熱に浮かされてるのはお酒のせいです。
昨日は安定に定時で終わらせた七海さんを高専まで送迎して車を停めた後にダッシュで事務室に戻ったが、当たり前にお目当ての人物は姿はなかった。仕方ないので携帯を取り出して伊地知くんの名前をトークチャットから探し出して『明日 飲みに行く。絶対。』とだけ送信する。業務を終えて寝る前には、『了解しました。』と彼らしい返信がきていた。残業をして今から帰るのか、はたまたそのまま仮眠室で休むのか。疲れきった顔の同僚の姿が脳裏に簡単に想像出来て、労りの言葉を送信してから今晩はこの焚き付けられた恋の熱を一人で燻って眠りに落ちた。
「おはようございます…」
「伊地知くん!よく出勤してきた!!」
何事もなく朝が来て、いつもみたいに準備して同じ毎日が始まる。一つ違う事といえば、事務室に伊地知くんが入ってきた途端待ち侘びた私が立ち上がって椅子を倒した事と、ひぃっと怯えたように伊地知くんが後退るという異様な出来事が起きたことくらい。
「…って事があったのよ!キャパオーバーです私は死ぬのかもしれません。」
とりあえず昨日から一人家で悶々としてた想いを話し終えたら胸の中でぎゅうぎゅうでいっぱいだったものが少しラクになった気がして、背もたれにもたれながら息をゆっくり吐き出した。終始はぁ、そうですか。って相槌を打っていた伊地知くんも肩の荷が降りたようにホッと息を吐き出す。
「なんだ…一体何事かと…」
「なんだとは何よ、こっちは一大事件よ。」
私が唇を尖らせると伊地知くんは困ったように眉を下げて笑った。学生時代から続く不定期開催の今日の七海さん報告会に慣れたのか、それとも飽きたのかはわからないけれど、彼は途中からとても曖昧な反応をするようになってしまった。それに気付いても尚、申し訳ないがこんな話をする相手など伊地知くんしかいないので、私はずっと知らないフリして話を聞いてもらっている。
「で、いつお出かけされるんですか?」
「え?」
「え?」
改めて格好よかったなぁと脳裏の七海さんを思い出しながら天井を仰いでぼーっと木目を数えていると、そう問いかけられて顔を彼に戻した。私の反応が予想外だったのか、伊地知くんは目をパチクリとさせている。
「…お返事されてないんですか?」
「だって、お世辞かもしれないから真に受けて返事したら今度こそ死ねるもん。」
昨日の夜ずっとその日起きたことをベットで一人で振り返った結論が、今日はいい天気ですね、楽しかったのでまたお出かけしましょうね、くらいの世間話の類だったんだろうという結果に行き着いた。じゃないと、高校時代からまぁ顔見知りくらいの、しかも補助監督を食事にいきなり誘うなんて理由を思いつかない。それか、実はこの会話は全てが私の妄想で、思い出が改ざんされているか。そうなれば社会的にも死にたくなってしまう。
そんなことしてる間にあっという間に始業時間になってきたので気持ちを入れ替えて椅子に向き直る。提出されている報告書の誤字脱字がないか確認していると、伊地知くんは相変わらず困ったように眉を寄せて言葉を探している様子だった。
「七海さんは、お世辞でわざわざお誘いしたりしませんよ」
「わからないよー、一度社会に出てるし建前の付き合いなんて日常茶飯事でしょ」
彼なりに私を気遣ってフォローしてくれてるらしい。そんな彼の優しさにヒラヒラと手を振りながら笑ってみせれば、また一段と眉を下げて困り顔をしていた。頼りになるし仕事が出来るしそれで優しい同期に、私だけじゃなくて後輩もとても助けられているんだよなぁ。
「とりあえず、今日は飲み行くの決定事項だから。そして積もる七海さんの格好良かったポイント聞いてもらう!」
この話はおしまいだと自分から降っておいて一度手を叩いて切り上げる。その為には仕事を定時に終わらせなければいけない。目の前に溜まった報告書に取り組めば、何か言いたげだった伊地知くんも机に向き直りいつもと変わらない一日が始まった。
□■□
「あ、遅い遅い〜!五条さん待ちくたびれちゃったぞっ!」
