マシュマロに埋まって溺死




ステラの指先が髪に触れた瞬間、キルアの目が素早く開いた。彼は驚いた表情からすぐに柔らかな微笑みへと変わる。



「おはよ。久しぶりに安心して眠れたよ」

「おはよう、キルア。それなら良かった」



キルアの柔らかな微笑みに安心し、ステラも微笑んだ。彼はゆっくり体を起こし、窓から差し込む朝日を見つめた。それから少し申し訳なさそうな表情をしながらもステラの足首に鎖を嵌めた。まだずっとは外せない。らしい。ステラは何も言わなかった。



「今日は特別な朝食を作ろうと思ってた。手伝ってくれるか?」

「特別な朝食って? もちろん、いいよ。何をしたらいいの?」



ステラはキルアの寝癖を指で直しながら問いかけた。キルアはステラの手が自分の髪に触れるのを感じて、少し照れたように頬を赤らめた。



「パンケーキとフルーツサラダ。あとは特製チョコレートソース!」

「パンケーキ、いいね」



彼はベッドから跳ね起き、ステラの手をそっと取って引っ張る。鎖の付いた足で歩くステラを気遣いながら、ゆっくりとキッチンへ向かった。



「フルーツを切ってくれると助かるな。俺、実はチョコレートソースを作るの得意なんだ」

「わかった、フルーツだね。キルアはチョコレート好きだもんね」



二人で和やかに朝食を作り、食卓に並べた。ステラの足首に鎖が付いてさえなければごくごく普通の光景だっただろう。



「わあ、すごく美味しそう!」



キルアはステラの笑顔を見て、思わず胸が温かくなるのを感じた。目の前のパンケーキよりも甘い気持ちだった。



「いつもより甘く作ったんだ。ステラの好みに合わせて」

「そうなんだ、嬉しいな。でも、キルアも私と同じで甘いの大好きでしょ?」



二人の好みは同じだと思った。彼はフォークでパンケーキの一部を切り取り、上からたっぷりチョコソースをかけるとステラの口元へと差し出した。その紫色の瞳を見つめながら。



「あーん。俺が食べさせてあげるよ」

「……えっ?」



ステラは困ったように視線を彷徨わせてから再度キルアの顔を見て、頬を赤らめながらキルアの手からパンケーキを食べた。



「……うん、おいしい……」



キルアはステラの頬を赤らめる姿に満足げな表情を浮かべた。その反応が嬉しくて、思わず自分も頬が熱くなるのを感じる。キルアもフォークを自分のパンケーキに突き刺すと、チョコソースをたっぷりつけて口に運んだ。その甘さに目を細める。



「へへっ、俺らって似てるよな。甘いもの好きっていうところとか。お前の得意料理って何? 俺、実はチョコレートケーキ作りたいんだ。今度二人で作ってみない?」

「うん、確かにそうだね。私達お菓子大好きだもんね」



キルアと一緒にチョコロボとキャンディを交換して食べたりしたことを思い出す。あの頃のキルアだったら、きっとこんな事しない。甘いパンケーキ、甘いチョコレートソース、甘酸っぱいフルーツサラダ。キルアと二人で食べた。



「おいしかったね、キルア。いつも洗ってもらってるし、今日は私が洗うね」



キルアはフォークで最後のパンケーキの破片をつついて、ステラの申し出に首を傾げた。立ち上がると、ステラの近くに来て、彼女の紫色の瞳を見つめた。足首の鎖が微かに音を立てる。



「いいよ、別に。その鎖じゃ動きづらいだろ? 一緒にやろうぜ。なぁ、ステラ。チョコレートケーキ作るの、本当に楽しみにしてるんだ。お前が……ここにいてくれて、嬉しいよ」

「私も、楽しみだよ。チョコレートケーキの材料はどうするの? キルアが買いにいくの? ……鎖は、まだ外せないの?」



キルアと二人で食器を洗いながら何気なく問いかける。キルアの表情が一瞬曇り、視線をそらす。鎖の質問には答えず、手を止める。



「材料なら、もう用意してある。お前の好みとか、知りたくてさ……」

「そっか……もう用意してあるんだね。一緒に買い物行くのかなって思っちゃった」



ステラは複雑な顔をする。キルアはステラの手に触れようとして、躊躇う。水がシンクに流れる音だけが静かな空間を満たす。



「鎖は……まだ無理だ。クラピカがまた来るかもしれないし……でも、もう少し時間が経てば、考えるよ。俺はただ、お前と一緒にいたいだけなんだ」

「クラピカには……やっぱりまだ会えない? 心配してると思うんだ。ゴンも、レオリオも……。皆、どうしてるかな……。会いたいな……」



ステラはキルアの顔色を窺いながら問いかけた。するとキルアの目が細くなり、唇が引き結ばれる。ステラの言葉に彼の胸の奥で何かが締め付けられた。テーブルに置かれた果物ナイフを手に取り、りんごの皮を剥き始める。その手つきは熟練の暗殺者そのもの。



