欠けた年月の輪郭



どうやら、私は記憶喪失になっているらしい。
昨日の部屋とは違う病室のベットに座ったまま、窓の外に広がる眩しいくらい青い空をゆっくり流れていく雲をただただ無駄に数えてみる。昨日の部屋も同じ真っ白な空間だけど、あそこは病室というか保健室?のような印象で、こちらの部屋の方が少しだけ見慣れなくて心無しか落ち着かない。…と言っても、昨日の部屋や会った人々に見覚えがあるわけじゃないから、何とも不思議で気持ち悪い気分だ。
明確に記憶があるのは、中学校卒業の時期まで。あの時の学級委員長の名前も、飼育小屋で飼っていたウサギの名前だって覚えてる。でも、中学までの記憶で思い出そうとしても、一部分は途端に靄がかかったように思い出せないこともある。一番覚えてないのは、本来高校に進学した時期から昨日目覚めるまでの大人の期間の記憶だ。全てが曖昧で、朧げでわからない。昨日起きてすぐは全てがわからなくてパニックになったが、昨日の夜一人でゆっくり天井を見上げながら記憶を辿ると、幼少期まで辿り着いて自分の名前なんかは覚えていた。それが酷く安心で、昨日は一人で布団にくるまって泣いてしまった。

「はぁ…どうなっちゃうのかな…」

十年近くの記憶はない割には、化粧の仕方や今のスマートフォンの使い方などはわかるからこれまた不思議でしかない。中学卒業を機に買ってもらったガラケーは当時の憧れが詰まっているキラキラの最新技術だったのに、今は古い過去のものらしい。ベットサイドに置かれたキーボタンのないディスプレイだけの端末は、また通知を知らせて画面を光らせた。手を伸ばしてそれを取ると、私の指先は記憶がないはずなのに当たり前のように暗証番号を打つ為に画面を滑りロックが解除される。メッセージアプリには沢山の心配のトークが並んでいるけれど、通知マークが横についた名前達は一人も見覚えはなかった。試しに中学の時仲の良かった友達の名前を検索してみるけどその子達の名前は出てこなくて、きっと大人の私は彼女達と疎遠になっていたのは理解できた。お母さんのトーク画面は年明けで止まっていて、開くと隣の家にお孫さんが出来たとか他愛もない話をしてるから親は変わらず元気みたいだ。他に読めば手掛かりがあるかもしらないけど、何だか他人の会話を盗み見てしまってるようで気がしてアプリを閉じた。

「…このまま、何も思い出せなかったらどうなるんだろう…」
「やっほ〜、調子はどう?」

一人でいると悶々と暗いことばかり考えてしまっていると、病室の扉がスライドして陽気な声が飛び込んでくる。先程病室から出ていった看護師さんとも診察してくれたお爺ちゃん先生とも違う声に驚いて顔を上げると、また更に別の意味でギョッとした。真っ黒な洋服に身を包んだ彼の髪の毛は対照的に綺麗な白髪で重力に逆らうように逆立っているし、何より何故か洋服と同じ黒のアイマスクしている。あれは見えて、いるのだろうか…?それに何センチあるんだってくらい身長が高い。足が長過ぎて股下何センチあるんだろう。目元が隠れているけどそれ以外の顔のパーツは整っているし、身長高いし何者なんだモデルさんかな?と色んな思考がグルグルして騒がしい私を他所に、彼はズンズンと病室に入って来たので意識がハッと戻ってくる。慌てて枕元のナースコールを握りしめて、狭いベットの端へと逃げた。

「な…ナースコール押しますよ…!」
「ははっ、マジで覚えてないんだ。ウケんね」

私の必死の抵抗も、彼はヘラヘラ笑いながら全く効いててないようだ。でも笑ってるけど、なんか心から面白いと思って笑ってる感じじゃなくて、ちょっと怖い。お守りのようにナースコールを胸元で握りしめる私を気にする事なく、彼は窓際にあった椅子がまるで定位置かのように、長い足を組んで座ってしまった。

「えっと…」

先程「覚えてないんだ。」と言っていたということは、不審者疑惑を持ってしまった彼はきっと私の知人なんだろう。そして覚えてないのをわかっているのは、私が目覚めたあの保健室…あの場の誰かと繋がっているのは確かだ。こんな個性的で絶対一回見たら忘れないだろうこの人さえもわからない自分の現状と、彼が当たり前のように居座っているこの状況に困惑していると、彼は目隠し越しにきっと私を捉えて小さく笑った。

