見えないラインのあちら側
彼女との通話を終えると、とりあえず砂煙で体もヒーロースーツも汚れていたので事務所で軽くシャワーを浴びてから集合場所に向かった。ヒーロー姿のままだと目立ってしまうし、変にマスコミが彼女とのことを騒ぎ立てられるのは避けたかった。俺のことうんぬんというより、きっとそんな事があれが彼女がそれに対して申し訳ないと変に気を使うだろう。もしかしたら会うのはこれが最後、なんて最悪の事態になる可能性もある。
集合場所の駅に着いて周りを見渡すと、時計台の下にここ数日会いたくて堪らなかった姿を見つけた。紺の柔らかい生地のタンクトップに白のフレアスカートを履いていて、ゆるくアレンジされたお団子ヘアはまだ見たことのないスタイルで新鮮だ。タンクトップから伸びる腕は白くて儚くて、少し暑いのかパタパタとトップスの胸元を摘んで外の空気を取り込んでる姿は露出が物凄く多いわけではないのに色っぽさがあり通り過ぎる男が何人か振り返っている。
「Umm…もう少し、警戒心持ってくれねぇかな…」
時間も時間だし、駅前なんて目立つ場所なので悪い輩が沢山いるだろう。しかし、彼女はそんなの微塵も気付いていないだろうから少し注意しようかと考えてると、彼女は何度も自分を見下ろしているのに気付いた。その仕草は、恐らく服装は変じゃないか確認している姿で、ショーウィンドウに映る姿をチラチラと確認して少し後毛の残る頸をそわそわと触っている。自分に会うためにそうしてるのだろうかと思うと、可愛らしさしかなくてとても擽ったい気持ちになってしまう。
さっきまでのモヤモヤしてたものなど、一瞬で吹き飛んでしまったので酷く単純な自分に呆れてしまった。そう思ってる間にも、彼女がこちらに気付いたのかまるで犬がしっぽを振るように嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ひざしさん!お疲れ様です!」
「サンキュー!今日はすまなかったな、また今度埋め合わせさせてくれ」
「ふふっ、そしたら次は予約しなくていいところにしましょう?」
暑いのか、しっとりと汗が滲む肌がやはり色っぽい。少しおでこに張り付いた前髪を整えてあげると、みるみる顔が赤くなって俯いてしまった。本当、彼女は出会った時からコロコロと表情や雰囲気が変わるので楽しい。
切り替えて2人で並んで歩き出すと、街は仕事帰りの人々で賑わい始めてお店のライトも灯り始めた。あまり降りた事のなかった駅なので、物珍しくて周りを見渡しながら歩いてると少し不安そうに見上げてくる彼女と目が合う。首を傾げながら彼女についていき、どんな店に行くのかと思ってると彼女は端の小道に入った。個人店らしい小さな店が何軒か立ち並んでいて、先程までの喧騒が嘘のように落ち着いた場所だ。少しすると彼女が立ち止まって、自分も並んで足を止める。目の前のお店は提灯が赤々と下がっており、年季の入った暖簾は昔ながらの雰囲気があって店内から元気な笑い声が聞こえてくる。
「…すみません、こんな店でも大丈夫そうですか…?」
「いや、寧ろ結構好きだぜ!こんな店あったんだな!」
「あわわ…!」
また不安そうにしてる彼女の頭を軽く撫でてから、せっかくの髪のセットが崩れないようにおくれ毛を耳にかけてやると、その小さな耳が熱くなったのですぐに手を離した。名残惜しそううに自分で耳朶に触れている姿は、可愛らしくて食べてしまえそうだ。初めて沸いてきた感情を誤魔化すように店の扉を開けると、美味しそうな匂いがすぐに鼻腔に届いた。
「らっしゃいませぇ!!お、お嬢ちゃんか!」
「おっちゃん、2人で」
中はカウンター席とテーブル席が2個ほどあり、狭いけれど店内はこの時間でボチボチ席が埋まっていて賑わっている。カウンターの内のタオルを頭に巻いた男性は親しげに彼女を迎えてくれて、目の前のカウンター席にと案内してくれるので少し背を屈めて暖簾を潜った。席に腰掛けようとしてふと目線を上げると、恐らく店主であろうその男性が俺と彼女を何度も交互に見ている。暫くすると口をあんぐりと開けそれに負けないくらい目も大きく見開いて、手に持ってた菜箸を落として賑やかな店内にカランっと音が鳴った。
