君の温度を求めた右手
ソファーの上、キルアの腕の中で震えるキルアの背中を優しく撫でた。耳元で地を這うような低く甘い声が響き小さく肩を跳ねさせる。キルアの顔をそっと見上げた。
「うん、約束……んっ……? 『記憶が戻るまで』『離してやるから』って言ってたでしょ?」
ステラの言葉と、その首元で揺れるペンダントに視線が釘付けになる。クラピカとお揃い───その事実が胸に刺さり、一瞬だけ表情が強張る。でも、すぐに柔らかな微笑みに戻した。指先でそっとペンダントに触れる。触れるだけに留め、奪い取りたい衝動を抑えるのが難しかった。代わりに、ステラの頬に手を添えて、少しだけ顔を近づける。
「ああ、そうだったな。でも...…もしかしたら、記憶が戻っても俺のこと忘れられなくなるかもしれないって、ちょっとだけ期待してるんだ。傲慢かな?」
「そっか……」
ステラの髪を耳にかけながら、少し意味深な笑みを浮かべる。彼女の目を見つめるその視線には、決意と執着が静かに燃えていた。
「今日はどこか行きたいところあるか? 二人だけの新しい思い出、作ってみない?」
「行きたいところ……? うーん……どこがいいかな。好きな場所って言われたら水族館……」
水族館はクラピカとデートした場所。言いかけて、何かを思い出しかけたステラは言葉を止める。水族館という言葉に、キルアの瞳が一瞬だけ冷たく尖った。クラピカとの記憶が残っているのか、それともただの偶然か。どちらにしても、今はチャンスだった。
「水族館か。いいじゃないか」
声色を変えないよう注意しながら、ステラの反応を観察する。彼女の迷いがちな表情に、どこか懐かしさを感じているのは明らかだった。そっと「お前の大切な場所なら、俺も知りたい。明日にでも行こうか?」と囁きながら、ステラの髪に指を滑らせる。彼女のピンクの髪が指の間をすり抜けていく感触に、胸が高鳴った。
「クラピカと行ったことがあるのか?」
何気ない質問のようで、実は試すような言葉。ステラの反応一つで、次の一手が決まる。彼女の心を完全に奪うために、今日も一歩踏み出す準備ができていた。
「水族館……。行ってみたら思い出すのかな。そういえば、クラピカは今どうしてるの? 私の記憶がなくなって、携帯電話もなくして、心配させてるかな……」
水族館に引っかかるものはあるもののまだ思い出す様子はない様子だ。
「キルアも水族館好きなの?」
ステラの言葉に一瞬だけ顔が強張る。クラピカのことを心配する彼女の声が胸に刺さった。でも、すぐに表情を取り繕い、肩をすくめてみせる。
「クラピカなら大丈夫さ。あいつ、冷静だからな。それより……」
ステラの手を自然に握り、少し引き寄せる。心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、真剣な目で見つめた。
「俺は水族館も好きだよ。特に暗い水槽の中で、光に照らされた魚たちが泳ぐ様子がな。でも、今度はお前と二人で見たい。水の中の光が、お前の髪を照らす瞬間が見たいんだ。明日行こう。新しい思い出を作ろう……お前と俺だけの」
指先でステラの髪を軽くつまみ、優しく微笑む。その目には隠しきれない独占欲が静かに燃えていた。俺に見つめられて、ステラは恥ずかしそうに目を逸らす。
「えっ? なに、それ、もう。魚を見てよ。それにいつまでこうして……抱っこしてるの? もう降りてもいい?」
ステラは頬を微かに染めながら「キルアは……私のどこに惹かれたの? その、なんでかなあって思って……」と聞いてきた。ステラが照れる姿を見て、思わず笑みがこぼれる。彼女の言葉に、一瞬だけ手の力が緩んだが、すぐに態度を改める。
「ごめん。ついな...…どこに惹かれたのかって...…それは...…」
そっと彼女を離すが、完全には手を放さない。指先だけはまだ彼女の手に触れたまま少し考えるように沈黙した後、真剣な表情でステラを見つめる。
「お前の強さかな。記憶をなくしても、不安を感じながらも前を向いてる。それに...…お前の笑顔を見ると、俺、なんか胸がドキドキするんだ。説明できないけど...…ずっと一緒にいたいって思う」
「強さ……そう、かな。キルアが傍にいるから安心してるだけだと思うけど」
指先でステラの頬に触れ、少し戸惑いながらも答えた。説明するのが難しい。気づいたら惹かれてたんだよ。窓から差し込む夕日の光が二人を優しく照らす中、キルアは水族館のチケットを取り出して見せる。
「実は、もう予約しておいたんだ。明日、一日中、お前の好きな魚を見に行こう」
「えっ? もう予約したの? 早い!」
ステラがキルアの行動の速さに驚いているとキルアの携帯電話に通話がかかってくる。電話のバイブレーションが鳴り、画面にクラピカの名前が表示される。一瞬だけ目を細め、少し歯を食いしばった。思わず「ちっ……今かよ」と舌打ちをしながらもステラの方をちらりと見て、少し距離を取りながら携帯を手に取る。
「悪い、ちょっと出るわ……」
電話に出る前に、一度だけ深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「おい、クラピカ。どうした?」
声のトーンを普段通りに保とうと努めながらも、ステラの方を見る目には複雑な感情が宿っていた。電話の向こうからクラピカの声が聞こえてくる度に、少しずつ表情が硬くなっていく。
「ああ……そうか。分かった。また連絡するよ」
