さらってしまえたらいいのに




ゴンの声に呼ばれ、俺は船首へと向かった。ステラは船室にいるらしい。二人きりか。何を話すつもりだ? さっきの俺の態度についてか、それとも……。



「……なんだよ」



なるべく普段通りの、少しぶっきらぼうな口調を意識してゴンの隣に立つ。横目で見たゴンの表情は、いつもと変わらないようで、どこか真剣な色を帯びていた。



「キルア、さっきのステラとのこと、ありがとう」



予想外の言葉に、俺は思わず目を見開く。ゴンは真っ直ぐに海を見つめたまま、続けた。



「俺、ヨークシンが危ない場所だってこと、ちゃんとわかってなかった。キルアが止めてくれなかったら、ステラを危険な目に遭わせてたかもしれない。……ありがとう」



その真っ直ぐな感謝の言葉が、俺の胸にずしりと重くのしかかった。



「それと、キルア。ステラのことなんだけど……キルアってさ、ステラのこと好きだよね? いつも見てるしさ」



ゴンは真剣な顔のままぽつりと述べた。



「告白、しなくていいの? ……グズグズしてると、オレがステラを取っちゃうかもよ?」



にひっ、と悪戯な笑みを浮かべた。ゴンはそのステラがまさかゴンを好きだなんて思ってもいない。欠片も気付いてすらない。

ゴンの言葉に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。さっきまでの冒険への高揚感が、一気に冷水を浴びせられたように消えていく。こいつ、何を言い出すんだ。



「……は? 何言ってんだ、お前。くだらねぇこと言ってんじゃねーよ」



動揺を隠すように、ステラはゴンから視線を逸らして海に目をやる。だが、耳は熱く、心臓はうるさいくらいに鳴っていた。いつも見てる?そんなに分かりやすかったのか、俺は。ゴンはそんな俺の様子を楽しんでいるかのように、にひひと笑い続けている。その無邪気さが、今はやけに腹立たしかった。



「……取れるもんなら、取ってみろよ。まあ、お前にステラはやらねーけどな」



ほとんど意地だけで口にした言葉だった。お前がステラをどう思ってるかなんて知らない。だけど、ステラがお前を見てることくらい、ステラはとっくに気づいてるんだよ、バーカ。



「じゃあ……」



不意にゴンが真剣な顔になる。



「俺、ステラに告白してもいい? 今から」



ゴンの唐突な言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。今から? 告白? なんで、俺にそんなことを聞くんだよ。



「……は……?」



思考が完全に停止する。さっきまでの俺の強がりが、こいつを焚きつけたのか? 冗談だろ? あの悪戯っぽい笑みはどこに行ったんだよ。ゴンは俺の反応なんてお構いなしに、真っ直ぐな瞳で俺を見つめている。その瞳には、さっきヨークシンの話をしていた時と同じ、一度決めたら決して揺るがない光が宿っていた。



「……なんで、俺に聞くんだよ。……好きに、すりゃいいだろ……」



絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。好きにしろ? 本心じゃねぇ。行くな。言うな。だけど、俺にそれを止める権利なんて、どこにもない。



「いいんだね。ならオレは行くよ」



ゴンが真っ直ぐな瞳のままステラのいる場所へと向かっていった。ゴンの背中が、あっという間に遠ざかっていく。俺はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。甲板を吹き抜ける潮風が、やけに冷たく感じる。



「……っ、バーカ」



誰に言うでもなく悪態をつく。止めろよ、俺。なんで止めなかったんだ。一番言っちゃいけねぇ言葉を、なんで言っちまったんだよ。後悔が津波のように押し寄せてくる。頭の中で、ステラの笑顔が点滅する。ゴンに向けられる、あの特別な笑顔。これから、あの笑顔は完全にゴンのものになるのか? そう考えただけで、胸が張り裂けそうだった。



「……させるかよっ!」



気づいた時には、俺の体は勝手に動いていた。ゴンの後を追って、力強く甲板を蹴る。お前の気持ちなんて知るか。ステラの気持ちだって関係ねぇ。俺が、嫌なんだよ!



「キールア。へへっ、来ると思ってたよ」



ゴンはキルアが来るのをわかってたかのように扉の裏に立っていた。



「は……?」

「ステラならそこの部屋の中にいるよ。気持ちを伝えなきゃ何も始まらないよ、キルア。オレも決めたんだ、全てが終わったらノウコを迎えに行くんだって。だからキルアも頑張って!」



ゴンの言葉に、俺は完全に虚を突かれた。わかってた? 俺が来ることを? じゃあ、さっきの「告白する」っていうのは、俺を試すための芝居だったのか?



