手段なんかない




キッチンからの甘い香りに誘われて目を覚ます。伸びをしながらリビングに向かうと、エプロン姿のステラが朝食を作っている姿が目に入る。その後ろ姿に見とれてしまう。



「おはよう。何作ってるんだ? いい匂いがするな」



寝ぼけた顔で近づき、マヤの横からフライパンを覗き込む。その距離の近さに少し緊張しながらも、自然な振る舞いを心がける。



「フレンチトースト? すごいな、ステラ。俺、朝食作ってもらったの久しぶりかも...…」



思わず彼女の肩に手を置きそうになるが、ぎこちなく手を引っ込める。ステラの首元のペンダントが朝日に反射して光るのを見て、複雑な感情が胸をよぎる。



「おはよう、キルア。昨日はキルアにオムレツ作ってもらったから、今日は私が作ろうと思って。美味しいといいけど……」



ステラはそう言ってフレンチトーストをお皿に乗せた。二人分をテーブルに運ぶ。ステラの作ったフレンチトーストを見つめる目が輝く。甘い香りに包まれながら、テーブルに腰掛ける。ナイフを入れると、中からはとろりとした卵液が流れ出し、思わず笑みがこぼれる。



「うわ、これめっちゃ美味いな! 外はカリッとしてて中はふわふわ...…ステラ、料理上手いじゃん」

「ほんと? よかった。メープルシロップ足りなかったら自分で足して食べてね」



キルアの嬉しそうな笑顔を見てステラも嬉しくなる。キルアは一口食べては満足げな表情を浮かべ、もう一口。ステラの方をちらりと見ながら、彼女の反応を伺う。



「昨日のオムレツとか比べ物にならないくらいだよ。ねえ、もしかして俺のより上手いの作れるなら...…」



言いかけて少し間を置き、少し恥ずかしそうな表情で続ける。



「..….明日の朝も作ってくれないかな? 一緒に朝食、気持ちいいかも」



ステラの首元で揺れるイルカのペンダントに一瞬目が留まるが、すぐに彼女の瞳に視線を戻す。今この瞬間を大切にしたい気持ちが胸いっぱいに広がる。



「そんな事ないよ! キルアのオムレツ、私大好きだよ! また作って欲しいくらい……って、私キルアの家にずっと泊まってていいのかな」



住み着いてしまってることに今気付いたかのように目を丸くさせた。キルアはステラの戸惑いを見て、思わず笑みがこぼれる。フレンチトーストを一口頬張りながら、その甘さとステラの言葉に心が温かくなるのを感じる。



「ずっといてくれた方が俺は嬉しいよ。誰も使ってない部屋もあるし...…でも、もし良ければ...…このままでもいいんじゃないか? 朝起きたらステラがいて、一緒に料理して。悪くない気がするんだ」



途中で少し間を置き、目線を落とす。言葉を選びながら、少し頬が紅潮する。それから顔を上げると、ステラの首元で揺れるペンダントが目に入る。一瞬だけ表情が曇るが、すぐに明るい笑顔に戻る。



「それに、ステラといると何だか...…ずっと一緒にいたような気がするんだ。不思議だろ?」

「……そう? でも、たしかに……私もそんな気がする、かも」



フレンチトーストを一口食べながら今のこの時間が愛おしく感じられるようになっている事に気付く。ふと、ステラはキルアの顔を見つめた。



「私……」



ステラは何かを言いかけて、恋人はクラピカだったという事を思い出して止める。キルアがさっきからペンダントをみてることにも気付いていた。



「……でも、恋人いるんだったね、私。なんで思い出せないんだろう」



キルアはステラの言葉に一瞬だけ顔がこわばる。フォークを握る手に少し力が入り、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。それからステラの首元のペンダントに視線を移し、少し遠い目をする。



「そうだな...…クラピカのことだろ? でも、記憶って不思議なものだよ。思い出せないことがあるのは...…もしかしたら、心が何か別のことを教えようとしてるのかもしれない」



