あまいミルクをたっぷり
「う……」
どれくらい気を失っていたのだろう。ステラは目を覚ますと頭を押さえながら身を起こす。酷い頭痛と耳鳴り。自分はソファーに寝かされている。毛布がかけられている。ステラは素早く今の状況を分析していた。キルアはステラの意識が戻ったのを見て、一瞬驚きの表情を浮かべた後、すぐに微笑みに変えた。彼は彼女の元へ駆け寄り、そっと肩に手を置く。
「やっと目が覚めたか。心配したぞ、マヤ」
彼の声は優しさに満ちていたが、その目は相変わらず鋭く、ステラから目を離さない。キルアはテーブルの上に準備してあった水の入ったグラスを手に取り、彼女に差し出した。
「さあ、少し飲んで。それから特別なディナーを食べよう。全部お前のために用意したんだ」
ステラはキルアの手が肩に置かれると反射的に身構えていた。そしてゆっくりとキルアの顔を見る。その目には恐怖の色が滲む。キルアから差し出されたグラスをただ見つめるだけで手に取ろうとしない。
「ディナー……? いま、何時……?」
キルアは不満そうに眉をひそめ、差し出したグラスを引っ込めた。ステラの目に映る恐怖が、彼の中で複雑な感情を呼び起こす。ゆっくりと彼女の足元に視線を落とし、念で強化された鎖を確認する。
「もう夜の7時だよ。随分寝てたな。怖がらないでよ。せっかくの特製ディナーが冷めちゃうから、早く食べようぜ。お前のために作ったんだからさ」
喉はとても乾いていた。彼の持つグラスをじっと見つめる。それでも受け取る気にはなれず、そのまま目を逸らした。
「私、体がだるいから……動きたくない。ディナーは……いい……」
キルアは一瞬、困惑と怒りが入り混じった表情を見せたが、すぐに柔らかな微笑みに切り替えた。そこに毒など入ってないというように、一口飲んでみせた。と言っても自分は毒が効かないから意味はないが、とにかく毒を入れてないのは本当だ。そのグラスを再びステラに差し出す。そっとマヤの髪に触れ、瞳を見つめる。その目に映る恐怖の色が彼の心を揺さぶるが、それでも手を引くことはない。
「そんなこと言うなよ。ほら水飲んで、少しは元気出るだろ。俺が作った料理、食べてくれないと悲しいな。ステラ、俺はお前を傷つけたくないんだ。ただ……一緒にいたいだけなんだよ」
ステラはしばらくグラスとキルアを見ていたが意を決したようにキルアの手からそのままグラスに口をつける。そのままこくこくと飲んでいく。
「……うん、おいしい」
水で喉を潤すと、少しだけ元気が出た。ステラはキルアの顔を見上げて少し微笑んだ。
「ごめん……キルアが作ってくれたんだね。なら、食べる……」
キルアの表情が明るく輝き、ステラの言葉に心から喜んだような笑顔を見せる。彼は素早く立ち上がると、準備していたテーブルへと向かった。
「そうこなくちゃ! 待ってて、すぐ持ってくるよ」
キルアはすぐにキッチンから特製ディナーを運んでくる。テーブルには美しく盛り付けられたステーキと、カラフルなサラダ、そしてステラの好きなデザートが並ぶ。キルアは誇らしげにそれらを並べながら、チラチラとステラの反応を窺っていた。
「どうだ? 見た目だけでも食欲湧くだろ? 俺、料理の本見ながら必死に作ったんだぜ」
ナイフとフォークをステラに差し出すが、その手には微かな震えがある。彼の心には喜びと不安が入り混じっていた。
「すごい……これ、キルアが作ったの?」
ステラは並べられた料理を見て驚いたように目を丸くさせる。それから懐かしむように「ハンター試験で変な料理作ってたキルアがこんなの作れるなんて」と言うとステラはキルアの手からナイフとフォークを受け取り、ゆっくりとサラダを口にする。
「……うん、すごくおいしいよ」
キルアは満足げに微笑み、ステラの言葉に誇らしげな表情を浮かべる。彼女が食べる様子をじっと見つめながら、自分の席に腰掛けた。
「あの時は本当にヤバかったよな。でも見てよ、今じゃこんなに上手く作れるようになったんだぜ」
「あれも面白かったけどね」
本当はすごく失敗もした。でもそんな事は絶対に言わないし見せない。フォークを手に取りながら、キルアは少し照れたように髪をかき上げる。ステラが食べる姿に見惚れ、自分の料理には手をつけていない。
「もっと食べなよ。ステーキが一番自信作なんだ。ステラのために特別に作ったんだからさ」
目の前の少女の瞳と、ふわふわ揺れる髪が灯りに照らされ、キルアの胸は高鳴る。手首の鎖がチラリと見えたが、気にしないように視線を逸らした。
「ゴンとの旅の話、また聞きたい? それとも、別のことがいい? 俺たち、ずっと一緒にいられるんだからさ」
なかなか返事をしないステラに矢継ぎ早に問いかける。ステラはステーキをナイフで切り分けてフォークで口元に運び、小さな口を開けてそれを食べる。
「うん、おいしい。キルアは食べないの? 私があ〜んしてあげようか? ……ゴンとは、あれから会ってるの? 寂しがってるんじゃない?