「お嬢ちゃん、彼氏か!?」
「え!?あら、まぁ!本当や!!別嬪さん連れてきたなぁ!」
「えっ、ちょっと、おっちゃん達やめてください!か、彼氏じゃないです!」
最初の迎えてくれた声に負けないの大声に、思わずボイスヒーローの俺が驚いて怯んでしまった。テーブル席に座っていた夫婦と思われる男女の組も声に釣られてこちらを振り返り、目を丸くして声を上げる。彼女は真っ赤になりながら首が取れそうな程首を振って、ついには貰った冷たいおしぼりで顔を隠してしまった。
「…常連さんなんだ?」
「うぅ…仕事終わりとかに、よく来ます…」
余計にざわざわした店内で、聞こえるように耳元に顔を近づけ声をかけるとビクリとその小さい肩が震えた。真っ赤な顔でこちらを見上げてくる目は恥ずかしさ故か少し涙目になっていて、「おじさんみたいですよね…」と消えそうな声で呟いてるので首を振って笑ってみせた。
「いいと思うぜ?こういうお店。常連さん同士も仲良しって、このご時世だと
なかなか少ないだろ?」
「…良いお店、なんです。あったかくて。あと、ここの唐揚げがとっても美味しいんです!」
少し唸った後、彼女は小さく頷いて顔の熱も冷めてきたのかメニュー表を差し出してくれる。とりあえずニヤニヤとしている店主に2人で生を注文し、彼女のオススメの物を何個か適当に頼んでもらった。最初に来たお通しをつまみに、運ばれてきたグラスで乾杯をしてゴクリと一気に喉に流し込めば疲れた体にじんわりとアルコールが染み渡った。
「ッぷはー!仕事終わりのビールは、やっぱ一番最高だなぁ」
「暑いから、尚更最高ですね!あーこんな早めの時間から呑めるってステキー」
じわじわと広がるアルコールが堪らず、息をつくと彼女が楽しそうに笑いながら足をぶらぶらと揺らしてる。ポツポツと、この一週間あったことなど話してると、カウンターから揚げたての唐揚げが手渡される。相変わらず店主はニヤニヤして聞き耳を立てている様子で、彼女は恥ずかしさ故かワザと無視していた。口に運ぶと、肉汁が溢れて付け込まれた味が口内に広がってきてこれもまた堪らない。まさしく、ビールが進むってやつだ。
「確かに、こりゃ美味いぜ!」
「ですよね!6個で300円なんですよ?」
「え、まじ!?何個でも食えるな…」
少しお酒が入ってきたからか、ほんのり赤らんだ頬で嬉しそうな笑顔で彼女は目を細める。酒の力なのかいつもよりもどことなく砕けた様子で、本当、彼女といると新しい発見ばかりで飽きない。暫く呑んで、彼女がお手洗いに立ったので残りのビールを流し込んだ。
「それにしても、お嬢ちゃんが男連れてくるなんてなぁ」
「女友達とかが、多いですか?」
「いや、ほとんど1人でくるぜ」
退席を見逃さずに、ここぞと言わんばかりに店主がカウンターに肘をつきながら俺に話しかけてきた。男と来てないのかと、安心してると彼はパフォーマンスをするように大袈裟な動きで首を振って人差し指だけ立てるので目を瞬きさせる。
「いーっつも仕事終わりにドロドロに疲れてウチに来るんだよなぁ」
「そうそう。唐揚げと白米と、ビールがいつものコースだよな」
俺の隣にいた同い年くらいの男性も楽しそうに笑いながら会話に入ってきて、常連ばかりな事に驚いた。彼女がスーツ姿でカウンターに突っ伏している姿がなんとなく想像出来て、古い木目の机を撫でてると店主が腕組しながら遠くを見つめる。
「大学の頃からこの近くに住んでてな、サークル帰りとか就活後とか、入社してもずーっと来てくれてんだよ」
「…愛されてるんですね」
「でっかい娘みたいなもんだな!」
少し照れ臭そうに店主が笑うもんだから、彼女がこの人や常連さんから大切に愛されてるのかが伝わってくる。最初、1人で来てると言われた時は心配になったが、恐らくタチの悪い酔っ払いなどはこの人たちが対処してくれてるだろう。
