いつの間にか捕まっていました
「貴女のその不意に突っ走る所は昔から見てられません。もう少し考えて行動してもらわないと困ります」
「はい、すみません…」
医務室のベッドに座って項垂れている私に、七海さんは子供を叱る親のように小言をまた零す。全く反論出来ないので私は反省して頷く事しかできなかった。
あれから七海さんは任務があったので別れる事になったのだけれど、七海さんから医務室に行って治療を受けることと必ず定時で上がるのでそこで待ってるようにと強く念押しされて大人しく従って待っていた。草履を脱いで走っていたせいで足袋は泥と血で汚れていて、小さな傷が多く家入さんが呆れた顔をしていた。反転術式で治療してもらえば一発だけれど、こんな私用な怪我で家入さんの力を使わせるのは申し訳なくて断った。
私の包帯で巻かれた足を見下ろして七海さんはゆっくり溜息を吐き出すと、床に膝をつきベッドに腰かけ宙に浮いてる私の足にそっと触れる。
「これからは自分一人の体ではない事を自覚してください。」
「う…、わかりました…」
私の足を持って跪く七海さんはまるでおとぎ話の王子様のようで、その上そんな殺し文句を言われるとときめきで死んでしまいそうで胸元の服を握りしめた。
七海さんを待ってる間に着物も脱いで家入さんが用意してくれたジャージに着替えた。自分では着崩れを直せないし、何より何だか疲れてゆっくりベットの上で休まりたかった。すると七海さんがそのまま座ったまま背中を向けて、何事かわからずキョトンとしていると顔だけ振り返ってきた。
「足、痛いでしょう?車で送るので乗ってください」
「え!?いやいや、大丈夫です!私重いですし!」
「お姫様抱っこして駐車場まで歩いてもいいんですよ?」
「よろしくお願いします!」
ブンブンと手と首を振って見せるが、七海さんは正面に向き直って淡々と返してきたので即答で返事をした。流石に職場をお姫様抱っこして歩かれるのは私のメンタル的にもたない。おずおずと七海さんの首に手を回して体を預けると、背中が想像以上に広かった。膝の裏に逞しい腕が回されてグィッと視界が高くなって、初めて見る景色が広がる。私はきっと今真っ赤でだらしない顔をしていると思う。七海さんがそのままゆっくりと歩き出して廊下に出ると人の声が聞こえてきて、堪らなくなって彼の肩に隠れるように顔を埋めた。
「あの、七海さん、」
視界が閉ざされると色々な音が聞こえてくる。定時を超えてもまだ仕事をしている人達の声、廊下を歩いて床の木が軋み風が吹いて窓がカタカタと揺れる音、七海さんの革靴が地面を噛み締める足音と歩くたびに肌と服が擦れる音。その音に耳をすませながら彼の名前を呼ぶと、一瞬此方を見るために首を回す気配がした。
「私たちは、その…お付き合いすると言うことで…よろしいんでしょうか?」
七海さんを待っている間、ずっと考えていた。私が好きだと伝えて、七海さんもそれに応えてくれた。だけど『付き合おう』と肝心の言葉を言われなかったから、時計の針が進んで時間が経つたびにあれは夢なんではないかと思い始めていた。
首に抱きつく力を強めながら言葉を振り絞るが、返事が返ってこない。おずおずと顔を上げようとしたが、その前に体を引き剥がされた。触れ合っていた体が離れるとそれだけで空気がひんやりと冷たい気がして、少し寂しさを噛み締めているとそのままゆっくりとベンチに降ろされた。
「何故先程のやり取りがあったのに付き合わないと思ったんですか?そんな事言う口はこの口ですか?」
「い、いひゃいでふっ!」