「……お前、まさか……」



呆然と呟くと、ゴンは悪戯っぽく笑って俺の肩をポンと叩いた。その屈託のない笑顔に、俺は毒気を抜かれてしまう。全てが終わったらノウコを迎えに行く。こいつは、もう自分の進む道を決めちまってる。それに比べて俺は……。ゴンの言葉が、迷っていた俺の背中を強く押した。そうだ、気持ちを伝えなきゃ、何も始まらない。



「……サンキュ、ゴン」



短く礼を言うと、俺は船室の扉に手をかけた。心臓がうるさい。だけど、もう怖くはなかった。深く息を吸い込み、俺はステラのいる部屋の扉を開けた。部屋の中には一人で声を押し殺して泣いているステラがいた。



「っ……!」



俺の姿を見るなり、ステラは背を向けた。そして、「ごめん……ひとりにしてくれるかな……」と言った。ステラの震える背中に、俺はかける言葉を見つけられずに立ち尽くす。泣いている理由は聞かなくても分かった。俺たちの会話、聞こえてたんだ。



「……悪い。聞こえてたんだろ」



一歩、ステラに近づく。拒絶されるのが怖くて、それ以上は進めなかった。ひとりにしてくれ、か。そうだよな。今のお前にとって、俺は一番会いたくねぇ相手かもしれねぇ。だが、ここで引くわけにはいかない。ゴンに背中を押されたんだ。もう、逃げるのはやめだ。



「……俺は、お前がいい。お前じゃなきゃ、ダメなんだ」



震える声で、やっとの思いで絞り出した本心。ステラの肩が、ぴくりと揺れたのが分かった。ステラはゆっくりと振り返る。



「え……? ……それって……」



ステラの潤んだ瞳が、まっすぐに俺を捉える。その視線に射抜かれて、心臓が大きく跳ねた。もう後戻りはできねぇ。ごくりと喉を鳴らし、一歩だけステラとの距離を詰める。震えが止まらない。だけど、今言わなきゃ、きっと一生後悔する。お前がゴンを見てることは知ってる。それでも、俺は諦めきれねぇんだ。



「……ああ、そうだ。ゴンじゃなくて、俺を見ろよ。……ずっと、前から……お前が好きだった」



ついに口にした言葉は、自分でも驚くほど熱を帯びていた。ステラの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それは、さっきまでの悲しみの涙とは、少し違う色をしているように見えた。



「そんな前、から……?」



自分がゴンを見ているのと同じようにキルアも自分を見ていたのだとようやく知る。いつもキルアが私に意地悪してきたのって……いつの日かゴンが言っていたようにキルアなりの愛情表現だったんだろうか。



「……でも、私は……私は、ゴンが好き。そんな簡単に諦められないよ。そんなすぐ気持ちを切り替える事なんて……」



ステラの言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さる。「ゴンが好き」。知っていたはずの事実を改めて突きつけられ、息が詰まった。分かってたことじゃねぇか。覚悟の上だったはずだろ。



「……ああ、知ってる。別に、今すぐ切り替えろなんて言ってねぇよ。そんなことできるわけねぇだろ」



唇からこぼれた声は、自分でも驚くほど静かだった。もっと取り乱すかと思ったが、不思議と頭は冷静だ。簡単に諦められない。そんなの、俺も同じだ。俺はゆっくりとステラに近づき、顔を覆うその手にそっと触れる。冷たい指先が、俺の覚悟をさらに固めさせた。



「だけど、覚えとけ。お前がゴンを見てる間、俺はお前だけを見てる。お前が振り向くまで、何度だって言ってやるよ。好きだ、ステラ」


「っ……、キルア……」



思わず顔を上げると真剣な顔をしたキルアの顔があった。真っ直ぐに言葉をぶつけられ、ステラは泣くことも忘れてキルアを見つめる。時が止まったかのように感じた。それから真っ赤になって顔を背けるとキルアの手をゆっくりと離そうとする。



「わっ、わかった……覚えとく、から……っ」



ステラが俺の手を離そうとするのを、俺は少しだけ強く握って引き留めた。顔を背けて真っ赤になってる耳が、こっちまで熱を伝染させる。その反応だけで、今は十分だった。



「……なら、いい」



俺は小さく息をつき、握っていた手をそっと離した。無理強いするつもりはねぇ。だけど、俺の気持ちが少しでもお前に届いたのなら、今はそれで。気まずい沈黙が流れる。外からは潮風の音と、ゴンが誰かと話す声が微かに聞こえてきた。さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ和らいだ気がした。



