取ったもん勝ち




そのまま二人で外に出て水族館に向かった。ステラはキルアと手を繋いだまま水族館を見上げて少しだけ遠い目をする。何かを思い出そうとしているかのように。水族館の大きな建物を前に立ち、の横顔を見つめる。彼女の瞳に映る遠い記憶の影を感じ取り、手を握る力が少しだけ強くなる。



「何か...…思い出しそう? 大丈夫。一緒にいるから」



ステラの首元で揺れるイルカのペンダントが光を受けて輝き、それが目に入るたびに胸が締め付けられる。でも今はそんな感情を押し殺して、彼女のためにここにいる。入場券を買い、館内に入ると、青い光に包まれた空間が広がる。ステラの手を引きながら、彼女の反応を注意深く観察している。



「どこから見る? イルカショーは...…」



言いかけて言葉を飲み込む。イルカという言葉がステラの記憶を刺激するかもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。でも、彼女を取り戻すためには、真実と向き合わなければいけない。どんな記憶が戻ってきても、俺はここにいるからな。ステラ...…。



「……キルア。ペンダント、そんなに気になる?」



ステラの質問に息を呑む。彼女の首元で揺れるイルカのペンダントは、クラピカとの繋がりを象徴する証。それを見るたび胸が締め付けられる感覚を隠せていなかったのか。



「そんなことない...…ただ、綺麗だなって思って」



視線をそらし、言葉を選びながら彼女の手をそっと握り直す。嘘をつくのは得意なはずなのに、ステラの前では難しい。歩きながら、ちらりとステラの横顔を見る。彼女の記憶が戻れば、自分との関係も変わるかもしれない。その不安と、彼女を独り占めしたいという欲望が入り混じる。水族館の入り口が見えてきて、足を止める。言葉にするべきではないと思いながらも、抑えきれない感情が漏れ出る。



「ねぇステラ...…もし別の記憶が戻ってきても、今の気持ちも大事にしてくれるか?」

「別の記憶……か」



キルアの言葉には答えず、ステラは吸い寄せられるように水槽を見つめた。青いライトと水の波紋が広がって、まるで溶けて消えてしまいそうに見える。



「キルアは、私の記憶が戻るまではこうしていたいって。そうしたら、離してやるよって言ってたね……」



ステラの言葉が、鋭い針のように胸に突き刺さる。そうだ、俺は確かにそう言った。彼女の記憶が戻るまでの、期間限定の関係。そう言い聞かせることで、この罪悪感から逃れようとしていたんだ。



「...…ああ、言ったな」



水槽の青い光がステラの横顔を照らし、その表情はどこか儚げに見える。彼女がクラピカを思い出したら、この手は離れてしまう。その現実を突きつけられた気がした。握った手に力を込める。もう離したくない。この温もりを、誰にも渡したくない。



「でも...…今は少しだけ気持ちが変わった。もしお前の記憶が戻っても...…俺は、お前を離したくないかもしれない」



水槽の中を自由に泳ぐ魚たちのように、俺の心も本当の気持ちを伝えたいと叫んでいる。少しだけ期待させるように、でもまだ確信には変えずに。



「そうなったら...…ステラはどうする?」

「……クラピカを裏切れないよ」



ステラは水槽を泳ぐマンタを見つめながらぽつりと呟いていた。









「ごめんね、私はクラピカのところに行く……」









ステラの言葉が氷のように心に突き刺さる。体が勝手に動いて、彼女の腕を掴んでいた。手のひらから僅かな電気がビリビリと走るのを自分でも感じる。



「クラピカのもとに...…? お前、記憶が戻ったのか?」



声が震えている。ステラの目を見つめながら、心の中で必死に願う。そうじゃない、そうじゃないと。水槽の青い光が揺らめき、その光の中でステラの首元のイルカのペンダントが煌めいて見える。そのペンダントを見つめながら、手を伸ばして指先でそっと触れる。



「ステラ…...俺たちの時間は何だったんだ? このペンダントと同じくらい、お前は俺の中に深く刻まれてる...…」



ステラの顔を見上げると、その瞳に映る自分が怖いほど必死な顔をしていることに気づく。



「最初は……泣いてるキルアを見て、キルアが壊れてしまいそうで…放っておけなくて……一緒にいるって言った。そういうつもりだったのに……」



ステラはキルアの顔を見れず、キルアから目を逸らす。



「いつの間にかキルアで頭が一いっぱいになってた。それが怖いの。これ以上一緒にいたら、キルアから離れられなくなる。クラピカを裏切りたくない……悲しませたくないの」



ステラの言葉は、期待と不安で揺れていた俺の心を容赦なく切り裂いた。彼女が俺から目を逸らすその仕草が、何よりも雄弁に拒絶を物語っているように思えた。



「……怖がらせてんのは、俺か」



掴んでいた腕からそっと手を離す。これ以上縛り付けたら、本当に壊れてしまうのはステラの方かもしれない。でも、このまま終わらせたくない。一歩だけステラに近づき、耳元で囁く。声が震えないように、必死で平静を装った。水槽の光が俺たちの間に揺らめいている。