いつものガヤガヤとしたよくあるチェーン店の飲み屋にいけば、想像外の人物たちがいて肩にかけていた鞄がずり落ちた。お目当ての飲み友達は肩身狭さそうに隣の最強と呼ばれる特級様に肩を抱かれてそれはもう小さくなっていた。
「五条さん、もう少し声のボリューム落としてください。お店の迷惑です。」
「えーん別に周りも賑わってるから良くない?」
そして、その向かいには昨日の今日で話題の人物の七海さんが一人座っている。四人がけのボックス席は流石に高身長の分類に入るの男性が二人いたら少し狭そうで、なんだか椅子が可哀想だった。なんでこうなったのかと伊知地くんに目線を送れば、すみませんと全身で語っていて余計にちっちゃくなってしまった気がする。
さて、どうする。このままだと私は七海さんと隣の席という形になってしまう。しかし、こんな狭い席で肩を並べるなんてもう爆発してしまうかもしれない。食べる飲むどころでは全くない。どうする事も出来ないで立ったままでいると、若い学生っぽい店員さんが「らっしゃいませー!」と元気に言いながら私のお通しをテーブルに置いてくれた。勿論、七海さんの隣に。
「いつまで立ってるんですか?」
「は、はぁ……失礼シマス」
怪訝そうに見上げてくる七海さんにぐっと息を呑む。普段の高身長の彼から見上げられるのも、なんだか普段と違って新鮮だった。腹を括ってジャケットを脱いでハンガーにかけてから、小さく頭を下げて恐縮ながら七海さんの隣に腰掛けた。
「何飲みますか?」
やっぱり、いや思ったより距離が近くて七海さんの低音が鼓膜に響いて背筋がぞわりとする。最近の注文は便利なことにタブレットで出来るので、奥の充電の台からタブレットを取って手渡してくれた。その一瞬、距離が余計に近付いて反射的に距離を取るように少し体を外側に傾けてしまった。
「あ、とりあえず生で」
「ヒュー!シブイねぇ、お疲れの社会人って感じ!あ、僕のカルピスも頼んでー」
「五条さんは相変わらずの飲み合わせですね」
七海さんの顔が見れなくて手元のタブレットに目線を落としたままビール一択で注文していると、目の前の五条さんが笑いながらソフトドリンクの欄を指先でこつりと向かい側から叩く。ちなみに今は唐揚げと塩辛にメロンソーダを飲んでいる。唐揚げはまだいいとして、塩辛って…組み合わせを考えただけでもおえってなっちゃう。注文送信をすれば3分くらいしたらとりあえず私のビールだけ先に届いた。
「そんじゃ、改めてカンパーイ!」
五条さんが元気よく音頭を取れば目の前から飲みかけのメロンソーダのグラスを差し出されるのでビールのジョッキを持って乾杯した。緑ハイを差し出してくれる伊地知くんは、昼に事務室で書類作成している時よりもゲンナリして疲れ切っている。ドンマイ。順番が人数が少ないのですぐ回ってきてしまって、隣を見れば七海さんが思ったよりも真っ直ぐ此方を見下ろしていて視線が絡んだ。
「お、疲れ様です。」
「そちらこそお疲れ様です。」
七海さんは何か飲んでいるけれど、多分色が濃いそうだからロックなんだと思う。少し向き合うように身じろぎしてジョッキを差し出すと、ぶつかるタイミングで七海さんのグラスの氷がカランっと溶けて音を鳴らした。私のビールの泡も、少し消えてきていて中身を一気に煽って顔に熱が込み上げてきたのをお酒のせいにして誤魔化す。
そこからはとりあえず届いた追加のおつまみを食べながら、昼ご飯を食べそびれた私はそこそこお腹減っていたのでガッツリしたおかずを新しく何品か選択してからもう一度送信ボタンを押す。
「君はさぁ、伊地知と付き合ってんの?」
「えぇ!?」
「ご、五条さん…!?何を…っ!?」
無事届いたカルピスをストローで一気に半分ほど飲み干しながら、五条さんは肘をついてニヤニヤと笑みを隠す事なく話題を振ってきた。その突拍子もない予想してなかった質問に、軟骨唐揚げが喉に引っかかるかと思った。思わず大きい声を出してしまうと、私よりもワタワタと視線を四方八方飛ばしながら伊地知くんが慌てふためくのでなんだが申し訳ない。