「……行くぞ。ゴンが待ってる。ヨークシンだろ? 置いてかれんのは、ごめんだからな」






















それからというもののステラはあからさまにキルアを意識してしまい、顔が合えば赤くなって逸らし、キルアを避けるようになる。告白されたからってつい意識してしまう。自分がこんなに単純だったなんて。

ステラはキルアとゴンが寝静まる頃、ベランダに出て星空を見上げた。あれだけゴンが好きで、ゴンの事をずっと見ていたのに。最近はキルアの事ばかり考えてしまう。こんなすぐに乗り換える女だと思われたくなくて、つい距離を取って、意地を張って、素直になれないでいる。

俺は眠ったふりをしながら、ステラがそっと部屋を抜け出すのを感じていた。向かう先はベランダだろう。最近、あいつが一人で考え事をしてるのは知っている。静かに後を追い、柱の陰からステラの横顔を盗み見る。星空を見上げるその表情は、どこか切なげで、胸が締め付けられた。避けられてるのは気づいてる。けど、それだけ俺を意識してるってことだろ。



「……そんなとこで一人でいると、風邪ひくぞ」



声をかけると、ステラの肩がびくりと揺れる。驚かせて悪いとは思うが、このまま放っておくなんて選択肢は、俺にはねぇんだよ。



「……ごめん、起こしちゃった? 今、布団に戻る……から……」



ベランダの入り口に立つキルア。他に通り道もなければ逃げる場所もない。キルアの顔が見れない。どうしてこんなにドキドキするんだろう……。

俺の顔を見れない、か。その反応が、今の俺にとっては答えみたいなもんだ。俺の心臓が、破裂しそうにドキドキしてる。



「別に、戻れなんて言ってねぇよ」



俺は一歩、ステラの隣に踏み出す。狭いベランダでは、必然的に距離が近くなる。夜風に乗って、ステラの匂いがふわりと鼻をかすめた。気まずそうに視線を彷徨わせるお前の横顔を、俺はじっと見つめる。意識してくれてるだけで、今は十分だなんて思ってた。けど、やっぱ欲が出るもんだな。



「……俺のこと、考えてたんだろ」



断定形で、わざと意地悪く囁く。お前の心を揺さぶれるのが、今はゴンじゃなくて俺だってことを、お前自身に分からせてやりたかった。



「……そうだよ。キルアの、せいだよ」



ステラは図星を刺されてびくりと震えたあと、小さく呟いていた。それからキルアを少し睨むように見つめる。キルアの意地悪な言い方に、堰を切ったように本音が溢れ出す。



「もう頭の中ぐるぐるだし、めちゃくちゃだよ……! あんなふうに、告白なんてするから……なのにキルアってば告白しといて意地悪だし余裕だしっ、ずるいよ! 私ばかり意識してて!」



俺のせい、か。その言葉を待ってた。余裕なんて、あるわけねぇだろ。お前の一挙手一投足で、俺の心臓だってうるせぇんだよ。



「……俺だって、めちゃくちゃだよ、バーカ」



お前の瞳をまっすぐ見つめ返す。夜風に揺れる髪から目が離せない。お前が俺を意識してるってだけで、柄にもなく舞い上がってんだ。



「ずるいのは、お前だろ。そんな顔して……俺を煽ってんのか?」



気づけば、俺たちの顔は触れそうなほど近くにあった。ステラの潤んだ瞳に俺の顔が映ってる。もう、限界だった。俺はマステラの腕を掴み、強く引き寄せた。



「あっ……!」



気づけば触れそうなほど近くに迫っていた。不意に腕を掴まれて、強く引き寄せられてキルアの体に倒れ込むようにして密着する。途端に心臓が激しく高鳴り出し、ステラの顔が耳まで赤くなる。



「や、やだ、離して……っ」



ステラの震える声と、俺の服を掴む指先の力に、一瞬だけ理性が戻りかける。だが、腕の中で香る甘い匂いと、伝わってくる熱が、それを許さなかった。



「……やだ。お前が言ったんだろ。俺のせいだって。……だったら、最後まで責任取れよ」



唇のすぐ側で、囁くように拒絶する。離してやるわけねぇだろ。お前が俺で頭がいっぱいになるまで、もう逃がさねぇよ。俺は空いている方の手でステラの顎をそっと掬い、上を向かせる。涙で潤んだ瞳が、戸惑うように俺を映した。その抵抗を含んだ眼差しが、たまらなく愛おしい。



「……ゴンじゃなくて、俺を見ろ」