手の中で転がってるみたいです。


「どうでしたか?」

 いつもの様に山積みの仕事に追われて、一週間分の呪術師さん達のスケジュールを確認した後に窓から送られてきた呪霊の情報を纏め周辺の地図を調べる。十五時過ぎたくらいにお昼を食べてないお腹が小さく鳴いて、そのタイミングで一度ノートパソコンを閉じた。霞む目を瞑り背伸びをして背もたれに深く倒れ込むと、鼻腔にコーヒーのいい匂いが掠めて目を開けた。眩しくなった世界に慣れる為に何度か瞬きしピントを合わせると、コトリと私のデスクにコーヒーカップを置く伊地知くんが私を覗き込んでいた。その顔は、いつだって昔と同じ優しい顔をしていて心底安心する。

「んー…」

 彼の質問の内容は、きっとこの間の七海さんとお出かけの事だと思う。いつもだったら聞かれてもないのにベラベラと喋る私が、一向にその話を出してなかったから話題を振ってくれたんだろう。話すのを忘れてたとかじゃなくて、今回はわざと話さなかった。

「…簡単にまとめると、死んじゃうかと思った。」
「えぇっ!?」

 だって、七海さんとの時間は、なんというか、…甘くて幸せだった。歯切れ悪く言葉を濁して眉を下げて笑うと、私が思った反応と違った様で驚いたように眼鏡の奥の瞳に不安の色が見えた。誤解させては申し訳ないので腹を括って、弁解するべく熱い頬を手のひらで仰ぎながら背もたれから腰を上げた。

「…と、いう感じでした。…どう思う?ドラマのワンシーンかと思ったわ」

 いつもはテンション高く身振り手振りで熱弁しているのに、今日はポツポツとその日あった事や言われた事を脳裏に浮かぶ七海さんの顔の記憶をなぞりながら伝える。最後、どうやって締め括っていいかわからなくて、きっと真っ赤な顔を隠す様に両手で覆って項垂れながらちょっと戯けた事を言ってみた。

「はは…よかったですね。」

 指の間からチラリと伊地知くんを覗くと、いつもの困った様な顔じゃなくて何だか親みたいな微笑ましいですってオーラが溢れてる顔してる。くそぅ、余計に恥ずかしい。少し冷めてきたコーヒーを手に取って飲めば空腹のお腹に落ちてくる。そういえば忘れていたご飯の存在を思い出して、デスクの脇にあるランチバックからラップに包まれたおにぎりを出した。

「夜って、お酒飲むところだよね。どこがいいのかな…?」

 彼も遅めの昼食のようで、惣菜パンを口に運んでいる。ポツリとここ数日ずっと悩んでる事を言葉に出せば、もぐもぐと咀嚼をしながら伊地知くんは首を傾げる。

「いつも行ってるお店でいいんじゃないですか?」
「ダメだよ、チェーン店ばっかなんだもん」

 すぐきた回答にこちらも即答で返して首を振る。一個目のおにごりを食べ終えたので、残り一つにも手をつける。さっきのは塩昆布で、これはふりかけをたくさんかけてきた。お互い仕事の合間に素早く食べなければ一日ご飯抜きなどよくある話なので、手元の食料はぺろりとすぐなくなってしまった。伊知地くんも少食そうな見た目なのに、意外と大きい口であっという間に食べてしまうから見ていて手品みたいでちょっと面白い。
 お互いに職業病で食事はすぐに終わって、コーヒーを飲みながら伊地知くんはえー…。と不満そうに声を漏らしてまたいつものように困ったように眉を下げてしまう。

「七海さんは、きっと貴女のことを知りたいからそう言ってくれたと思いますよ」

 グゥの音も出ない。除菌ティッシュで手を拭いて、ラップとまとめてゴミ箱に捨てる。重さはないので底に落ちてもあまり音はしなかった。

「…そうだとしても、ちょっとでも良く思われたいじゃん。」

 少しでも七海さんに釣り合うようないい女になりたい。いや、いい女になったとてそういう関係になれるかわからないけど。つい癖で唇を尖らせると、それを知ってる伊地知くんはまたいつものように苦笑いを零した。

「はぁー…本当どうしよ。」

 あれからすぐ伊地知くんは呼び出しの電話が来てバタバタと事務室を後にした。誰とは言わないでも電話の主は五条さんである。一人になっても仕事を再開する気にもなれなくて、仕事用のタブレットを出して食事のお店がランキングされている便利なサイトへ飛んだ。
 この間はイタリアンだったから、和食がいいかも。でも和食ってなんだ…?寿司?…七海さん特上しか食べなさそう。何よりお寿司のお店なんて私は回転寿司のチェーン店くらいしか知らない。鉄板焼きや中華やフレンチなど、目まぐるしい料理に先程昼食を取ったのにもうお腹が小さく鳴いた気がした。

「失礼します。」
「どひゃーっ!?」

 どれくらい夢中になっていたのか、真剣に見過ぎていて耳元で囁かれるまで気配に全く気付けなかった。低音の声は耳から体に凄まじい速さで身体中に駆け抜ける。タブレットを放り出して反対側に身を引くと、古い椅子は大きな音を鳴らして片足だけ床に落ちてしまった。どうにか転倒を免れてドッドッと煩い心臓を抱くようにシャツとネクタイを握りしめて顔を上げると、そこには正に悩みの種の七海さんが珍しく驚いたように目を見開いて立っていた。