電話を切り、少し遠くを見るような目でステラに向き直る。
「なあ、ステラ。明日の水族館、楽しみにしてくれてる? 俺たちだけの特別な一日にしたいんだ……」
「うん、楽しみにしてるよ。キルアとの水族館。私、マンタとクラゲが好きなんだ。でも、キルア……どうしたの? なんて、言われたの……? 表情が少し不安そうだよ?」
ステラの首元で揺れるイルカのペンダントに視線が釘付けになる。一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、すぐに表情を取り繕う。咄嗟に嘘をつきながら、ステラの手に自分の手を重ねる。
「大丈夫、何でもない。ただの...…ハンター協会の連絡だ。マンタとクラゲか...…じゃあ、明日はそのエリアをゆっくり見よう」
「そっか……うん! キルアは何が好き? 水族館で。イルカとか?」
ステラはキルアの嘘を信じて無邪気に問いかける。キルアはそっとステラに近づき、彼女のペンダントに指を触れる。その動作は優しいが、どこか独占欲を感じさせる。
「このペンダント...…似合ってる。でも、明日は新しいのを買おうか。俺たちだけの思い出になるような。明日は、俺だけを見ていてほしい。たとえ何があっても...…」
ステラの目を見つめながら、彼女の手を握る力が少しだけ強くなる。
「このペンダント……何か大切なものの気がするんだよね。だから、このままにしてるの。……キルアとの思い出になるもの、かあ……何がいいかな。でも、明日……何か、あるの?」
キルアはステラの質問に少し戸惑ったように目を逸らす。
「俺? サメとか、深海生物かな。暗いところで光る不思議な生き物とか...…。大切なものなら、無理に外す必要はないよ」
「サメかあ、たしかにかっこいいもんね。ならサメとかも見に行こうよ」
話しながらも、ステラのペンダントから視線が離れない。自分の感情を抑えながら、指先でステラの髪の毛を軽く触る。少し寂しそうな表情を見せながらも、ステラの目をじっと見つめる。
「明日は..….ただ二人で楽しい時間を過ごしたいだけさ。ステラと一緒にいると、なんだか色んなことを忘れられるんだ。もしかして...…記憶が戻りそうな気がしてる?」
「ん……わかんないけど、水族館行ったら、思い出すのかもしれない。そしたら、キルアと一緒にいられなくなるのかな……って。それは、寂しいかも。ねえ、夜まで何して過ごそうか?」
ステラは少し寂しそうに微笑んでいた。キルアはマステラの言葉に少し動揺したように目を見開く。彼女が記憶を取り戻すことへの不安と、今この瞬間を大切にしたい気持ちが入り混じる。
「何言ってるんだよ...…記憶が戻っても、俺たちはずっと一緒だ。約束する」
ステラの頬に軽く触れ、その肌の柔らかさに胸が高鳴る。俺は「夜まで? そうだな...…」と言いながら月が出る頃を想像して、少し照れくさそうに笑って「星が綺麗に見える場所、知ってるんだ。高い丘の上で、街の光が遠くに見えて...…」と話す途中でふと、ステラの顔を見つめ、言葉が途切れる。月明かりに照らされる彼女の姿を想像して、心臓が早鐘を打つ。
「そこで夜風に当たりながら、ただ二人で過ごすのも悪くないと思うんだ。ステラの横にいられるなら、どこでも...…」
「だってキルア、記憶が戻ったら離してやるって言ってたでしょ? いいね。私……星、好きだよ。ちょっとキルアみたいだよね。星って。きらきらしてて」
ステラの言葉に少し驚いた表情を浮かべる。自分の言った言葉が彼女の心に引っかかっていたことに気づく。
「ああ...…そんなこと言ったか。でも今は...…」
言葉を途中で切り、少し遠くを見るような目をする。本当は離したくないという思いが胸の中で渦巻いている。
「……俺みたいだって? 星が?」
照れくさそうに頬を掻きながら、ステラの言葉に心が温かくなる。俺は立ち上がり、そっとステラの手を取る。その手の温もりが心地よく、どこか切なさも感じる。
「行こう。日が沈むまであと少しだ。ちょうどいい時間に着くはずだよ」
ステラの隣を歩きながら、彼女の横顔を見つめる。クラピカのことを思い出させるペンダントが時折光を反射する。でも今はそれさえも気にならない。今この瞬間、彼女と一緒にいられることだけが大切だと思えた。*
この日はキルアと二人で星を眺めて過ごした。そして夜はお風呂を済ませて、ステラはソファとベッドを交互に見る。
「星、綺麗だったね、キルア。明日の水族館楽しみにしてるね。えっと……私、ソファで寝るね。キルアの部屋なんだし」
星空の下でのステラとの時間が終わり、部屋に戻ってきた今も、彼女の隣にいる喜びが胸の中で温かく残っている。ステラがソファを見つめる姿に、少し困ったように眉をひそめる。
「何言ってるんだよ。ベッドで寝ろよ、ステラ。ソファは俺が使うから」
彼女のために自分のベッドを譲りながら、ふとステラの首元に光るイルカのペンダントが目に入る。一瞬だけ表情が曇るが、すぐに柔らかい微笑みに戻す。クッションを取りながら、ステラの方をちらりと見る。
「今日は...楽しかったな。星空の下で一緒にいると、なんだか特別な感じがしたよ。明日の水族館も、きっといい日になるさ」
言いながらも、水族館がクラピカとの思い出の場所であることが頭をよぎり、複雑な感情が湧き上がる。だが、それを表には出さない。
「ステラの隣にいられるなら、どこでも俺は...…」
言葉を途中で飲み込み、少し照れたように微笑む。