溺れる。


ハッピーホワイトデー



 三月十四日。世間でいうホワイトデーで、少し前から街は二月から引き続き浮き足だていてお菓子売り場は賑わっていた。私も一応予定はあった、はずである。
「これが正しく、労働はクソってね……。」
 休みは念を押されていたから提出はしていた。基本的にそんなに休み提供した事はないし、二月は一年を通すと閑散期のはずだけど、願いは儚く仕事がキッチリと入れられていた。夕方の任務まで時間がぽっかり空いたから、待機室で報告書をまとめながらボソリと呟いたけれど誰もいない部屋では余計虚しいだけだった。
 一度休憩で立ち上がって背伸びして、ふぅっと息を吐き出す。気分転換の為に空気の換気をしようと窓に手にかけると、ふと外に人影があるのに気付いた。
「…わぁ、いいなー。青春だこりゃ。」
 外の自動販売機の横のベンチに、座っている男女が見える。届かないだろうけど音を立てないようにゆっくりと窓を開けて、レールのところに手を置いて覗き見ると途切れ途切れに話声が聞こえる。二人とも補助監督の子で、確か数回は任務に送迎してもらった事がある。男の子が少し頬を赤らめて可愛くラッピングされた紙袋を差し出して、女の子が嬉しそうに笑っていた。あれはもしかしなくても、バレンタインのお返しってやつだろう。会話の内容は聞こえないけど、二人ともテレテレしていて大変微笑ましい。
「なにやってるんですか?」
「わっ!…なんだ、七海かぁ」
「なんだで悪かったですね。」
 思わずにやけちゃってその光景を眺めていると、不意に後ろから声かけられてビックリして大きな声が出てしまった。思わずしゃがみ込んで隠れて、後ろを振り返ると七海が立っていた。驚いてドッドッと五月蝿い呼吸を何度か深呼吸して整えてからそろりと窓枠から外を覗き込む。私の大声でバレたかと思ったけど、二人はまだ雑談しているから大丈夫そうで安堵の息を吐き出した。
「見てよあれ、絶対カップルかカップル予備軍だよ!青い春だよね!」
 近所のお節介おばさんみたいにニヤけた口元を手で押さえながら彼を振り返ると、なんとも言えない顔してた。呆れたような、ドン引きしたような、普段飄々として表情が読めない癖にマジかコイツって感情が顔に現れてていて少し驚いた。 
「え、なにその顔?」
「…ふぅー…。…いや、それ貴女が言うのかと思いまして…」
 それはもう深い溜息を吐き出すと、サングラスを外して私を見下ろす。そんな冷たい目で見ないで欲しい。いきなりの同期の態度にどう相槌ついていいかわからなくて間抜けな言葉にならない声を漏らしていると、七海はさっきまで私が座っていたソファーの向かい側に座った。顎で座れ、と催促され、しゃがみ込んでたせいで中腰の変な体制のまま元の席に着席した。
「今日はお返しを渡しに来ました。」
「…え、なんか多くない?なんかいつもの倍以上の量じゃない?」
 理由は検討つかないけど怒られるんだろうと思ってソファーの上で小さくなっていると、七海がそう言うので俯きがちの顔を上げた。そうだ、私は七海と約束して此処で待っていたんだった。先月のバレンタインの日、七海に休みを取れと言われたから申請したけど無理だった。でもどうやら七海も同じだったようで、電話越しの彼の声が淡々と静かにキレていたのはつい先日のことだ。確認しあえばちょうどこの時間お互いに空いていて、待機室に集合しようと約束したのだ。毎年恒例のバレンタインとホワイトデーのお菓子交換。でも今回はいつもと勝手が違っていて、ちょっと今日が来るまで緊張していた。そんな七海が机の上に置いたのは、予想以上に大きな紙袋で反応が遅くなってしまった。
「今日は流石に察しの悪い貴女の為に、沢山持ってきました。」
 驚いている私を他所に、七海は涼しげな顔してそう言う。ちょっとだけ私の悪口を言われている気がするのは多分気のせいじゃないだろう。七海が紙袋の中に手を入れているので、報告書の紙やパソコンを端に寄せて机の上を片付けた。少しだけ綺麗になった机の上に、コロンと可愛い缶が一つ置かれる。
