夏が終わる前に
「うーーん……。」
かれこれもう三十分は唸りながらスマホと睨めっこしている。液晶画面に映った名前は、問題の同期の名前とトーク画面。
あの日、結局家に送ってもらった。勿論、送ってもらっただけ。…いやいや、だけ、なんて言うと私がそれ以上の事望んでたみたいじゃないか。そんな事、絶対ないけど!脳内で誰でもなく言い訳やツッコミを入れながら唸り声を漏らして、椅子の背もたれに体重をかける。行き場のない感情の処理の仕方が、あの日からわからないでいた。結局、あの日からお互いに忙しくて会っても高専の廊下ですれ違ったりばかりで、あんまり話したりしていないし、飲みに行ったのもあの日が最後だ。
「…うん、別に大丈夫だよね。だって今までも飲んでたワケだし、なんなら同期だし!あれから別に何もなかったし!」
ついに言い訳は脳内だけでなく言葉に出てしまったが、此処は幸いにも誰もいない待機室なので不審者にならなくて助かった。ずっと開きっぱなしだったトーク画面に指を滑らせて文字を打っていく。でもなんとなく、いつもなら何気なく送るけれど何回も添削して変な所がないか確認してから送信ボタンを押した。
『今日は終わってから予定ある?美味しいもの食べたい気分ー』
うん、別に変な内容ではない。ついでにお気に入りの間抜け顔の猫のスタンプも一緒に送っておいた。この一文だけでも疲れてしまい、長く息を吐き出しながらズルズルと背もたれから崩れていく。お尻が古い皮のソファーから落ちそうになる手前で止まって、だらしなく足を投げ出したまま画面を見る。私の送ったトークの画面は相変わらずだが、次の瞬間にはその吹き出しの横に既読の文字がついて思わずスマホを落とした。床に落ちたスマホは、ブブッとバイブ音を鳴らして揺れ通知を知らせてくれる。
『和洋食、肉か魚介か食べたいものを送ってください。リストアップします。』
相変わらず律儀な文章。床に落ちた画面にはいつもの七海の文章が表示されていて、ちょっとホッとして手に取り返事をタプタプと打って送信した。既読はついたけれど、お店をすぐ考えているのか今度はすぐに返事は来なかった。息を吐きだすと、謎に力の入っていた肩の力が抜ける。…何だか、いつも通りじゃないのは自分だけな気がする。そう思いながら壁にかかった時計を見ればそろそろ時間で、重い体で立ち上がった。
「あ、七海お疲れー」
「お疲れ様です。」
報告書を終えて自分のデスクで頬杖をついていると、扉を開けて事務室に入ってくる七海が見えたので手を上げて声をかけた。いつか予定が合えば、と思って送ったけれど奇跡的に今日がお互いに定時で上がれる予定で急遽いつかは今日になった。事務室で待っていてください。と連絡があったから、てっきり報告書提出して帰るのかなーと思っていたが、彼はそんな用事がないようで立ったまま私を見下ろしている。慌てて身の回りを整えてから立ち上がって、事務室にちらほらと残る補助監督や呪術師のみんなに二人で挨拶をして廊下を出た。
「なんか職場からご飯に向かうの珍しくない?ちょっと学生の時みたいで面白いね!」
いつもはどちらかと言えば、任務終わりで現地集合が多い。日によって私たちも派遣場所が違うし、高専は都心部からは離れているから一回戻ってきちゃうと二度手間になっちゃうし。何より運転して直接向かうと、お酒が飲めなくなる。
そんな事を考えてない学生時代は、みんなで休みの日に待ち合わせしてお出かけする事も多かった。任務帰りだと補助監督さんが送ってくれるから、ちょっと気を使う事も多かったし。あの頃、駅のアナウンスが鳴って慌ててみんなで階段を駆け下り電車に乗り込んだ事も沢山あった。廊下を歩いて外を見ると、まだ夕方でも陽が高い季節で明るい。懐かしくて笑いながら七海を見上げると、七海もこっちを見ていた。
「えぇ。折角なんで牽制しておこうかと思いまして。」
そう言う七海はどこか満足そうだ。目を細めて、少しだけ微笑んでいる。そんな顔を見ていると、昔の七海は今よりもトゲトゲしてツンケンしていたなぁと思い出す。借りてきた猫みたいに警戒心が高くて、入学当初は仲良くなれなさそーとか思っていたっけ。でも太陽みたいな灰原がいて、少しずつ笑顔も見れるようになったんだよね。
「ふーん…?」
思い出に耽る脳みそになってしまっていて、七海の言葉の意図がよくわからず問いかけようかと思ったけど辞めた。なんか小馬鹿にされちゃうかもだし。知ったふりをして曖昧な相槌を返せば、七海は特に気に留めていないようで何も言ってこなかった。
_____
「う、美味ぁ…!」
七海が連れて行ってくれたのは焼肉屋さんだった。半個室のように区切られているが赤いカーテンは開かれているので、開放感と落ち着きが両方あってちょうどいい。キラキラと油の乗ったお肉は焼いても柔らかくて、すぐに口の中で溶けていった。
「流石七海、美味しいお店知ってるねー」
「お気に召してもらえてよかったです。」
感動して片手で頬を包みながら何度も頷いていると、七海は焼けた厚切りタンをトングで私の空いたお皿に置いてくれた。せっかちにすぐお肉をひっくり返す私とは違って、七海は的確にそのお肉にあった焼き加減で仕上げるからこれが性格の違いだなとしみじみする。タンに横に置いてある塩を振って頬張ると、肉汁と塩がいい塩梅で絡み合って最高だ。そんな脳内食レポを繰り返している私を七海がじっと見ているのに気づいて、タンをしっかりと噛んでから飲み込んだ。