やっと見ることが出来た七海さんはどことなく不機嫌なのがダダ漏れな様子で、私の頬をつねって左右に引っ張った。そのせいで上手く滑舌が回らなくて離して欲しい事を手を抑えて訴えかけるが、彼の指先は何度か頬の感触を楽しむように引っ張ったり摘んだりを暫く繰り返してからやっと離してくれた。そんなに痛くはなかったが、血流が良くなってじわじわとした感覚が広がる頬を七海さんが静かに撫でる。また別の意味で頬が赤く染まってくるのがわかって、目を伏せた。
「だって、七海さんこの間呪術師の女性とお食事行ってましたよね…?」
「…いや?最近貴女以外と出かけてませんが…?」
「え、だって、この間ご馳走様って…!」
ここ最近の憂鬱の元を俯きながら問いかけると、想像していなかった返答が返ってきて勢いよく顔を上げると七海さんは本当に意味がわかないといった表情をしていて困惑する。でも、確かにあの時の会話はそういう話だった、はずだ。私も訳がわからなくなって困っていると、七海さんは顎に手を置き考える素振りを見せてから、少しして何かわかった様子で顔を上げた。
「恐らく、先日任務で同行した際に彼女がお腹を空かせていたので持っていたパンを分けてあげたのでそのお礼でしょう」
「へ…?で、でも、食事に誘われてましたよね?」
「お断りしたはずですが、ちゃんと話聞いてましたか?」
そう言われると、あの時途中から混乱していて話を最後まで聞いてなかった気がする。そう思ってほっとするけど、肝心の最後の一言の件があるので一度唾を飲み込んでから震えないように息を吐き出して口を開いた。
「お付き合いとか、そういう事に興味がないって…」
さっきまでトキメキで煩かった心臓も、今ではひんやりと不安な気持ちで一杯でどうにかなりそうだった。七海さんの言葉を聞くのが怖くて、逃げ出したくなる気持ちを必死に耐えていると、それに反して七海さんは何が面白いのか小さく吹き出した。
「えぇ、生憎貴女以外には興味がありませんので。」
そうやって笑って言い切る七海さんはどこか楽しそうで、私の頬を指で撫でた。
「それで?これで信じてもらえますか?」
あんなに悲しくて辛かった気持ちが、溶けて温かくなって胸に落ちていっぱいになる。嬉しくて恥ずかしくて想いでいっぱいなのに、素直に手放しで喜ぶことが出来なくて心を落ち着かせるように熱い息をゆっくりと何度も吐き出した。
「…これ、私の夢か都合のいい妄想じゃないですよね?」
ずっと恋焦がれていた。彼がこの世界を離れた時に諦めて、そしてこの間気持ちに2度目の蓋をした。それなのに彼も同じ気持ちだったなんてまだ信じがたくて、そう呟くと七海さんは少し身を屈めて私の視線を拾うように顔を覗き込んでくる。
「前々から思っていたのですが、何故貴女はそんなに自己評価が低いんですか?学生の時は少なくとも今よりもお気楽なタイプだったと思うのですが」
お気楽なタイプというのは褒め言葉なのだろうかと思えるが、確かにそうだったと自分でも思う。膝で手を握り締めているとそっと包み込むように手を重ねられた。その手がとても暖かくて、ほっとして肩の力が抜けた気がした。
こんな話を彼にするのは躊躇われたが、私をどこか心配そうに見つめてくる瞳に嘘や誤魔化しの言葉は吐きたくなくて、深呼吸を一度して口を開いた。
「えっと、補助監督をしていると、何て言うんでしょうか…見下される?ことが多くてですね…」
今まで言われてきた罵倒の言葉達は鮮明に思い出せる。勿論、みんながみんなそんな人ばかりではない。でも歴史のあるこの業界だと、呪力が高く術式が強い人がやはり上位に立つ世界だ。最初は呪術師を目指して入学していたのでそれは余計にだった。
全て語る事はないがそう伝えて苦笑いを漏らしながら頬をかいて見せると、七海さんの眉間の皺がぐっと寄る。それは私なんかよりずっと苦しそうで、きっと優しい彼のことだから私と彼の空白の数年を想像して心を痛めてくれてるんだとすぐにわかった。