「あ、これ覚えてる!昔七海がくれたキャラメルだよね!」
 赤い縁にフランスかイタリアみたいなお洒落な街並みのイラストとお花のイラストが描かれている缶には見覚えがあって手に取った。ちょうど手のひらサイズのそれは、高専時代の一番最初に彼からもらったキャラメルだった。イラストの雰囲気は変わっているけど、貰ってからそのお菓子屋さんを見ると思い出していたから同じ商品だとすぐにわかった。
 
「えぇ、よく覚えてますね。」
「覚えてるよー。これ容器が可愛いから暫く小物入れに使ってたもん。」
 確かあの頃はアクセサリーとかリップクリームなど入れて鞄に入れていた気がする。ちょうどいいサイズ感で嵩張らないし、何より可愛くてお気に入りだった。いつかの任務で、鞄ごと底なし沼に沈んでいったんだっけな。缶の蓋を開けるとノーマルの色味や多分チョコレートなどの色々な味が入っていて、ふんわりと鼻腔に甘い香りが届いた。
「そしたらこれは?」
「あ、これ大通りのケーキ屋さんの箱だよね?…ということは、マドレーヌでしょ! 確か、2年目…の時に、任務帰りに補助監督さんに寄ってもらって買ってきたんじゃなかったんだっけ?顔も泥だらけでボロボロだったのにお菓子屋さんの綺麗な袋持ってて、なんかちょっと面白かったもん。」
「正解です。」
 次に出てきたのは、見たことあるお店のロゴだった。リボンがかけられていて中身が見えないけれど、この流れだと絶対にそうだと思って自信満々で箱を指さしながら答えれば、七海は小さく笑う。正解した嬉しさで口元緩ませながら箱のラッピングを解けば、個包装された貝殻の形のマドレーヌが出てくる。でも思い出とは違って、6個中2個がクマさんの形のモノが入っていて、小さなサプライズにウキウキと心が躍った。
「えー、なんかタイムカプセル開いたみたいで楽しいね!ありがとう!逆になんか今年は沢山貰っちゃって申し訳ないなー」
 それから七海は紙袋からお菓子を次々と出してきた。彼との高専時代、最後にもらった小瓶に入った飴。一度空白の年月を過ごして、七海が呪術師の世界に出戻りしてきた年にもらったマカロン。他にもバームクーヘンや金平糖など今までもらってきた歴代のお菓子たちが机の上に並んだ。そのお菓子たちと共に当時の思い出も振り返って、なんだか楽しい。しかし、自分のあげたブラウニーもちょっと行列には並んだけれど、価格的にも手間的にも圧倒的に七海に負けていて申し訳無くなって苦笑いを溢した。
「そしたら、復習を始めます。」
 そんな私を見て、七海はそう言ってキャラメルの缶を手に取った。どういう意味かわからなくて問いかけようとすると、七海は包みからキャラメルを出して言葉を発そうとした私の口の中に長い指先で器用に放り込んだ。
「まず、キャラメルは一緒にいると安心できるという意味があります。諸説だと、ゆっくりと溶ける口溶けが、心を打ち解けて安心するイメージを持たせるからだそうです。」
「へ?」
 七海の言動に頭が追いつかず呆けた声が盛れる。ゆっくりと彼の言葉を理解するのと同じように、口の中でキャラメルの甘みが溶けて広がっていった。
「マドレーヌはもっと仲良くなりたい、特別な関係を築きたい…という物です。二枚貝画モチーフの形ナノで、二つの貝が重なり合う様からそう言われてます。」
 そんな私から視線を机の上に視線を落とすと、七海はマドレーヌが包まれていたリボンを指先で遊ばせながらそう言う。遅れて脳みそが、ホワイトデーのお菓子に意味があるんだと状況を整理する。そんな事、考えたことなかった。ちょっと待って、そしたら一年目のお返しが安心出来るって意味で、二年目がもっと仲良くなりたい、って当時の今よりもツンケンしていていた彼が思っていた、ということ?突然の事で頭の回転が追いつかなくて、徐々に体温が体に篭っていく。多分食べたのは生キャラメルみたいで、熱い口内では少し舌先で転がして味わうと普段よりも早く溶けて無くなってしまった。