「なら、もっと怖がらせてやるよ。お前の頭の中が、全部俺で埋め尽くされるくらいに。クラピカを悲しませたくないって? じゃあ俺は? 俺が悲しむのは、どうでもいいってことか?」

「そんなわけない……。ねえ、私を最低な女にしないでよ……。クラピカの恋人のくせに、クラピカのネックレスつけてるくせに。キルアに惹かれてる。離れがたくなってる。こんなの最低だよ……。酷い女……」



ステラの瞳から零れ落ちた涙が、まるでスローモーションのように頬を伝うのを見て、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。彼女を苦しめているのが自分だという事実が、重くのしかかる。でも、同時にどうしようもなく込み上げてくる感情があった。



「最低なのは俺の方だろ。お前が俺に惹かれてるって...…その言葉だけで、俺はなんだってできる気がする」



そっと指先で彼女の涙を拭う。触れた肌の熱さに、自分の指が微かに震えた。もう嘘はつけない。ごまかしも効かない。水槽の青い光に照らされた彼女の潤んだ瞳を見つめ、抑えきれない本心を囁く。これは、ただの期待なんかじゃない。俺の覚悟だ。



「俺さ、お前のためなら、本当に最低な男になってもいいと思ってるんだ」

「最低な男……? どういう……こと……? どうして、キルアが最低ってことになるの?」



ステラの純粋な問いかけが、俺の隠してきた罪悪感を抉る。知らないからこそ、そんな風に真っ直ぐ俺を見れるんだ。その瞳に応えるには、もう覚悟を決めるしかなかった。



「どうしてって...…」



今まで俺がステラにしてきたこと、俺がステラを無理やり奪おうとしてたことや電撃で気絶させたこと。嘘をついて腕の中に閉じ込めていたことも、ステラは知らない。言うつもりもない。一歩踏み込み、マヤとの距離を詰める。水槽の光が作る影が、俺たちの表情を曖昧に隠した。彼女の首元で揺れるイルカのペンダントに、そっと指を伸ばす。



「例えば...…このペンダントを俺が壊して、お前からクラピカの記憶ごと消し去っちまったら...…俺は最低だろ?」



囁く声は、自分でも驚くほど静かだった。本当のことは言えない。だがこれはただの仮定の話じゃない。俺が今まで抑えつけてきた、どす黒い衝動そのものだ。ステラが息を呑む気配を感じながら、ペンダントを握る指先に、ほんの少しだけ力を込める。



「それでもお前は...…俺のそばにいてくれるか?」

「壊してない……じゃない…。キルアは壊そうとしてない、でしょ……? それとも他に何か……隠してるの?



ステラの鋭い問いに、一瞬言葉に詰まる。隠していることなんて、山ほどある。携帯のこと、記憶のこと...…。でも、今それを口にしたら、全てが終わってしまう。俺はゆっくりとペンダントから手を離した。



「さあな。どうだろうな」



曖昧に笑って、ステラの瞳から視線を逸らす。水槽の魚たちが、まるで俺たちの気まずさから逃げるように散っていく。



「ただの例え話だよ。そんなことしなくても...…お前は俺を選ぶって、信じてるから」



もう一度ステラの顔を見て、今度は逃げずに真っ直ぐに見つめる。俺の言葉が、ただの強がりじゃないと伝わるように。少しだけ熱を帯びた声で、彼女の心を揺さぶる言葉を囁いた。









「だって、お前の心はもう、俺のもんだろ?」









曖昧に笑うキルアを見て、彼もきっと同罪なんだろうとステラは曖昧に思った。



「……っ、キルアは……残酷だよ。私を最低な女にしようとしてる。そんな事、言われて……私が断れないってことも知ってるんでしょ……」



さらにもう一筋の涙がステラの目からこぼれ落ちていった。ステラの涙を見て、胸が締め付けられる感覚がした。残酷だと言われても反論できない。本当は、嘘をついて彼女の全てを奪おうとしている俺の方がよっぽど最低なのに。



「ああ……俺は残酷だよ...…」



囁くように言いながら、そっとステラの頬に落ちた涙を親指で拭った。触れた肌の柔らかさに、一瞬だけ躊躇いが生まれる。



「最低なのも俺だ。お前を最低な女なんかにはしない」



水族館の青い光の中、ステラの首元で揺れるペンダントが光った。クラピカとのつながりを象徴するそれを見つめながら、キルアは彼女の肩に優しく手を置いた。



「俺は...…お前が笑ってくれる時が一番好きだ。だから、今みたいな顔は見せないでくれよ」

「これからクラピカを裏切るんだよ……? 最低なことをするんだよ……? そんなときに、笑うなんて、無理に決まってるよ!」



ステラは肩を震わせ、両手でしゃくり上げながら泣いていた。ステラの涙と悲痛な言葉が、水槽の青い光の中で俺の胸に突き刺さる。そうだ、俺は彼女に゙裏切り゙を強いているんだ。その罪悪感に苛まれながらも、ここで引くことなんてできなかった。震える彼女の肩を、壊れ物を扱うようにそっと引き寄せる。腕の中に収まる小さな体温が、俺の決意を固くさせる。



