて煮え切らない頭も体も冷やしてしまおうと脱衣所に向かい唯一の衣服のパンツを適当にその辺に脱ぎ捨てた。


◇◆◇


1人で家にいてもふとした瞬間にアイツは今頃何してんのか、まさか良い男を本当に見つけたんじゃ…と悶々と考えちまうから、これはもう仕方ないと自分を正当化していつものヤガラレース場に向かった。最近目をつけている、4番のヤガラ。体つきもいいし、何よりアイツは目つきがいい。ありゃ完全に勝ちを確信している眼差しだ。そんな直感を信じて今週の賭け額を全て注ぎ込んだ結果、まさかの最後尾でビリ。大負けだ。

「クソッ!!今日こそ勝って最近の借金を全額返済する予定だったのに…ッ!!」

レース場を出てイライラを抑える為に葉巻を吸おうと口に咥えた瞬間、見慣れた黒スーツの連中と鉢合わせてバッチリと目が合う。クソッ、コイツら借金取りだ!

「おい待て!金返せ!!」
「うるせェ!見てわかんねェのか!ボロ負けしたから1ベリーもないから無理だ!!」
「賭けないで先に返せ!!」

どうせ俺が来ると見込んで来そうな場所、ヤガラレース場に先回りしていやがったんだろう。ドタバタと追いかけてくる奴らに言葉を投げ捨てて、腰元のロープを使い橋の向こう側に飛び移った。もしコイツらがヤガラブルを準備してたらジ・エンド。なければこのまま逃げ切れる。空中で振り返れば、タイミングよくヤガラ達が昼飯中だったようで、出発準備をし始める借金取り達にニーニーと不満そうに鳴き声を漏らしている。レースでは運はなかったが、ここでは勝利の女神はこちらに微笑んでくれたらしい。じゃあな!と捨て台詞を残して、背中に借金取り達の怒鳴り声を浴びながら走り出した。


「ブルーノ、酒くれ酒!」
「あァ、いらっしゃい。いつもので良いかい?」
「おう。あとなんかメシも頼む。」

逃げれてラッキー、と思っていたが、乗ってきたヤガラブルをレース場に置いてきちまって、ロープを使えない街の中を歩いてブルーノの酒場まで行くと地味に暑かった。水色の上着を脱いでトップスの襟元を掴みパタパタと仰ぐが、ぬるい風が少しくるくらいで不快感は大して変わらない。汗を拭いながら扉を押して入ると、早い時間だからかいつもよりか客がまばらだ。
カウンターに座るか悩むが、ツケをしてる分際で派手に飲み食いするのはまだシラフの今は気が引けるので奥の小さな丸テーブルの席に腰掛ける。ブルーノがすぐに運んで来たビールを一気に全部飲むと、カラカラだった喉が潤っていくようなのどごしを感じて最高に美味い。

「どうしたんだい?何かあったのかい?」
「…別に。ブルーノ、おかわり!」
「はいよ。」

ブルーノの静かな問いかけにギクリとする。本人は何となく言った世間話かもしれないが色々あるおれにとっては確信をついていて、答えずに誤魔化すようにジョッキを差し出すとブルーノはそれ以上は何も言わずにピッチャーでおかわりのビールを注ぐ。ブルーノはルルやタイルストン、それにカクみたいに煩く聞いてきたりからかってきたりしないからこういう時はちょうどいい。
2杯目のビールを煽ると、一杯目より少しだけ苦味が口の中に残る。苦ェけど、それが美味いし今はちょうどいい。酔えば嫌でも忘れられる。脳味噌も感情も、ちっとはバグってくれたほうがいい。

「あー…クソッ」

何が合コンだ。何が町娘セッティングだ。初めての男と会って、そんな楽しいもんか?そこで好きになるなんざ、無理だろ。だって初対面だぞ?そんなの、ただ外面で選んで寄ってきてる下心しかねェ奴だろ。どうせ、良い相手なんざそう簡単に見つからねェんだ。

…でも、そこで運命の相手が見つかったら?

「……だあー…ッ!」

唸りながらテーブルに勢いよううつ伏せると、額のゴーグルがガンッと当たりテーブルが動く音が煩ェし何より地味におでこが痛い。

本当は、行くなと言いたかった。彼女が言うようにそのよく知らない男と彼女が付き合ったとして、街中を2人で歩いている姿を想像するだけで気持ちが悪ィ。
…でも、アイツからの告白を断ったおれが言う資格なんざなくて、つい思ってもない事を言っちまった。

テーブルに打っ伏して動かないおれを揶揄うでも笑うわけでもなく、ブルーノはテーブルに水水肉の照り焼き丼を置いた。鼻腔を擽る香りに体を起こせば、お昼過ぎても何も食べてないお腹がギュルルと苦しげに鳴く。…よし、とりあえず腹ごしらえして、今日は死ぬほど飲もう。潰れてもブルーノの店だし、何か無くしたりする心配もなく誰かしらが送ってくれるだろう。またツケを増やす気満々でそう決意して、兎に角腹を満たす為に水水肉に食らいついた。


