うばうから




単身で現れたイルミは静かにステラを見つめた。



「ステラ……キルと行くんだ? お前は俺の嫁だよね? なのに、キルと浮気?」



それからキルアに目を向ける。



「まあいいよ。今は見逃がしても。でも覚えておいてね。俺はステラを手放す気はないから。……俺の物は必ず返してもらうからそのつもりで」



イルミはキルアとステラが必ず戻ってくると確信している様子だった。イルミの言葉が冷たい刃のようにキルアの心に突き刺さる。兄の絶対的な力と執着を前に、全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。だが、キルアはステラを守るように一歩前に出る。



「ふざけんな……ステラは物じゃねぇ! お前の好きにはさせねぇよ!」



その声は怒りで震えていたが、イルミは表情一つ変えずに弟を見下ろす。その視線は、反抗する子供を諭すかのように冷ややかだ。



「キル、お前はまだ何も知らない。外の世界はお前が思うほど甘くないよ。すぐに俺の元へ帰りたくなる」



キルアは奥歯を強く噛み締めた。イルミの言う通りかもしれないという恐怖が、一瞬だけ心をよぎる。しかし、背後にいるステラの存在が彼を奮い立たせた。



「うるせぇ! たとえどうなろうと、俺はお前たちのいる家には戻らねぇ! ステラも絶対に返さない!」



それは、暗殺者としてではなく、一人の人間としてのキルアの心の叫びだった。



「キル。本気で俺の嫁を奪う気? なんのために? まあ1年後、必ず俺はステラと結婚するから。束の間の外の世界を楽しんできたらいいよ」



いつでも追える、とイルミは言い残してその場を立ち去った。イルミの姿が完全に消えても、その場には重苦しい空気が漂っていた。キルアは兄が残したプレッシャーに耐えるように、拳を固く握りしめている。その小さな背中は、怒りと無力感で微かに震えていた。



「……あいつ……!」



ギリッと歯を食いしばり、やり場のない怒りを地面に叩きつけたい衝動に駆られる。しかし、隣にいるステラの存在が彼を現実に引き戻した。彼女を不安にさせてはいけない。



「……行こう、ステラ。あんな奴の言葉、気にするな」

「……1年後……」



キルアは振り返り、努めて冷静な声で言った。だが、その青い瞳には、兄への恐怖を振り払おうとする必死の色が浮かんでいる。彼はステラの腕を掴んだ。イルミの逃がさないという宣言にステラは少し怯えた顔をしていた。



「大丈夫だ。俺が必ずお前を守る。1年後だろうが、10年後だろうが……絶対に兄貴には渡さねぇから」



それはステラに言い聞かせると同時に、自分自身に誓う言葉だった。



「ねえ、キルア。来年になったらさ、二人でハンター試験受けに行かない? ハンターライセンスがあったら、もっと行動範囲広がると思うんだ」



言葉を途切れさせる。逃げ切れるのだろうか。そんな不安が見え隠れしている。キルアはステラの震える声に気づき、彼女の手をそっと握った。青い瞳が真剣な光を帯びる。



「ハンター試験か……いいな、それ。受けてみたいと思ってたんだ。ライセンスがあれば、俺たちの行動の幅も広がる」

「うん、そしたら、イルミが追ってきても……」



少年の声には興奮が混じっていたが、すぐに真剣な表情に戻る。



「でも、ステラ。ハンター試験は命懸けだ。毎年何人も死んでる。俺は大丈夫だけど、お前は……」



言葉を途中で止め、ステラの顔をじっと見つめた。彼女の不安を読み取ったキルアは、握った手に力を込める。



「……でも一緒なら、きっと大丈夫だ。俺がお前を守る。兄貴だけじゃなく、どんな奴からでも。それに、お前も強いだろ? 二人で試験に合格して、あいつらの手の届かないところへ行こう」



キルアの顔に、珍しく希望に満ちた笑顔が浮かんだ。初めて見る、純粋な少年らしい表情だった。



「……うん。キルアほどじゃないけどそれなりには体術は身につけてる。念能力も一応……。1年後、か……今から特訓して、少しでも強くなれるかな……」



ステラは不安そうに俯いていた。ステラの不安そうな言葉を聞いて、キルアは彼女の顔を覗き込んだ。その瞳には、未来への恐れと同時に、微かな決意の光が宿っている。



「当たり前だろ。お前がやる気なら、俺が鍛えてやる。ゾルディック家の訓練は、ハンター試験よりよっぽどキツイからな。お前の念能力も見てみたい。二人で強くなれば、イルミなんて怖くねぇよ」



彼はニヤリと笑い、ステラの背中を軽く叩いた。その仕草は、彼女を励ますと同時に、自分自身にも言い聞かせているようだった。キルアは再び歩き出し、街の明かりが見える方角を指差す。その横顔は、先ほどまでの不安を微塵も感じさせない、力強いものに変わっていた。背中を叩くキルアの手を感じ取り、ステラも決意を込めて頷く。



「先のことはわからない。でも……私、この手を離したくない。キルアと、ずっと一緒にいたい。キルアは、初めての友達だから。……とりあえず、今日泊まるところ探さないとだよね」

「ああ、そうだな。まずは安全な寝床の確保だ。うまい飯も食わねーと、特訓なんてできねぇからな!」

「私、絶対、キルアとハンターになるよ。よし、じゃあまずはあのホテルまで競争しよ!」



そう言ってステラは駆け出した。ステラが突然駆け出したことにキルアは一瞬呆気にとられたが、その表情はすぐに勝ち気な笑みに変わった。兄の影に怯えていた少女の背中が、今は力強く見える。



「はっ、上等だ! 年上のくせに体力ねーやつが、俺に勝てると思ってんのかよ! 俺は友達に負ける趣味はねぇんだよ!」



軽口を叩きながらも、キルアの胸には温かいものが込み上げてきた。友達。その言葉が、彼の中で特別な意味を持つ。キルアは地面を蹴り、一瞬でステラの隣に並ぶ。その速さは常人離れしていたが、ステラを追い越さず、歩調を合わせるように並走する。



「ゴールに着いたら、明日の特訓メニュー、俺が決めっからな! 覚悟しとけよ!」