「クラピカなんかに会って何になるんだよ。あいつらは俺たちの邪魔をするだけだ。ステラ、俺たちだけでいいんだ。外の世界なんて危険だらけで……お前を守れるのは俺だけなんだ」

「邪魔って、なんの邪魔をするの? クラピカと、何があったの? ゴンとレオリオの事すら信じられないの? あんなに、大事な仲間だったのに?」



きっぱりと告げられ、ステラの表情に困惑と猜疑心が芽生える。キルアの手が一瞬止まり、りんごの皮が途切れた。目が影に隠れる。



「邪魔って……俺とステラの関係の邪魔さ。奴らは『正義』なんて言って、お前を俺から引き離そうとする」



指先でりんごの皮をくるくると回しながら、キルアは小さく笑った。その笑みには寂しさが混じっている。



「仲間だったよ。でもお前を見つけた時、全てが変わった。ゴンたちは、俺のこの気持ちを理解できないんだ……ステラを手に入れるためなら、どんな『友情』も捨てられるって」

「そんな……、そんなこと、言わないで。ゴンは、今もまだキルアのこと友達だって思ってるよ! 今からでも遅くない、早く、ゴン達の所行ってあげて。お願い……」



ステラはキルアの言葉に傷ついたような顔をし、その肩に手を置いて必死に訴えかける。キルアは苦笑いを浮かべ、ステラの手を優しく握った。目には複雑な感情が宿っている。



「ステラ……俺はもう戻れないんだ。お前を手に入れた瞬間から、ゴンたちの世界には居場所がなくなった」



彼は窓の外を見つめ、空を飛ぶ鳥を見ながら声を落とした。



「昔の俺なら、友達のために何でもできたさ。でも今は……お前が俺の全てなんだ。それが怖いんだ」

「だったら……」









「だったら……私が、私がいなくなればいいんでしょ……っ!」









ありったけの念を込めて足首の鎖のチェーンを引きちぎる。毒の切れかけた体で無理して念を使ったせいで体がふらつく。頭が割れそうに痛い。それでも瞬時にステラは窓から身を翻し、念能力であるローラーシューズを起動して空中へと駆け抜けていく。まるで空を飛ぶ鳥のように。キルアの瞳が凍りつき、電光が全身を駆け巡った。窓枠の木材が彼の指の下で砕け散る。



「バカなことを……!」



神速の如く窓から飛び出し、ステラの後を追う。彼の体は完全に戦闘モードに切り替わっていた。



「お前はどこにも行かせない。俺がいないとお前は生きていけない! ステラ、止まれよ!」



崖っぷちに立ち、ステラは振り返った。この体じゃ遠くまでは逃げられないし、すぐにキルアに追いつかれてしまう。もうこうするしかないんだ。



「ねえ、キルア……。私がいなくても、キルアは大丈夫だよ。ゴンも、クラピカも、レオリオも、皆キルアのこと大事に思ってる」



キルアは足を止め、ステラの言葉に一瞬動揺した表情を見せる。しかし、すぐに顔を歪ませて前に踏み出した。



「違う……違うんだ!俺が必要なのはお前だけだ! ゴンたちじゃない……!」



キルアは震える手を伸ばし、ステラに近づこうとする。その目には狂気と切なさが混ざり合っていた。



「戻ってきてよ……お願いだ。俺、お前がいないと……壊れちまうんだ」

「私が、キルアを壊したんだよね。私、キルアのこと、本当に大事に思っていたよ。でも、もう……私のせいで壊れていくキルアを見たくないんだ。ごめんね……」



ステラはそう言って微笑むと崖から身を投げた。キルアの瞳が恐怖で見開かれ、体が勝手に動き出した。電光石火の速さで崖から飛び出し、落下するステラへと手を伸ばす。



「ステラ#ァ#ァ#ァ#ッ! やめろぉぉっ!」



足首の鎖が重さを増す中、キルアは必死にステラの体を抱き寄せた。二人は空中で抱き合ったまま回転し、キルアは自分が下になるよう体勢を変える。



「俺が壊れるのはいいんだ……でもお前まで壊れるな……お願いだ……」



崖の下は海になっていた。海に飛び込む刹那、ステラは海水を飲み込んでしまう。冷たい海水で溺れそうになる。意識が薄れていく。キルアは必死にステラの身体を支え、海面に浮上する。冷たい海水が二人を包む中、彼は一方の腕でステラの顔を水面上に保ち続けた。