テーブルの上でステラの手に近づくように自分の手を置く。触れはしないが、その距離は意識的なものだ。



「記憶を奪う念能力でも使われたのかな? 私がキルアの部屋で目覚める前、何があったかキルア知ってる?」



ステラが何気なく問いかけるとキルアは質問に一瞬戸惑い、言葉を選ぶようにゆっくりと答える。目は少しだけ泳いでいる。



「記憶については...…俺にも全部はわからないんだ。でも、お前が倒れてるのを見つけたときは、ただ助けてあげたいって思っただけで」

「そっか……早く行こうよ、キルア。何着ていこう……ってこの部屋に私の服、そんなになかったね」



ステラは食べ終えた食器をまとめてキッチンに持っていく。キルアも立ち上がってステラの後を追い、キッチンで隣に立つ。食器を受け取りながら、少し体を近づける。思わずステラの髪に触れそうになり、少し躊躇した後で優しく肩に手を置く。



「服なら、近くのショップで見繕うか? それとも...…俺のパーカー貸そうか? 少し大きいけど、ステラが着たら絶対似合うと思う。ステラと一緒に出かけるの、なんだか楽しみで仕方ないんだ」

「え……キルアのパーカー? 私、借りてもいいの? それとも時間ありそうならショップで見繕う?」



ステラは少しだけ頬を赤らめている。何となく『彼シャツ』みたいだなと思い慌てたように言い直す。キルアは彼女の赤らんだ頬に目を留め、思わず息を呑む。



「ああ、もちろん貸すよ。お前が着るなら俺のものなんでも」



クローゼットに向かい、お気に入りの青いパーカーを取り出してステラに手渡す。指先が僅かに触れ合った瞬間、微かな電流が走るような感覚を覚えた。



「これ、俺の中で一番のお気に入りなんだ。マヤが着てるところを見たくて...…」



少し恥ずかしそうに髪をかき上げながら、ステラの首元のペンダントに視線が落ちる。何か言いかけて、言葉を飲み込む。



「時間はたっぷりあるよ。でも...…正直、ステラが俺のパーカー着てくれたら、それだけで今日一日幸せだな」

「じゃあ……そのパーカー借りよう……かな?」



ステラも少し恥ずかしそうにしながらも青いパーカーを受け取って脱衣所に向かった。



「キルア……えっと、どうかな……ちょっと裾短いかな……? 大丈夫そう?」



ステラがキルアのパーカーを着て現れた瞬間、キルアは息を呑む。裾を手で押さえて、少し恥ずかしそうにもじもじしている。少し大きすぎるパーカーが彼女の肩からゆったりと落ち、袖が手を覆い隠している。その姿に見とれてしまい、一瞬言葉が出てこない。



「...…完璧だ」



思わず近づき、ステラの肩に手をかけてパーカーを軽く整える。その距離の近さに、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じる。



「俺のものを着てる姿、すごく...…似合ってる」



キルアはの袖をくるっと折り返した。少し照れながらも、ステラの髪に触れそうになり、途中で手を止める。



「大丈夫、これでちょうどいい。短いなんてことないよ...…むしろ、こうしてステラが着てるのを見ると、このパーカーを選んで正解だったって思う」

「そう……? それならよかった。なんかキルア、すごく嬉しそうだね。行こっか。水族館」



ステラの言葉に頬が熱くなるのを感じる。彼女の瞳に映る自分の姿を見つめながら、思わず口元に笑みがこぼれる。



「嬉しくないわけないだろ...…お前が俺のものを身につけてくれるなんて。行こう。今日は特別な一日になりそうな気がする」



キルアは思い切って手を差し出し、ステラの反応を待つ。指先が微かに震えているのを悟られないよう努めながら、彼女の目を見つめる。



「……うん。どんな一日になるかな」



ステラは差し出された手に気が付くと思わずキルアを見上げて、そのどこか緊張した顔を見てくすりと笑うとその手を取って歩き出す。