涙と少しの砂糖を混ぜて




季節は秋だった。秋桜の咲く道に二人はいた。ステラはキルアの隣を歩きながら意を決したように言う。



「キルア、話があるの」



ステラの真剣な横顔をちらりと見て、俺は視線を前に戻した。



「なんだよ、改まって。まあ、なんだって聞いてやるよ。



秋桜が風に揺れる音がやけに大きく聞こえる。心臓の音が少しだけ速くなった。少し照れくさくて、わざとぶっきらぼうに言ってみせる。



「お前の話なら、なんだって」



そう付け加えると、俺はポケットに両手を突っ込んだ。隣を歩くステラの歩幅が、いつもより少しだけ小さいことに気づきながら。



「うん……」



ステラは言い淀むように、少し俯いた。それから足を止めて、ゆっくりとキルアに顔を向ける。マヤは夕暮れに背を向けて立っていて、その表情は読めない。



「キルア……。私達……、別れよう」



一瞬、何を言われたのか分からなかった。風がざわめき、秋桜が揺れる音だけが耳に残る。



「別れる……? は……?」



夕陽を背にしたステラの顔は影になっていて、どんな表情をしているのか見えない。ただ、その言葉だけが、やけにクリアに脳に突き刺さった。

「なんでだよ。……それ、冗談とかじゃねーの? 理由を言えよ、ステラ。ちゃんと、俺の目を見て」



ポケットに突っ込んでいた手が、いつの間にか固く握りしめられていた。声が震えないようにするので精一杯だった。



「……冗談でこんなこと言わないよ。理由は……キルアの事が好きじゃなくなったから」



影になっていて顔が見えないまま、ステラは背を向けた。



「ごめんね。さようなら。……元気で」



そのまま駆け去っていった。夕陽に照らされた秋桜の道を、ステラの小さな背中がどんどん遠ざかっていく。その姿が滲んで、よく見えなくなる。



「待てよ、ステラ! 冗談だって言えよ……! おい!」



なんでだよ。好きじゃなくなったって、なんだよそれ。納得できるわけねーだろ。足が勝手に地面を蹴っていた。追いついた腕を掴む。振り返ったステラの顔は、やっぱり影になっていてよく見えない。けど、震えているのは分かった。



「ちゃんと説明しろ。じゃなきゃ、行かせねー」

「好きじゃなくなったから。そう説明したよ。……キルアと別れたいの」



ぐいっと強く腕を掴まれ、足を止めて振り返る。ステラはキルアの顔をまっすぐに見つめて言った。

その目は、俺が知ってるステラの目じゃなかった。真っ直ぐ俺を見てるのに、何も映してないみたいで、ぞっとするほど冷たい。掴んだ腕に力がこもる。信じたくない。いや、信じられるわけがない。ついこの間まで、お前は俺の名前を嬉しそうに呼んでたじゃねーか。



「……ふざけんな。俺のことが好きじゃなくなった? じゃあ、今までの時間は全部嘘だったってのかよ」



声が震える。目の奥が熱くなって、視界が滲み始めた。夕陽のせいだって、自分に言い聞かせた。



「なあ、ステラ。……俺は、まだお前のことが……」



キルアの震える声、悲しそうな顔を見て、ステラの顔が悲しく歪んだ。決意が鈍りそうになる。その顔はいつものように、優しげで、でも悲しい顔だった。



「……ごめん、ね。別れてほしいの。私以上に、もっといい人と出会えるよう、願ってる……ごめんね……」



ステラの言葉が、鋭い刃物みたいに胸に突き刺さる。もっといい人?そんなの、お前以外にいるわけねーだろ。掴んでいた腕を、思わず離してしまった願ってる、なんて言葉が、一番聞きたくなかった。



「……っ、るせえよ……! お前じゃなきゃ、意味ねーんだよ……!」



堪えていたものが、決壊する。涙がぽろぽろと零れて、夕焼けに染まる地面に落ちては消えていく。



「なあ、ステラ……。なんでだよ……。俺のどこがダメだったんだよ……? 直すから、全部直すから……だから……」



情けなく声が震える。みっともなくてもいい。ただ、行かないでほしかった。



「……捨てないでくれよ……」



キルアの泣いてる姿を見て、ステラの顔が強張り、それから泣きそうに顔を歪めた。



「……違う、よ……キルアは悪くない。だけど、もう一緒にはいられないの……!」



ステラはキルアから少しずつ距離を取るように歩いたあと、そのままなりふり構わずに人混みに紛れるようにして走っていく。



「……っ、なんで……」



人混みの中に消えていくステラの背中を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。追いかける気力も湧かない。足が地面に縫い付けられたみたいに動かなかった。