「…ただの同級生で同僚です。そんなの五条さんが一番知ってるじゃないですか」
「えー本当にそうかなー?だって今日も二人で飲みに行く約束だったんでしょ?」
「別に、伊地知くんだけじゃなくて他の人とも飲みに行きますよ。五条さんともこの間食事しましたよね?」
「あぁ、あのホテルのアフタヌーン美味しかったよねー」
どうにか弁解してあげないと伊知地くんが可哀想なので、否定するが今日の五条さんはやけにしつこくて腕の中の伊地知くんのやつれたほっぺを指で突いてる。ツンツンというよりドスドスという効果音がつきそうなくらい勢いよく突いていてしっかり痛そうだ。
一緒に食事、というか先月五条さんを送迎中に寄ってくれと言われてそのままあれよこれよで私まで連れて行って頂いた会員制のホテルのお高そうなチョコレートのアフタヌーンティーの話題を振れば、思い出したと言わんばかりに体を一旦伊地知くんから離してタブレットのデザート欄に指を滑らし始めた。何十分ぶりにその腕から解放されたであろう伊地知くんは、朝より3キロくらい痩せてそうだった。ドンマイ。
チラリと、隣の七海さんを盗み見たけれど、何も気にした気配など微塵もない様子で終始無言で熱燗を呑んでいた。まぁ、うん、当たり前か。別に知り合いの後輩が誰と付き合う付き合わないとか大人の七海さんは興味ないよなぁと、自分で納得しながら自爆して落ち込んでしまう。ちょうど空いた皿を取りに来てくれた店員さんにハイボールをお願いすると、店員さんの彼女は元気に返事してくれた。
「それじゃ、僕帰るね。ほら、伊地知タクシー捕まえてきて」
「はっ、はい!」
どうやらいいデザートがなかったようで、ポイっとタブレットを私に放り投げて咄嗟に受け取ればギリギリ落とさなくて済んだ。五条さんが立ち上がって当たり前のようにそう言うと、伊地知くんがワタワタと荷物をまとめ始める。
それならお開きだろうかと私も腰をあげようかと思ったら、五条さんに肩を押されて自然に椅子に体が戻ってしまった。
「いいよいいよ、君は来たばっかりなんだしまだ飲んでなよ。それじゃーねー!」
「すみません、埋め合わせは後日…」
「あぁ、いいよ別に!お疲れ様。」
五条さんはなんだか楽しそうに笑いながらまるで嵐のように去っていった。伊地知くんが申し訳ないようにすれ違いざまに謝ってくるので、気にしないでとドンマイの気持ちを込めてヒラリと手を振って見せれば気持ちが伝わったようで苦笑いをしながら頭を下げて五条さんを追って小走りで去っていった。
残された私たちのテーブルは先程と比べたら静かになったけれど、若い学生や仕事終わりのサラリーマン達の声で店内はまだ賑わっている。瞬く間に残された私と、そして七海さん。謎の組み合わせの空間にどうしようかと悩んでいると、若い少年が元気よく私のハイボールを運んできてくれた。
「あの、私、あっちの席に…」
わざわざ二人だけなのに並んで座ってるのは周りから見ても不思議だと思うし、何より私の心臓が持たないのでまた立ち上がろうと思って腰を上げた。けれど、立ち上がる途中でぐんっと何かに引かれてそれ以上動けなかった。
「別に、このままで私は構いませんよ」
それは私の手を掴んでいる七海さんのせいだった。私が中腰の体制だから、普段身長が高くて見上げてばかりいる七海さんと同じ目線で何だか落ち着かない。七海さんに握られた手がドクドクと脈打って熱くて、そこに心臓があるみたいだ。
見上げてくる七海さんが手を引くと、またゆっくりと私の体は先程のように椅子に戻った。
「…五条さんともお食事されるんですか?」
「えっと、あれは不可抗力というか…」
座ってもまだその手は握られたままで、顔を見れなくて俯いていると頭上から声が降ってくる。そんな日常的に特級呪術師の人とご飯に行くわけではない。付き合わされただけで別に悪いことじゃないのに、言い訳みたいにモゴモゴと口の中で言葉が渋滞してしまう。それを飲み込む為に空いてる片手でハイボールを取って半分くらい飲み干していると、不意に繋がれたままの私の手首を七海さんが親指で撫でるから思わず吹き出しそうになった。