「しっかりしろよ、ステラ! まだ終わらせるつもりはないんだ!」



岸に向かって泳ぎながら、時折ステラの顔を覗き込む。意識がないことに気づくと、キルアの顔に焦りが浮かぶ。



「チッ……俺がいなきゃお前は生きていけないんだよ……わかってるだろ?」



海岸に辿り着くと、キルアは急いでステラを砂浜に寝かせる。彼女の胸が上下に動いていないことに気づき、焦りが増した。海水を飲んだんだ。



「くそっ……息してない!」



キルアは迷わず人工呼吸を始める。ステラの冷たい唇に自分の唇を重ね、必死に息を吹き込んだ。胸骨を圧迫しながら、彼女の命を繋ぎ止めようとする。



「目を覚ませよ……お前を失うわけにはいかないんだ……」



必死になって続けているとやがて意識を取り戻したステラが盛大に咳き込む。



「っキルア……」



キルアの表情が一瞬で安堵に変わる。ステラが生きていることに心の底から安心した様子だ。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、クールな顔つきに戻った。



「よかった……って言わせんなよ。お前が死んだら面倒だからな。もう少し休め。ここなら誰も来ない……」



そう言いながらも、キルアはステラの体を優しく支え、彼女の髪から海水を絞り出す。マヤの足首の鎖を無意識に確認する目が、彼の本当の気持ちを物語っていた。



「……うん」



ステラはキルアから目を逸らした。服は濡れて肌が薄く透けて見えていた。胸が呼吸に合わせて上下しているのがわかる。キルアはステラの姿に一瞬目を奪われ、慌てて視線を外した。自分の上着を脱ぎ、彼女の肩にそっとかける。その上着も濡れていたが。キルアは手が触れた瞬間、電気のような感覚が走るのを覚えた。



「着ろよ。風邪ひくぞ...…」

「……うん」



言葉とは裏腹に、ステラを守るように腕を回す。彼女の命が危険にさらされた恐怖が、まだ胸の中で渦巻いていた。



「もう二度と...…俺から離れるなよ」

「頭がくらくらする……無理、しすぎたね……」



キルアの言葉には答えず、ぽつりと呟く。念を阻害されてる状態で無理に使ったことで激しい頭痛と耳鳴りに襲われる。ぐったりと横たわったまま荒い呼吸を繰り返す。ため息をつきながら、キルアはステラの髪を優しく撫でた。目に見えない鎖に縛られた彼女の姿に、胸が締め付けられる。ステラの顔色を確かめるように、そっと頬に手を当てる。肌の冷たさに眉を寄せた。



「バカ...…死ぬ気だったのか? もう少しで失くすところだったんだぞ。クラピカにも誰にも渡さないって決めたんだ。だから...…もう少しだけ、こうしていてくれ」

「……うん。私なんて、いない方が良かったのかなって……思って……」



弱々しい声でそう言って、目を閉じた。念制御下された状態による念酷使で体は疲弊しきっていた。熱が上がっていく。ステラの言葉に、キルアの表情が一瞬で硬くなった。彼女の額に手を当て、熱を感じて歯を食いしばる。



「何言ってんだよ。お前がいなくなったら、俺……」



震える指でステラの髪を耳にかけながら、キルアは彼女の額に自分の額を優しく寄せた。閉じられた瞼の下で揺れる紫色の瞳を想像する。



「生きろよ。一緒に、ここから出よう。もう監禁なんてしない。約束する」



ステラはそのまま意識を失い、高熱にうなされる。ステラの熱が急上昇するのを感じ、キルアは咄嗟に彼女を抱き上げた。足首の鎖を電撃で切断し、彼女を自由にする。



「くそっ! このままじゃステラが……」



額から流れる汗を拭いながら、キルアは全速力で岸へと走り出した。元暗殺者の俊敏さは健在だ。ステラの命を救うことだけを考えて。



「絶対に死なせないからな。今度こそ、ちゃんと守ってやる」