「それにしても、やーっと彼氏ができて安心したわ!」
「そそ!そこだな!しかもイケメンときた!!どこで出会ったんだ?」
おかわりのビールを受け取りながら、早速きた本題に思わず苦笑いになってしまう。どうやら、彼らは俺を彼氏だと信じて疑いすらしてないらしい。俺としては、有り難いことだが此処で変な事を言えば彼女に迷惑がかかるかもしれない。ビールの泡に口をつけながら言葉を濁らせ、早く帰ってきてくれと心の中で彼女の名前を呼んだ。
「一時期から、ヒーローにハマって大変だったよなぁ!」
「私は彼氏なんかいらないんだーって酔っ払いながら叫んでよ!年頃の娘だろ?俺たちは心配だったんだよなぁ」
「…ヒーロー、ですか?」
と、思ったけれど、店主や常連さんの言葉にもう少し帰ってこないでくれと思った。少し身を乗り出すと、やっと俺が良い反応を示した事に気を良くしたのか口元を上げながら彼もカウンターから乗り上げてこんばかりに近付いてくる。
「そうそう!もういっつも来るたびに熱弁しててよぉ、なんだったっけ?」
「あれだろ?確か、プレゼントマイク!」
常連の言葉に思い出したと言わんばかりに店主が手を叩いたのと同時に、ガタタンッと椅子が動く音が響いた。それに振り返れば、トイレ前で顔や耳まで真っ赤になってわなわなと震えてる彼女が立っていた。
「それだ!なぁ、なんかラジオに手紙出したりしてたよな!」
「おっちゃん!もうやめてぇ…!」
同意を求めるように言葉を続ける店主に、縋り付くようにカウンターに崩れ落ちながら彼女が叫ぶ。髪を結ってる為に晒されている頸まで真っ赤になっていて、なんとも言えない気持ちになりゴクリと生唾を飲み込んだ。
「いいじゃねぇか、別にヒーロー好きなんて珍しいことじゃねぇし!」
「あと、コマーシャルしてたからとかで、そののど飴買ったりしてたよな!」
「あったな!喉痛くないくせにな!応募のために沢山買って俺らに配ったりしてよぉ!」
あれもこれもとすっかり思い出話に夢中になっている常連たちを他所に、顔を上げずに彼女はずっとその場で小さく唸っている。本人からにないにしろ、自分に好意を持ってくれているその言葉を聞く自分も、彼女の熱が伝染したようにじわじわと顔に熱が集まってきた。
「ごめんなさい…」
「いや、こちらこそ…」
お互いにポツリと呟いて、それから無言になる。顔を上げない彼女の表情を見たいけれど、きっと今自分は情けない顔をしているから見られたくない気持ちがせめぎ合いになる。感情が行き場がなくて頭を撫でてやると、ゆっくりと顔が上がってバチリと目があった。
「気付いてたよ、薄々だけど」
もう自分の感情がどうしようもなくて、困ったように笑って見せると、彼女は顔が尚更赤く染まりながら口をまるで金魚のようにパクパクとさせた。
「な…んで…!?」
「だって、一番最初に会った時、俺のことプレゼントマイクってわかったろ?俺、この姿じゃほぼバレねぇもん。あと、プラネタリウムで俺の誕生日、知ってたし」
「はぅ……もう死にたい…」
ゴツンと、カウンターに額を押し付けながら呟かれた言葉に笑ってしまう。やはり、そうだったのかと思う反面、俺だけが知ってた秘密だったからネタバラシしてしまって勿体無い気持ちになる。その会話が少し聞こえて俺がプレゼントマイクだと察したのか、やってしまったと気付いた表情で店主はそそくさと他のテーブルの方に行ってしまった。
彼女がファンだというのが確定したけれど、この言動などはただのファンとしてなのか、俺を異性として見てくれてる故かは、何となく聞けなくてそれ以上は言葉を飲み込んだ。大人になると、酷く臆病になってしまって引かれた境界線の壁がなかなか高くで踏み越えることが出来ない。ただ、目の前のリンゴのように真っ赤な彼女が愛おしくて、彼女が落ち着くまで暫く柔らかな髪を撫でていた。
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