「ん?あぁ、僕は五条悟。みんなにはグットルッキングガイ五条悟先生〜って言われてるよ。これでも、君の同級生で昔馴染み、ってやつ?」

少しおちゃらけた様子で言う彼、五条さんの言葉がグサリと胸に響いたような錯覚に襲われた。私は、同級生すらやっぱり思い出せないんだなと実感すると、思ったよりもしんどかった。なんでこんな事になったのか、こんなに大きな病院でレントゲンだの脳波だの色々な検査を沢山してばかりで原因が全然伝えられなくて、本当に意味がわからない。

「ごめんなさい…」
「だからもうナースコール置いてくれない?まぁ、看護師さんが来て気まずくなるのは君だからいいけどさ」

申し訳なくて五条さんに頭を下げると、彼が私の胸元を指差して言われたことでナースコールをキツいほど握りしめているのを思い出した。パッと手を離してベットの中心に戻って体制を整えて、改めて彼に向き直る。そういえば寝癖もついたままだし眉毛も描いてないすっぴんだし、病院のレンタルパジャマの格好だと気付いたがもう何をしても手遅れなので諦める事にした。

「…私とは、高校…の同級生ですか?」
「そ、呪術高等学校。君が最初に目覚めた場所だね。ちなみに、あそこにいた硝子も同じ同級生だよ。」
「え、そうだったんですか⁉︎」

呪術高等学校。やっぱり聞いたことがなかった。何だか不穏なネーミングの学校だなと思ったが、それよりもあの時入院の手配などしてくれた綺麗で儚くて大人の女性代表って感じの彼女が同級生だと言うことに驚きだった。トイレの鏡で見た自分は記憶よりもずっと大人びてはいたけど、彼女と違って色気は皆無だった。何だかさっき五条さんを覚えていないのとまた別の意味で、物凄くショックだ。
色々な感情が押し寄せている私を、五条さんはひざ置きに頬杖をついてただただ静かに見ているだけだった。どこかなんとなく、一線壁を引かれているような感覚がする。
きっとそれは【今までの私】と【今の私】の間に引かれた壁のような気がした。

「あの…もし良かったら、もっとお話聞かせてもらえませんか?」

そしてそれを超える事が出来るのは多分私だけで、ベットの上で正座し姿勢を改めて膝の上で拳を握りしめて五条さんに小さく頭を下げた。硝子さんも病院に送ってくれた黒のスーツを着た男性も病院の先生たちも、私が質問しても『とりあえず検査結果を見てから』とあまり答えてくれなかった。彼らが言うように検査結果が出て説明されるのを待てばいいかもしれないけれど、自分のことなのに待っているだけでいいのかとずっと悶々としてた。だから私は自分のことを…

「本当に知りたい?」
「え…?」

まるで私の思考を読んだように紡がれた言葉に、胸がどきりとした。顔を上げると五条さんは先程のようにヘラヘラしていなくて、真顔で真っ直ぐと私を見ていた。目隠しをしていて目が合っていないのに、何故か全てを見透かされているような感覚に背中がそわりとした。

「僕たちの仕事は、君が考えるような普通じゃない。僕たちは命をいつ落としてもいいような場所にいるんだ。」

命、静かな低音で紡がれるそのワードが重く耳に届く。中学までの私は普通に放課後は部活して、部活終わりに友人とファミレスでポテトフライ一皿で永遠にお喋りしてて、年相応の青春して過ごしてた。それなのに命をかけるような生活をしていたなん
て、温度差があり過ぎて全く想像出来ず信じられない。でも、今日会ったばが五条さんが嘘を言っているように思えないので、きっと本当の事なんだとわかる。言葉が出ない私を見て、五条さんが足組みを崩し少し身を乗り出し私の顔を覗き込む。

「知ってしまえば、君はもう後戻り出来ない。今回みたいに3日目覚めないどころじゃないかもしれない。それでも、この世界の事を知りたいと思える?」

今回目覚めて体に痛いところはなかった。でも3日目覚めないくらい、今回記憶を無くすくらいの出来事が私に起きたのは事実だ。

「…死ぬのは、怖いです…」

彼が言うように、死んでしまう事を想像すると正直怖い。膝でぎゅっと拳を握りしめると病院のパジャマに少し皺が寄る。一度ゆっくり深呼吸して、俯きがちだった顔を上げた。

「でも、だからって私の生きてきた半分の時間を、無かったことになんて出来ない。その時間を忘れて生きていったら、私は私を殺してしまってる気がするから。」

今私が選択した道は、もしかしたら茨の道かもしれない。もしかしたら茨を通り越して地獄行きかも。それでも、きっとこの直感は私の知らない私が望んでいる事のような気がした。