「…パウリー?何してんの?今日休み?」

どれくらい時間が経っただろうか。名前を呼ばれて微睡んでいた意識が浮上し、薄目を開けると気付けば机にうつ伏せていていたようだった。聞き慣れた声。寝ても覚めても探していた彼女の声は、耳鳴りでも幻聴でも夢でもなく、間違いなく本物だった。
意識が一気に覚醒してガバッと勢いよく起き上がると、やっぱりそこにはアイツがいた。おれの動きに驚いたのか、目を少しだけ丸くして困ったような顔をしていて、そんな無防備な表情を見ると胸の辺りがムズムズする。
酔っ払っているせいか、さっきは本物だと思ったがこれは夢なのかホンモノなのか一瞬だけ境界線がわからなくなってくる。一気に起き上がったせいでアルコールで脳もグラグラする。そんな時に彼女の手が伸びてきて、反射的にその手首を掴んだ。
相変わらず折れそうなくらいに細い。同じように外で仕事してんのに、おれの手とコイツの手だと肌色も違って不思議で仕方ねェ。じんわりと手の甲から伝わってくる体温に、此処に存在しているのだとやっと実感が込み上げてきた。

「…あ?お前……合コン、行ったんじゃねェのかよ」

酒焼けした喉からはもう掠れた声しか出ない。今日一日のモヤついていた事について聞き返すと、彼女は目を伏せて何故か手をグーパーと閉じたり開いたりやり始める。もしかして手首が痛かったのだろうかと手を離すと、薄い肩は細くゆっくり息を吐き出してから眉を下げ少し困ったように笑った。

「あ、うん。行った…けど。なんか……微妙だった。」

“微妙だった。“

たった一言それを聞いただけで、一気に全身の全部の力が抜けた。
微妙だったっつー事は、楽しくなかった。んで、良い野郎との出会いの収穫がなかった。つまり……他の男じゃダメだった、って事だろ?
頭の中で沢山のイコールと矢印が繋がって、ついつい顔が勝手に綻ぶ。目の前の彼女が、まだ誰のものにもなっていない。その事実が嬉しかった。情けねェけど、どうしようもないくらい、マジで嬉しい。それだけで、今日一日中のモヤモヤを一瞬だけ吹き飛ばしてくれるくれェだ。

「ほらな!やっぱり外の筋が通ってねェへにょへにょしたモヤシ野郎なんてダメなんだよ!ほら、仕方ねェから今日は奢ってやる!」
「…それより、ツケをブルーノさんに払ってやんなよ。」

コイツが来るまで荒くれて酒を飲んでいたのが嘘みたいに、ガハハと大口開けて笑いながら向かいの席を叩いて座るように促す。ブルーノにはいつも彼女と一緒に飲むブランドのビールを二つ注文した。そんな俺に対して、彼女は呆れた顔しながらもちゃんと向かい側に座った。
立っている時よりも目線が近付くと、不意に色付いた唇が視界に入る。化粧道具とか流行とかよくわからねェけど、いつもより色の付いた唇は、夢で見たよりも発色が綺麗だと思う。オレンジと赤が混ざったようなその色は夢に見た色味よりも似合っていて、所詮俺の妄想だから限界があるんだなと痛感する。谷間は見えないものの、いつものトップスより露出の高いタンクトップの胸元にはポニーテールに結んでいない黒髪が落ちている。さっきはコイツに会えた事の方が衝撃すぎて見落としていたが、今日はスカートを履いているようで少し体を傾ければ机の下で彼女の足首やふくらはぎが無防備に見える。いつもハレンチと叫び出す喉は、いざこういう場面になるとただただゴクリと生唾を飲み込む事しか出来なかった。

「飯は?食ったか?」
「うん。ピザ食べてきた。」
「んなので腹に溜まるかァ?ほら、水水肉頼んでいいぞ」
「パウリーと違って私の胃はそんなにデカくないから平気だよ。それよりナッツとかオリーブとかおつまみ頼んで。なんか今日はお酒飲みたい気分。」
「いいな!付き合ってやるよ!」

ドロリと湧いてきた下心を、いつものように笑って誤魔化した。ブルーノがビールジョッキを運んできたのて、勢いよく乾杯する。その瞬間、一瞬だけ香水ではない、甘い香りがして目が眩む。きっと、コイツそのものの匂いなんだと思う。

――ああ……おれ、コイツのこと、マジで好きなんだな。

ビールの泡に滲んだ光を見ながら、やっと今日はっきりと気付いてしまった。
気付いた時にはもう遅くて、おれはすっかり抜け出せない程に恋をしているらしい。
アイスバーグさんと仲良く話していたり、合コンに行くってだけで見た事ない野郎や呑気に出会いを探す彼女にメチャメチャイライラして、他の男と並んでんの想像しただけで気が狂いそうになる。誰かの為に着飾るくらいなら、どこかに閉じ込めてしまいたい。こんな姿、他の誰にも見せたくない。しまいには勝手にハレンチな夢まで見ちまう。ドが付くほどの重症だ。
きっとコイツがおれに対して向けてくれたような綺麗な好意なんかとまた違う、ドロドロと汚い感情。彼女には似合わないくらい汚いから見せたくない反面、それも受け止めてほしいと思うのは、欲張りすぎだろうか。

「付き合ってやるよ!ほら、飲め!」

しかし何度も彼女から与えられる好意の甘さに胡座をかいて傷つけてしまったおれにはそれを打ち明ける勇気なんざなくて、綺麗な彼女が穢れてしまわぬようにそう言って思いっきり笑ってやった。好きだと気付いたばかりの今は、まだもう少しだけ近過ぎず遠くないこの距離感に甘えさせて欲しい。切実にそう願いながビールジョッキを煽って一気に飲み干した。



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