「すみません。」
「あっでも!疲れちゃった時とかは七海さんの言葉を思い出して頑張ろうって思えるんです!」
小さく頭を下げる七海さんに慌てて両手を振って笑って見せると、少ししてゆっくりと顔を上げた。私の言っている事に少し困惑している様子で、何だか彼の感情がわかるようになってきたのが嬉しくて一人で口元が緩んでしまった。
「覚えてますか?一緒に任務に行った時のこと」
一緒に任務に行ったあの日は、私が一年生の頃で少し肌寒くなってきてちょうど制服が半袖から長袖に切り替わった時期だった。
□■□
「すみません、私のせいで七海先輩怪我しちゃって…」
「大した傷じゃありません。その後のアシスト助かりました。」
補助監督さんが運転してくれる車で何度目かわからない謝罪を隣に座る七海先輩に伝えると、彼は淡々とした様子で手元の資料に目を通していた。今日は呪霊の階級もそんなに高くなかった。それなのに、久々に七海先輩と同じ任務だったからいいところ見せようと張り切りすぎて、空回って結果私を庇った七海先輩に怪我をさせてしまった。
最近長袖になった制服のシャツには血が滲んでいて、その上から補助監督さんが巻いてくれた包帯がぐるぐる巻きになっている。アシストと言ったって、結局は七海先輩がトドメを刺してくれたようなものだ。悔しくて、俯いて膝の上の拳をキュッと力一杯握り締めた。
「私、やっぱり向いてないのかもしれません。先輩方と違ってへなちょこだし、なんか他の道目指した方がいいのかなー…なんて…」
自分で言っておいて、じわじわと視界が歪んでくる。こんな事、怪我をした七海先輩に言っても迷惑でしかないのに。
いつもは能天気にどうにかなる!って精神で突っ走って生きているのに、今日はもう本当全部がダメダメだ。泣かないように必死で耐えて、早く涙を引っ込めて冗談ですって笑わないとと思っているのに、そう思えば思うほど目頭が熱くなってきた。
「貴女は、どうしたいんですか?」
座る革張りのソファーが彼が動く振動で音が小さくなる。その中でもしっかりと七海先輩の声は私の耳に届いて、不思議な感覚だった。顔を上げると、ちょうどトンネルに入ったところで車内が暗くなる。道路照明が窓から差し込んできて、その光で七海先輩の髪が照らされてすぐに暗闇の世界に戻る。
「貴女は、自分がやりたい事をやればいいと思います。他人がどうこう言うことは気にしなくてもいい。全て、貴女自身が決めるべきだ。」
真っ直ぐ此方を見てそういう七海先輩の瞳は真っ暗な世界の中でもわかるくらい綺麗だった。本当に一歳しか変わらないんだろうかと思うくらい説得力のある言葉に胸が詰まる。そうしている間に先頭の先には外の光が見えてきて、トンネルを抜け切る前に見られてしまわないようにゴシゴシと目元を袖の端で拭った。
「…ありがとうございます!」
私の大きな返事に、運転していた補助監督さんがびっくりしたようでバックミラー越しに此方を見ていて慌てて謝った。そんな様子に七海先輩は小さく溜息を吐き出し資料に視線を落とした。でも、その口元は普段よりちょっとだけ緩んでいる気がして、私は彼への気持ちとさっきの言葉を大切に心の中に仕舞い込んだ。
□■□
「あの言葉のお陰で、私は呪術師の方を支えたいって決めた初心を思い出すんです。だから負けないぞー!って心の中で上層部のオヤジ達の悪口を頭の中で叫びまくってます!」
七海先輩がこの世界を離れるときは寂しかったけど、彼の言葉を何度も思い出して救われた。優しい彼の罪悪感を拭うために意気揚々と拳を握りしめて見せると、少し私の勢いに圧倒されている様子だった七海さんは呆れたように小さく笑った。
「それなら、良かったです。」