それから食事に手を付けないキルアを見て微かに微笑んだ。キルアは少し驚いた表情を浮かべた後、頬が僅かに赤くなる。ステラの「あ〜ん」という言葉に、彼の鼓動は速くなった。椅子をステラの方へ近づけ、彼女との距離を縮める。目を合わせると、少し照れくさそうに微笑んだ。
「あ、ああ..….いいよ、それ。あ〜ん、してくれるなら。ゴンとは...…最近連絡取ってないんだ。今は、ステラと一緒にいたいから。それに、寂しくなんかないよ。ステラがいるんだから」
「そっか……。ほんとにするの? キルアって甘えん坊なのね」
キルアの返答に少し寂しげな顔をする。それから受け入れるキルアに驚いたもののステーキを切り分けると、自分が食べていたそのフォークで刺してキルアの口元に運ぶ。
「はい、キルア。あ〜ん」
キルアはフォークを口に受け入れ、少しはにかみながら甘えた表情でステーキを咀嚼する。ステラの手から食べることに、彼は言葉では言い表せない喜びを感じていた。
「うん、美味い! やっぱりステラが食べさせてくれると特別だな」
「そう? 味は変わらないと思うけど……」
幸せそうにステーキを食べるキルアの顔を見つめる。こういう反応は以前と変わらないのに。キルアは彼女の寂しげな表情に気づき、手を伸ばして彼女の頬に触れる。その指先には優しさと独占欲が混ざっていた。
「ねぇ、ステラ。何を考えてる? 俺はずっとここにいるよ。ステラだけのために」
不意にキルアの手が頬に触れるとステラは反射的に身を竦ませる。何を考えてるって?キルアの事だよ。でも歪ませてしまったことが悲しいなんて言えない。彼にはその自覚がないかもしれないから。
「……別に、何も」
「本当に? 嘘つくなよ。ステラの気持ちは全部見抜けるって言ったろ」
キルアはステラの反応に一瞬目を細める。彼女の身体が竦むのを見逃さなかった。もう一口ステーキを食べながら、キルアは黙ってステラの瞳を見つめる。その目に映る自分の姿を確かめるように。
「逃げたいって思ってる? でも安心して。俺がいるから、何も怖くないよ」
私が本当に怖いのはキルアが消えてしまうことだ。
そのままキルアと一緒にディナーとデザートを楽しんだ。ステラはお風呂から出るとベッドに腰をおろす。
「キルアも入ってきたら? いい湯だったよ」
ステラは濡れた髪を乾かしながらキルアに目を向けた。キルアは少し驚いた表情を見せながら、髪を乾かすマヤを見つめた。紫色の瞳と濡れたピンク色の髪が、部屋の灯りに照らされて綺麗だった。
「へぇ、珍しいな。ステラから誘うなんて」
ベッドに腰掛けたステラの側に座り、ぽたりと垂れる水滴を指先で拭う。髪に触れる手が少しだけ震えているのを感じながら、彼は小さく息を吐いた。
「あとでいいよ。その前に……ステラの髪、俺が乾かしてやるよ」
「誘うって……なんの話?」
ステラは意味がわかっていない顔でキョトンとしている。キルアはステラの反応に少し戸惑いつつも、その無防備な様子に胸がキュンとなった。
「別に...…お前が俺に髪乾かしてくれるのかと思ったんだよ」
彼は軽く咳払いをし、タオルをステラから取ると、そっと彼女の髪に当てた。鎖の音が小さく響く中、優しく髪を拭う。ステラはキルアに髪を乾かしてもらいながらぼんやりと窓の外を見上げる。
「キルアも、髪乾かしてほしいの?」
ステラの素直な言葉に、キルアの手が一瞬止まる。キルアは少し赤くなった顔を隠すように、ステラの長い髪に集中する。指先が彼女の首筋に触れると、ステラがかすかに震えた。その反応に、彼の胸がざわめく。