「だから、私について知ってること、教えてください!」

つい感情のあまり此処が病院だと言う事を忘れて、気合いを入れて大きな声が出てしまった。頭を下げてからやってしまったと思ったけれど、頭上から降ってきた五条さんの笑い声もまぁまぁな大きさだから多分大丈夫だろう。楽しそうな五条さんは椅子に座り直して口端を上げた。

「君ならそう言うと思ってたよ。よし、じゃあ五条先生の課外授業だ」
 
 
「あの、1つ聞きたい事があるんですけど…」
「ん?なに?あと、敬語気持ち悪いからやめてもらっても良い?あと五条さんって呼び方も。君って昔から五条くんって呼ぶからさ。」

呪霊のこと、呪術師のこと。私たちがどんな事をしているのか、そして抜け落ちた高校から今までの思い出。色々教えてもらって、スマホのメモはもう満タンになりそうだった。多分一時間くらい話していて、五条…くんともすっかり打ち解けた。入院の時に小腹が空いた時のためにとわざわざお見舞いに来てくれた伊知地さんという方がくれたクッキーのお菓子は、あっという間にバリボリと五条くんの口の中に消えて行くから手品みたいでちょっと面白かった。

「えっと、髪の毛がこう…ツンツン?したトレンチコートきたスーツの男性も、同僚の人…なのかな?」

ずっと、ここ数日考えていた。目覚めて一番最初に出会った人。多分私より年上だとは思うから、同僚というより先輩の方が正しそうだけど。何となく、夜寝る時とかに彼の顔が忘れられなかった。あの時の悲しそうな、悔しそうな顔のことを思い出すと何だが胸の奥がぎゅっと苦しい。ジェスシャーで髪のツンツン具合を伝えるために頭の上に手をやると、五条くんがお菓子を食べてる手を止める。

「あぁ、日下部さんかな?そうだよ、君と僕と同じ教師で呪術師。彼は一級呪術師ね。ちなみに君は準一級で、僕は特級でーす」

目の横でピースしてあっけらかんと答える様子に、なんとなくほっとする。呪術師の階級についてはさっき習ったから覚えている。なるほど、じゃあ私よりその日下部さんと五条くんはすごく強いのか。忘れないようにまたメモを残して、続けて彼について問いかけようとしたタイミングで私の唇にいつの間にか距離を詰めた五条くん長い人差し指が触れる。

「日下部さんについては本人に聞いてみれば?僕から言ってもいいけど、そっちの方が面白そうだし。」

面白いと言われたらあまり乗り気にはなれないけど、そう言われると何も言い返せなかった。言いかけた言葉を飲み込んで、頷くと五条くんが立ち上がる。

「それじゃ、僕はそろそろ帰るね。僕特級で仕事出来るから、本来ならこんなに時間取れないんだよ」
「うっ……ご迷惑をおかけしました…」

ずっと彼は仕事中なのかお休みなのかどっちかなとは思っていたけど、どうやら前者だったらしい。申し訳なくて今日何度目かわからないが小さく頭を下げると、背中をまぁまぁ強い力でバシンと叩かれて背筋が伸びた。

「冗談だよ。よし、じゃあ行くね。明後日退院するって言ってたけど、なんか急用があれば伊地知に連絡しな。多分電話帳に入ってるだろうから。…あ、そいつは僕らの二個下の後輩ね。それか日下部さんでもいいよ」
「あの、ありがとうございました!」

五条くんが出ていく前にお礼を言えば、私を一瞥してからひらりと手を振って病室を出ていった。…伊知地さん、年下だったんだ。なんか苦労してそうだから、年上なのかと勝手に思ってしまった。
嵐のような五条くんがいなくなると、今までと同じなのになんだか病室がとても静かに感じる。箱であったお菓子は五条くんのブラックホールに吸収されてしまってあっという間に残り一個になっていて、最後のお菓子を口の中に放り込んだ。控えめな甘さが口の中に広がって、フル活動した頭にはちょうどいい糖分摂取だ。

「…やっぱり、ちょっとだけ怖いな…」

私たちの仕事の事を知ると、想像以上だった。昔から幽霊が怖くて心霊番組も見れなかったのに、そんな仕事出来るんだろうか。これ以上考えるのはもう頭のキャパが限界で、ゴロンとベットに横になって天井を見つめる。
…日下部さんがどんな人かわからないが、あんな顔をさせてしまったのに次会ったらどんな顔すればいいんだろう。前の私は、どんな人間だったんだろう。彼らと笑ったりしていたんだろうか。わからない事だらけで、スマホを取り出して画像フォルダを少しスライドして、すぐやめた。今日は何だか疲れてしまった。少し休んでから、また明日から自分探しに奮闘しようと思って情報を遮断するために瞼を閉じた。




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