「それで、私と食事はいつ行ってくださるんですか?」
「ゴボッ……え?」
七海さんの前でハイボールでビチャビチャになる訳にはいかないからどうにか飲み込んで耐えてると、予想してなかった言葉に振り向いてしまった。この間の車内とは違って七海さんはサングラスを外していて、その綺麗な瞳と真っ直ぐに視線が絡み合う。
「私は先日、貴女をあの場で誘ったはずですが」
この間より距離が近い。なんで私はジャケットを脱いでしまったんだろう。肩が触れ合うこの距離では薄いシャツ越しに七海さんの体温を感じるし、何より私の全身熱いのがバレてしまう。
「私は建前の付き合いで誰でも構わずお世辞に食事に誘うほど暇じゃありません」
そのどこか聞いたことがあるフレーズに、どこかに飛んでいっていた思考が戻ってくる。多分、七海さんは事務室で私が話してる内容を聞いていた、んだと思う。
「あ、えっと…すみません…」
本当に善意で誘ってくださっていたのなら、失礼な事を言ってしまった。慌てて小さく頭を下げると、頭の上で深めの溜息を吐き出す音がして目の前の繋いでいた手もゆっくりと離れていった。私の手はもう緊張でとてつもなく手汗をかいていて、恥ずかしくて本当にさり気なくズボンで拭いておいた。でも、さっきまで触れ合っていたからもう七海さんは気付いていると思う。死にたい。
「貴女は放っておくとまた返事をしない気がするので、今すぐ予定を確認してください。」
「か、かしこまりました!」
腕を組んで早くしろと顎で催促されて、私は急いで鞄から仕事用のタブレット端末を出した。…改めて自分のカレンダーを見ると中々の過酷スケジュールで、労働基準法とはなんだろうって疑問になる。遠い目をしながら指を滑らせて、やっとポッカリと空いた日を見つけた。
「えっと、来週の火曜は休みです!」
指さしながら顔を上げると、七海さんはタブレットじゃなくて私を見ていて喉奥で息がひゅっと鳴った。いつも武器を持っている逞しい指が、その空いてるスケジュールの1日をトントンっと叩く。
「それでは、この日は予定を空けておいてください。」
「は、はい…」
もう一つ一つの動作が格好良くて、ずっと心臓がうるさくて苦しくなってきた。実はときめきじゃなくて不整脈とかなのかもしれない。自分の携帯のカレンダーにも一応印をつけてタブレットを鞄にしまっていると、不意に耳に何か触れた。
「ひぇっ!?」
いや、うん、何かといえば当たり前に私と七海さんしかいないから、それは七海さんなんだけど。するりと耳の外枠を撫でたかと思えば、仕事中だからピアスもしてない味気ない耳たぶを感触を確認するようにふにふにと揉まれる。言葉が出なくてまるでお腹の空いた金魚みたいに口の開閉を繰り返していると、七海さんが小さく笑う。私は、七海さんがこんな風に笑うのを見たのは2回目だ。
「先日も思いましたが、貴女はすぐに赤くなりますね」
えぇ、自分でも全身真っ赤なのがわかります。おかしい、七海さんってこんな五条さんみたいにスキンシップする人だっただろうか?もしかして酔ってるのかもしれない。酔うと触ってくるタイプなんて、一番タチが悪い。こんなイケメンから触れられたら、女性はたまったもんじゃない。
「お酒を、飲んだからですかね…」
どうにか勘違いモブ女にならないように、一生懸命声が震えないように答えれば至近距離の七海さんの目が細められた。耳たぶから指は離れて、耳裏から首筋までゆっくり指を這わされてドキドキを通り越してザワリと腰元がくすぐったくて姿勢を真っ直ぐ直してしまった。
「そういう事にしておきます、今は。」
七海さんの目は楽しそうで、酔ってるからかどこか熱を孕んでいて男の人に使うのは変かもしれないけど、色っぽい。こんな七海さん、全部が初めてだった。そしてその目に映っている私は真っ赤に溶けたどうしようも無い顔をしているから、この昔から抱えてる想いなんて簡単にバレてしまっているのかもしれない。
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