「なに?」
まさか口の端についているかと思って拭ったけれど、それは大丈夫そうだった。まさか食べ過ぎだった?小首を傾げながら問いかけると、七海が小さく笑った。
「また食事に誘ってもらえたと言うことは、期待してもいいんですか?」
包んで食べようと思ってサンチュに伸ばしていた手が思わず止まった。今日この場に来るまでの緊張感と意識がすっかり美味しいお肉で忘れていた焦りと、それを食欲ですっぽ抜けてしまっていた自分への単純さが相待って背中に変な汗が流れる。ゆっくりと伸ばしていた手を引っ込めて膝の上で握りしめおずおずと七海を見れば、彼はちょうど焼けたホルモンをまた私のお皿に乗せてくれた。
「な、なにが…?」
なんとなくわかっているくせに、苦し紛れな言葉過ぎる。自分でも自覚はある。それは顔色にもきっと出ていて、そんな私を見て七海は少し呆れた様子だった。
「あれでもわかりやすくアピールしたつもりなんですが…」
そう呟くと七海は紙ナプキンを外して溜息を吐き出すと、焼いているピーマンを裏返してからトングを横のお皿に置いた。トイレかな、それとも怒って帰っちゃうのかな、
と内心焦りながら膝の上で握る手の力を込めていると、七海が立ち上がって不安が確信に変わった。どうしよう、私があんなの事言ったから。ぐるぐると思考がまとまらないでいる内に、七海が一歩二歩と歩き出す。謝る為に咄嗟に口を開いたが、三歩目は進まずに私の席の前で止まった。
「もう少し攻めた方がいいとでも?」
「わっ、わーわー‼︎」
ボックス席で対面式だったのに、七海は私の座るソファーに膝を差し入れて侵入してきた。きっとボックス席も四人は入る造りだろうからスペース的に問題はないし、居酒屋ならカウンターで隣り合って座る距離感となんら変わりはない。でもなんとなく、半個室みたいなボックス席で、しかもこんな内容の会話中に隣に座るのは緊張してしまって大きな声が出てしまった。そんな私の唇に、声を制するために七海の人差し指が触れる。至近距離でサングラスをしていない七海の瞳と視線が絡み合って、唇が震えた。
「な、七海は…私のこと好き、なの…?」
「えぇ、好きですよ。」
私が途切れ途切れにやっとの事振り絞った問いかけに、七海は少しだけ目を開いた後に即答で肯定された。改めて言葉にされて自覚すると、じわじわと頬に熱がこもってくる。せめてもの抵抗で、紙ナプキンをひっくり返して顔を隠した。
「だって、七海は同級生だし、ずっと仲良かったし…同じ職場だし…」
モゴモゴと口篭って、真っ白な紙ナプキン越しの世界に籠る。だって、この間呑みに行くまでそんな事考えてなかった。でも、あの日を境に彼を意識していたのも事実だ。誰に向けてかわからない言葉を紡いでいると、薄い壁の向こうの人影が揺れる。
「言い訳はそれだけですか?」
守備力の少ない紙ナプキンは、最も簡単に彼の指先一つで突破されてしまった。見つめ合う視線はチリチリと熱を帯びていて、あの時のショートパンツの狭間から触れられた時を思い出す。
「そんな理由で、私が貴女を諦められるとでも?」
私を見つめる七海の視線は完全に捕食者の色をしていた。距離が近付いたせいで机の下でお互いの膝が触れ合う。今日は仕事終わりだからちゃんと普段の長ズボンなのに、
布越しに七海の体温がじんわりとそこから伝わってきた。なんだ、布地の面積なんて触れ合ってしまえば意味ないじゃないか。
「い、いつから…?」
どうにか言葉を振り絞ると、七海の目が細まった。ずっと七海が持ったまま中途半端な位置で止まっていた紙ナプキンがひらりと重力のまま落ちる。頼りない二人の間の壁は、完全になくなってしまっていた。
「鈍感な貴女が気付かない位ずっと昔から、ですかね。」
そうやって笑う七海に、喉奥がゴクリと鳴った。こんな至近距離だと絶対に彼に聴かれてしまっていると思う。固まって動かない私に向かって七海の手が伸びてきて、耳元に指先が触れたのでビクリと肩が揺れた。耳元に七海の指先が私の肌を撫でる音と、遠くで何か小さく焼ける音がする。あぁ、そういえばピーマン焼いたままだった。きっともう焦げちゃっているんだろうな。
「それで、返事は?」
現実逃避なのかどこかに飛んでいった意識は、七海が耳の淵を指先で撫でる感触で戻ってきた。返事は、って催促しながら、もう答えはわかってるくせに。やっぱり七海は意地悪だ。
「…今日は、送り狼になってもいいよ。」
せめてもの悪足掻きで、伝わるギリギリの言葉を選ぶと七海の口元が緩む。くそ、今のちょっと気の緩んだ笑顔は見たことなかったから、不覚にもキュンとしちゃった。
「光栄です。」
指先は耳たぶを軽く揉むと髪の毛を撫でるように耳にかけてゆっくりと離れていく。きっと顔に負けないくらい真っ赤な耳を守るように手で多いながら、すっかり焦げて真っ黒になったピーマンを七海のタレの中に入れてやった。
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