「ふ、ははっ」

 ただただその体制のまま数秒見つめ合っていると、七海さんが小さく吹き出す。そしてそのまま大きな手のひらで口元を覆いながら笑い声を漏らした。

「失礼、そんな声も出すんですね」

 そんな七海さんの様子にポカンとしてると、暫くして気を取り直すように咳払いをして七海さんが私に向き直る。でも、まだその肩がまだ僅かに震えているからよほどツボに入ってるようだった。
 七海さんて、吹き出してこんな風に笑ったりするんだ。何だか大人オブ大人の彼が年相応に感じられてそんな事をぼけーっと考えていると、手を差し出してくれたので自分がすっ転んだままなのを思い出してお言葉に甘えて手を取らせていただいた。そのまま強い力で起こしてもらうと、すぐに触れ合う手が離れて心の奥で寂しいと思ってしまう。この数日だけで随分私は欲張りになったものだ。すると七海さんはもう片方の手から3枚の紙を差し出してきて、反射的にそれを手に取った。

「先日の報告書を提出しに来ました」
「あ、ありがとうございます!」

 やっと冷静な思考回路が戻ってきて、改めてその報告書を両手で受け取り直して慌てて椅子にきちんと座る。手元に視線を落とすと、規則正しい少し達筆気味な文字が並んでいた。私は少し丸文字だからこういう読みやすい字が羨ましい。最初から最後まで内容を確認すると、文句なしで全て完璧だった。

「さすが七海さん、不備なく完璧です!」

 間違いがあって呪術師の方にもう一度お願いするのは補助監督として気が滅入る仕事の一つだ。七海さんや五条さん達ならお話ししたことあるからいいけれど、家系のある人たちはやっぱりちょっと補助監督の事は下に見ているところがあるからまるで私が悪いと責任転換してくる人だっている。思い出しても良く意味がわからないと不満が今にも口から飛び出そうだけど飲み込んだ。
 七海さんの完璧な報告書をホッチキスで留めて、上に報告するための書類が何枚も入ったクリアファイルにそれを入れた。やっと手元から顔を上げてみると、七海さんの視線はどこか違うところに向いていた。

「仕事中に調べ物とは、今日はお忙しくないんですか?」

 はて、と思って視線を辿るとそこにはデスクの上に無造作に置かれたタブレットがあって、その画面は色々な美味しそうなご飯達を映し出していた。

「わー!す、すみません!!」

 大きな声を出しながら慌ててタブレットを胸に抱えて検索履歴を速攻消した。いや、まぁ履歴を消したとて七海さんに見られたという事実を消せるわけではないけれど。私が一人で騒いでるからお父さんくらいの年齢の補助監督の上司がこちらを静かにと視線で語ってきたが、一級呪術師の七海さんがいるから声が飛んでくる事はなかった。
 こんな仕事中に、しかも仕事のタブレットを使って調べ物など呆れられて仕方がない。項垂れていると、頭上でフゥーっと溜息を吐くのを感じられた。

「効率よく仕事をすることは大切です。そのせいで労働時間外になっては元も子もないですから」
「おっしゃる通りです…申し訳ありません…」

 今度もグゥの音も出ない。立ち上がって綺麗に腰を直角に折って謝罪すると、また溜息が聞こえてくる。何だか居た堪れなくてジワリと目尻が熱くなってきそうで、一生懸命瞬きをして目を乾かす。そんな事をしていると、不意に下げたままの頭を撫でられた。

「しかし、常に私のことを考えてくれるのは悪くありません。」

 ハッ、と言葉の意味を理解して顔を上げると、七海さんはそのまま私が頭を下げたせいで無造作に顔に落ちた髪をいつもは鉈を振り回している指でゆっくりと耳にかけてくれる。邪魔な髪がなくなってクリアになった視界にはどこか悪戯っ子のような表情の七海さんがいて、どことなく楽しそうだった。

「それを踏まえて、次の約束を取り付けたので作戦勝ち、ってやつですね」

 七海さんの言ってる事はすぐに頭の中に入ってきてくれなくて、少しずつ自分で噛み砕いて飲み込んでやっと脳みそに届いてくれる。私はまんまと七海さんの策に綺麗にハマってしまったらしい。はらりと落ちる髪はもうすっかり綺麗に整えてもらって、私のデスクの卓上カレンダーの今日の日付を七海さんは第二関節でコツリと差した。

「次のお休みはいつですか?」
「日曜日、です。」

 私のスマホの中のアプリに登録されていた休日を報告すると、七海さんは納得したように頷いて体を離してくれる。ここで初めて私はやっと体を力を抜いて息を細く吐き出した。

「それでは、土曜の夜に。必ず定時で上がれるように集中して仕事してください」
「かしこまりました…!」

 淡々と、業務連絡のように言うので事務室にチラホラと補助監督や呪術師の方もいるが特に違和感などは抱かれていないようだった。七海さんが事務室を出て数分は、ぼんやりとカレンダーの日付を眺める。日本にとって祝日のジャンルになる日曜日は赤文字で可愛く描かれている。なんとなくデスクにある青のペンでその日付を丸つけてあげると、何だか色が沢山でよくわからなくなった。

「七海さん、いい匂いだったなぁ…」

 近付いた時、離れる時にいつだって七海さんは良い香りがする。どこの香水使ってるんだろう、今度聞いてみようかな。でも何だか変態みたいだなと、と自分で笑ってしまった。とりあえず切り替えて仕事をする為に熱い頬を両手で叩いてヨシっと気合を入れ、来るべき日のためにまずは目の前の仕事にとりかかる事にした。

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