「え? ...…あ、ああ。そうだな...…してくれるなら。ステラ...…こうしてると、お前がいなくなる気がして...…」
「な、なに……? ……どうして? いなくなったり……しないよ」
キルアの手が首筋に触れるたびに体は反応してしまう。ステラはそれに耐えながらキルアの言葉に驚いて問いかける。キルアの指先がステラの首元で止まり、わずかに力を込める。その青い瞳には不安と執着が混ざり合っていた。
「本当に? クラピカや他のヤツらが来て、お前を連れていったら……俺、どうなるか分からないんだ。だから……ずっとここにいてほしい。俺だけのそばに」
彼はドライヤーを置き、ステラの肩に両手を回して後ろから抱きしめる。そっと耳元で囁く声は、甘さと危うさが入り混じっていた。
「あっ……」
キルアの指先が首筋にわずかに沈みこみ、びくりと体が震える。そのまま後ろから抱きしめられ、突然の事に驚いていると耳にキルアの声と吐息がかかり小さく身を震わせた。
「キルア……。私は、ここにいるよ」
キルアはステラの震える体を感じながら、少し力を緩めた。それでも彼女を離す気はなかった。彼は眉を寄せ、ステラの髪に顔を埋める。紫の瞳に見つめられないように。
「そうだな、お前はここにいる。でも、それで十分じゃないんだ。俺が怖いのは……お前の心がどこかへ行ってしまうことさ。その鎖じゃ縛れないから」
「ねえ、キルア。どうして……こうなっちゃったのかな」
「どこにも行かないよ……」
ステラは後ろから抱きしめられたまま、少し寂しそうに言った。キルアの手の上からそっと手を触れさせる。その手は震えていた。キルアはステラの小さな手を握りしめ、彼女の肩に顎を乗せた。その瞳は複雑な感情で揺れていた。彼はゆっくりとステラを回して向き合わせ、その紫色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「わかんないよ……ただ、お前を失うことを考えると、息ができなくなる。俺、お前のことが好きすぎて……正しいことがわからなくなってる。でも、一緒にいてほしいんだ」
ステラは不意に身体を回され、正面から見つめられ、驚いたように目を見開いた。それからゆっくりと視線を合わせ、キルアの目を見つめる。それから少しほっとしたように肩の力を抜く。
「……キルア。キルアは、キルアなんだね。私も、怖かったよ。キルアの心がどこかに行ってしまうのが」
キルアの告白には少し驚いたものの、今のキルアには安心できる気がした。大丈夫。彼の心はここにいる。どこにも行ってない。大丈夫。ステラはふと時計を見上げた。
「もう寝よっか? キルア。10時になるよ」
キルアはステラの言葉に安堵の表情を浮かべ、軽く頭を撫でた。紫色の瞳に映る自分の姿を見つめながら、柔らかく微笑む。
「ああ、そうだな。でも、その前に……」
ポケットから小さな鍵を取り出し、ステラの足の鎖に手をかける。鍵穴に差し込むと、カチリと音がして鎖が外れた。
「今日だけは自由にしてやるよ。でも逃げるなよ……お前なしじゃ、俺、また迷子になっちまうから」
「ありがとう、キルア……おやすみ……」
鎖が外れると足首には跡が残っていた。ステラは柔らかく微笑んで、ベッドに横になる。どうしてだかすごく眠い。ステラはそのまま目を閉じた。キルアはステラの足首に残る痕を見て眉をひそめた。彼女の横に腰掛け、そっと痕を指でなぞる。
「痛かったんだな...…ごめん」
月明かりが窓から差し込む中、彼はステラの寝顔をじっと見つめた。その紫色の髪が銀色に輝いて見える。静かに毛布をかけてやりながら、彼女の隣に横になる。
「明日からは...…違う関係になれるかもな」