そんな私の様子を見て、七海は飴の瓶の蓋を指先でトントンと叩いた。
「そしてキャンディは、あなたの事が好き…という意味です。」
 三年目の三月十四日は、七海が退寮の準備をしている時にもらった。彼は呪術師を辞めて一般職に就くために普通の大学に進学するから、当たり前に寮を去らなければいけなかった。笑顔で送り出してあげたいけど彼がいなくなると言うことは私は一人になってしまうから寂しくて、バレンタインは渡したけど三月が近付くにつれ中々正面切って七海と話が出来なかった。そんな中、私が部屋にいると控えめなノック音が聞こえて、扉を開けて出ると少し申し訳なさそうな七海が小さな可愛らしい紙袋を持っていて立っていた。彼が最後にくれたプレゼントで、卒業までにちゃんと話した最後の日だった。
「他にも、マカロンはあなたは特別な存在。バウムクーヘンは幸せがずっと続きますように、金平糖もキャンディーと同じ意味で…」
「ちょ、ちょっと待って!」
 そんな思い出がフラッシュバックして何も言えないでいると、七海がどんどんお菓子の説明を続けるから思わず大きな声が出てしまった。その間にも衝撃のワードが聞こえた気がするけど、とりあえず私の脳みそでは一つずつ整理しないと現状は難しい。私の静止の声に七海は一時中断してくれたので、何度かゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「だって、今までそんな事言われたことなかったから…」
「…そうですね、鈍感な貴女に直接言わなかった私も悪いです。ただ、学生の頃は私もまだ子供だったもので…」
 胸元を抑えるとドキドキと鼓動が五月蝿い。素直な気持ちを溢すと、七海は少し気まずそうに言葉を漏らした。私はその言葉を直接言われなかった事よりも、あの頃の七海がホワイトデーのお菓子の意味を検索して考えて、それを健気に選んで買いに行っていたという事実の方が気になるけれど、きっとそれを言うとまた別の討論が始まってしまいそうだから言葉を飲み込んだ。暫く沈黙が流れて、どうしていいかわからない時間が生まれる。その沈黙を破ったのは、動き出した七海だった。
「今年は、貴女に花も贈りたいんですがいいですか?」
 そういうと、彼の足元にも紙袋があったらしくその中に手を入れるとガサリと中の物が揺れる音が静かな待機室に響く。すると白とピンクのラッピングペーパーに包まれてる花が差し出されて、それを纏めている赤いリボンが七海の手元で揺れた。
「わぁ…綺麗…」

 彼が握りしめているのは赤いバラで、水々しい花びらがラッピングの淡い色の中で際立って咲いていた。反射的に受け取って、言葉が漏れる。丁寧な暮らしなんてしていないから、こうして花を見るのは久々だった。じっと手元の花を見下ろしていたけれど、ふと今までの話の流れを思い出して顔を上げた。
「あ、ちょっと待って!これ話の流れ的に、絶対これも意味あるんだよね⁉︎もう!調べるからちょっと待って‼︎」
 先程花を貰った時とは打ってかわってロマンもクソもない発言だなと自分でも思うけど、長年時間をかけてこんなサプライズを仕込んでいた七海が悪い。片手でスマホを取り出して薔薇 花言葉を検索する。検索にヒットした一番上のホームページを開くと、どうやら色や本数で意味が違うらしくて驚いた。本数ごとの意味が書かれている画面から顔を上げて、自分の手元を見る。貰った花束は、赤い薔薇で四本だった。
「グゥー…!」
 照らし合わせて意味を理解して、変な唸り声しか出なかった。感情の行き場がなくて、あーとかうーとか唸りながら悶える。その衝動で手元の薔薇がガサリと揺れて、無意識に手に力をこめていたのに気付いて緩めた。そのままソファーに横たわると、ボスボスンと鈍い音を立てて視界が反転する。硬いソファーはあんまり体が沈むことなく、ちょっとだけ痛かった。