「なんでだよ……ステラ……」



秋の冷たい風が、涙で濡れた頬を撫でていく。ハンター試験で出会った時、お前はいつも笑ってた。俺の隣で、ずっと。その笑顔を、俺は……。



「……守るって、決めたのに……嘘だろ……」



行き交う人々のざわめきが、やけに遠くに聞こえる。世界から俺だけが切り離されたみたいだった。呟いた声は、誰にも届かずに雑踏に溶けて消えた。

















それからステラはキルアの前にも、ゴン、クラピカ、レオリオ達の前にも姿を現すことはなかった。全員との連絡を断っているようだった。あの日から、どれくらい時間が経っただろうか。ステラが姿を消してから、俺の世界は色を失ったみたいだった。手の中にあるヨーヨーの冷たい感触だけが、妙にリアルだ。ただ、それを操る気力は湧いてこなかった。



「あいつ、どこ行きやがったんだよ……」



ゴンやクラピカ、レオリオにも連絡がないらしい。まるで最初からいなかったみたいに、綺麗に消えちまった。



「……ふざけんなよ」



込み上げてくるのは怒りか、悲しみか。それすらもよく分からない。ただ、胸にぽっかりと空いた穴を、冷たい風が通り抜けていく感覚だけがあった。



「必ず、見つけ出してやる……」



ヨーヨーを強く握りしめる。どんな理由があろうと、あんな顔させて別れたままなんて、絶対に認めねぇ。

誰からも連絡を断ったステラは一人ヨークシンの街を歩いていた。携帯電話を確認したあと、ポケットにしまってため息をつく。いつの間にか、キルアとの思い出の公園しにまで来てしまっていた。どうしてここに来ちゃったんだろう、そう思いながら何食わぬ顔でそこを通り過ぎた。

偶然だった。あてもなく街を歩き回っていた俺の目に、見慣れた後ろ姿が飛び込んできたのは。夕暮れの公園、忘れるはずもない。あの日と同じ場所。



「……ステラ」



気づけば、駆け出していた。人混みをかき分け、息を切らしてその背中に追いつく。心臓がうるさい。今度こそ、逃がさねぇ。震える手で、そっと肩を掴む。振り返ったお前の顔は、驚きと、それから悲しみに彩られていた。



「やっと見つけた。なんで……何も言わずに消えたんだよ。ずっと、探してたんだぞ」



俺の顔、ちゃんと見ろよ。お前がいない世界なんて、俺にはもう考えられねぇんだよ。

突然キルアの気配を感じ取り、ステラは思わず逃げ出していた。けれど、追いついてきたキルアに肩を掴まれる。諦めたように足を止め、キルアを振り返る。



「キルア……」



明るい街の中、今日はお互いの顔がよく見える。ステラはキルアから顔を背けた。



「なんでって……私達、別れたんだよ。どこにいたっていいでしょ……?



ステラの横顔に、街のネオンがちらついては消える。その言葉は、まるで鋭い氷の欠片みたいに俺の胸を抉った。



「……っ、いいわけねーだろ!」



掴んだ肩に力がこもる。なんでそんな簡単に言えるんだよ。俺がどれだけお前を探したと思ってんだ。無理やりその体を俺の方に向けさせる。逃がすもんか。もう二度と、勝手にいなくならせるわけにはいかない。



「別れた? 俺は納得してねぇ。お前が一方的にそう言っただけじゃねーか。本当の理由を言えよ、ステラ。好きじゃなくなったなんて嘘、俺には通用しねぇからな」



まっすぐに見つめた瞳が、悲しそうに揺れていた。その奥に隠してるもん、全部吐き出させなきゃ、俺は前に進めねぇんだよ。

ステラは一瞬迷うように瞳を揺らしたあと、キルアの顔を見ないまま冷たく言った。



「……もう、諦めてよ……。これ以上追いかけてこないで。……迷惑なの。もう、ついてこないで。私と別れて」



迷惑……?その一言が、頭の中で何度も反響する。まるでハンマーで殴られたみたいな衝撃だった。



「……ふざけんな……」



掴んでいた肩から力が抜け、だらりと腕が下がる。目の前にいるのは、本当に俺の知ってるステラなのか?街の喧騒が遠のいていく。なんでだよ。どうしてそんな酷いこと言うんだよ。聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。



「迷惑なわけ、ねーだろ……。俺たちが一緒にいた時間、全部なかったことにすんのかよ……俺の顔、ちゃんと見て言えよ。本当に、そう思ってんのか……?」



震える声で絞り出すのがやっとだった。頼むから、嘘だと言ってくれ。そんな目で、俺を見ないでくれ。



「なかったことには……ならないよ。ごめんね、キルア……」



キルアの顔を見れないまま、何かに耐えるように唇を噛みしめる。それからキルアの顔を少しだけ見上げる、その顔に浮かぶのは深い絶望と深い悲しみだった。