そういうと七海さんは中腰の体制で私との距離を詰めてくると、瞬く間に腰と膝裏に手を差し入れてそのまま私を抱き上げて立ち上がった。一瞬の頃だったので直ぐに反応出来ず、お姫様抱っこされているのだと気付いたのは数秒後だった。
「しかし、これからは別です。もし陰口やパワハラセクハラなどされたらすぐ私に報告するように。此方で対処します。」
「ひょぇ…対処…とは…?」
恥ずかしいとか思ったより高くて怖いとか、そういう感情よりも私を見下ろす七海さんの目がなんというかマジな目をしていて背筋が冷たくなる方が先だった。私の問いにも、七海さんは返事をしてくれない。あれ、おかしいな。私たちさっきまで思い出話のハートフルな空気感ではなかっただろうか?頭の中がハテナで埋め尽くされている間にも、七海さんはそのまま歩き出してしまうので落ちないように彼のワイシャツにしがみついた。きっといいお値段するシャツに皺がついてしまうのは申し訳ないが、お姫様抱っこされることなんて人生に滅多にないのでどんな体制でされるものなのか正解がわからなかった。
「それと、これからは卑屈になって自分の価値を下げないように。貴女はとても素敵な女性なんですから自信を持ってください。」
「そ、それは難しいかもしれません…」
「それなら、そうならないように毎日私が自己肯定感を上げれるようにします。」
この体制で誰かに見られないか心配していたが、七海さんの足は駐車場に向かって歩いていて幸いにも人通りはあまりないので助かった。お世辞にも褒められただけでも恥ずかしくなってしまい、彼の胸元に顔を埋めるように唸りながら首を振る。すると、ふと影が落ちて七海さんの香りが強くなった。それと同時につむじに何か触れる感覚がして、顔を上げると思ったよりも至近距離に七海さんの顔があって息が止まるかと思った。
「毎日貴女が見落としているところを褒めて、想いを余すことなく伝えます。貴女の知らないところまで隅々触れて、キスをして、新しい魅力的なところを見つけます。美味しい食事を一緒に食べて、温かいお風呂で嫌な物を全部流して、布団でその柔らかい髪を撫でながら眠りましょう。」
七海さんが喋るたびに鼻先に息がかかって、長い睫毛が目元に影を作るのがはっきりとわかる。低音のその声が、その甘い言葉たちが脳にゆっくりと響いてまるで麻薬みたいにじわじわと麻痺していくような錯覚がおきた。遅れて言葉の意味を理解すると、それを想像してしまって体が熱くなり足先をぎゅっと丸めた。
「どうですか?これでもまだまだしたい事を我慢してるくらいです。」
そんな私の様子に満足そうに細める七海さんの瞳は酷く意地悪だ。全て確信犯な動作に、なんで私は今まで彼からの好意に気付かなかったのか信じられないくらいにも思えてきた。最後の悪あがきで、顔を見られないように彼のネクタイを引っ張ってやってから、青のワイシャツにこれでもかというくらい顔を擦り付けた。
「七海さんに、ときめきで殺されちゃいそうで怖いです…」
ボソボソと服に顔を埋もれながら呟くと、頭上で小さく笑う気配がする。
「安心して私に溺れてください。今更逃げられるなんて思わない方がいい。」
くっついている方の逆の無防備な耳元で囁いてくる言葉は、酷く甘く恐ろしい愛の言葉だ。また歩き出す揺れを感じながら、何だかいろんな事があって疲れてしまって身を委ねるように目を閉じる。すると七海さんのトットッと命を刻む脈が聞こえてきて心地よかった。気持ち早い鼓動は、私と同じ気持ちでいてくれているという事だろうか。私が数年燻って育ててきた愛の形は、思ったよりも相手も同等の大きさだったようでこれからの彼との日々のことを想いながらシャツを握り締める力を強めた。
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