「どういう表情ですか?」
 私が横になったことで座ったままの七海は視界のだいぶ上の方にいる。そんな私を見下ろして、七海はちょっと楽しそうに笑っていた。くそう、わかってるくせに。私が握りしめたままのスマホには、先程検索したままの花言葉が表示されている。赤い薔薇が四本の花言葉は、“死ぬまで愛し続けます。“だった。
「…照れてる表情に決まってるでしょ。大体、こんな周りくどい事しないでちゃんと言ってよ。わかんないよ。」
 相変わらず七海は私を掻き乱して、楽しそうに笑っているから悔しい。唇を尖らせながら精一杯の悪態つき体を起こすと、七海は口元を押さえていた。隠しているけど、笑ってるバレてるぞ、ばか。
「フッ、……すみません。気付いて欲しい反面、毎年恒例のこの時を案外気に入ってたもので」
 恨めしそうに睨みつけていると、ついに笑い声を小さく漏らした。きっと、私が顔を真っ赤にして睨んでいるからそれも彼のツボにハマってしまったんだろう。暫くすると七海は咳払いして、飴の瓶を手に取る。ゴールドの蓋を簡単に開けて、一つ摘むと私の尖らせた唇に押し当てた。なんだか癪で意地でも口を閉じていると、七海が あ。と短く言葉を漏らしながら口を開けて催促する。渋々薄らと口を開くと、唇に七海の指先が触れて口内に甘い味が広がった。
「貴女が好きです。一生愛し続けます。」
 スーツを着た男性が薔薇の花を持って愛の言葉を囁く。此処が古びた建物の待機室じゃなければ、ドラマや少女漫画にでも出そうなロマンチックなシチュエーションなんだろう。
「…アオハルどころじゃないよ。」
「もう私たちも大人ですからね。」
 七海はどこか吹っ切れた様子でさらりとそう言うので、先月と同じく翻弄されっぱなしの私は息を吐き出しながら背もたれに体を預けた。言葉を探していると、舌先でコロコロ飴が転がって甘くて美味しい。
「…多分、七海の事は嫌いじゃない…とは思う。寧ろ大切な存在だし、好きだし。…でもそれが七海と同じ熱量なのかは、ちょっとわからない。」
 この一ヶ月ずっと考えていた。好きか嫌いかで言えば、絶対好きだ。そして付き合うか付き合わないからで問われれば、恐らくイエスだと思う。七海と触れ合うのも多分嫌じゃない。寧ろ想像すると、一ヶ月ドキドキして意識してしまっていた。でも、正直今日七海から愛の言葉を浴びせられると、同じくらい好きかと問われれば自信がなかった。もしかしたら、ただ意識して気持ちが昂ってるだけかもしれないし、そんな身勝手な感情で七海を傷つけてしまうのは嫌だった。天井を見上げながらボソリボソリと言葉を漏らすと、布が擦れる音が聞こえる。顔を下ろすと、七海がいつの間にかソファーか立ち上がって私の横に立っていた。ソファーの横のスペースに座るわけでもなく、床に膝をつくと花を握りしめた私の手に七海の大きな手が添えらえる。
「それでもいいんです。ただ、貴女には男として意識してもらいたいんです。もう同級生の関係から卒業したい。」
 そう言って真っ直ぐ見つめてくる七海の瞳に、なんだか泣きそうになった。体を起こしてスマホを離した手で七海の手を包み込むと、骨ばった手の甲は暖かかった。
「そしたら、とりあえず付き合ってみる…?」
 最低な言葉かもしれないけど、七海との長年の関係性を自分で劇的に変える勇気は今の私にはまだなかった。おずおず答えた返答だけど、七海はそれでも満足そうだった。
「来年は、バレンタインの日に私からプレゼントを贈らせてください。」
 そう言う七海は私の手の甲にキスを落とす。跪いて手にキスするなんて、とんだ王子様過ぎる。彼には永遠に勝てる気がしなくて、白旗あげるように小さく頷いた。





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