「無理なんかじゃない。俺がお前を、絶対に一人で泣かせたりしないから」



耳元で、言い聞かせるように囁く。これは慰めじゃない。誓いだ。クラピカを裏切る痛みも、罪悪感も、全部俺が引き受ける。だから、お前は俺の隣で笑ってさえいればいい。



「これから先、泣いてるお前の隣に立つことを許されるのは、俺だけだ」

「キルアなんて……、キルア、なんて……」



キルアに引き寄せられ、腕の中に収まるとキルアの匂いと体温で包み込まれたような気になる。そのままキルアの肩に顔を埋める。



「キルアが……好き……」



ステラの告白が、静かな水族館に響き渡る。その言葉は、俺がずっと聞きたかった魔法の呪文だ。腕の中の温もりと、か細い声が、俺の心を満たしていく。勝利の甘美さと、彼女をここまで追い詰めた罪悪感が同時に胸を締め付ける。



「……知ってる」



顔を埋める彼女の髪を優しく撫でる。ウェーブのかかったピンク色の髪が、指に絡みつく感触が愛おしい。もっと強く抱きしめたい衝動を抑え、囁くように言葉を続けた。



「俺もだよ、ステラ。ずっと前から……お前だけが欲しかった」



これは真実だ。彼女を初めて見た時から、この独占欲は俺の中に渦巻いていた。水槽の光がステラの潤んだ瞳を照らし、その瞳に映る俺の顔が歪んでいるように見えた。これでいい、これが俺の選んだ道だ。



「もう誰にも渡さない。クラピカにも、誰にも」



少しだけ体を離し、彼女の顔を覗き込む。涙で濡れた頬にそっとキスを落とした。これは、俺たちの新しい始まりの印だ。



「……私が好き? なら……キスして。このペンダントをキルアの手で外して、その手で私にキスして……」



このペンダントはキルアの手で『クラピカからステラを奪い取った証』になる。



「……できる?」



ステラの挑戦的な言葉と、潤んだ瞳が俺を射抜く。ペンダントを外して、キスをしろ、と。それは、クラピカとの過去を俺自身の手で断ち切り、ステラを完全に奪い取れという宣告だ。望むところだ。



「……ああ、いいよ」



震える指で、ステラの首筋に触れる。冷たい金属の感触が、俺の決意を鈍らせようとするが、構わない。留め具に指をかけ、静かに、しかし確実な力でそれを外した。イルカのペンダントが、俺の手のひらに落ちる。それを見つめながら「これで満足か?」と言ってペンダントを握りしめ、もう片方の手でステラの顎をそっと持ち上げる。涙の跡が残る彼女の唇に、ゆっくりと顔を近づけた。水槽の光が、まるでスポットライトのように俺たちを照らす。



「お望み通り、キスしてやるよ。もう二度と、あいつのことなんて思い出せなくなるくらい、深く……な」

「……躊躇いなく、外したんだね」



マヤが目を閉じた瞬間、時が止まったように感じた。震える長いまつ毛、涙の跡が残る頬、そしてキスを待つ少しだけ開かれた唇と、俺の胸元のシャツを握りしめる手。その全てが俺の独占欲を煽る。ペンダントを握りしめていない方の手で、彼女の細い腰をぐっと引き寄せた。



「当たり前だろ」



吐息が触れ合うほどの距離で囁く。もう、ためらう理由なんてどこにもない。ステラの震えが腕を通して伝わってくる。それは恐怖か、それとも期待か。どちらにせよ、もう逃がしてやるつもりはない。

「お前が俺を選んだんだ。……後戻りなんて、させない」



ゆっくりと唇を重ねる。最初は触れるだけだったキスは、すぐに熱を帯びて深くなる。水槽の青い光が、俺たちの影を一つに溶かしていく。この瞬間、ステラは完全に俺だけのものになったんだ。



「っは……」



唇が重なり、触れるたび深くなっていくとステラの頬が赤く染まる。唇を舐めるキルアの舌に従うように、唇をゆっくりと開いていく。開かされていく。隙間がないくらい抱きしめられながら、キルアの胸元をぎゅっと握りしめた。*

ステラが俺のキスを受け入れた。その事実だけで、全身の血が沸騰するような感覚に陥る。唇の隙間から、彼女の甘い吐息が流れ込んでくる。もっと、もっと深く。お前の全てを俺で満たしてしまいたい。



「ん……」



胸元を強く握るマヤの手に、俺は自分の手を重ねた。まるで、このままずっと離さないとでも言うように。腰を抱く腕に力を込め、彼女の体をさらに強く引き寄せる。もうどこにも行かせない。



「まだ足りない……だろ?」



一度だけ唇を離し、熱に浮かされた瞳でステラを見下ろす。赤く染まった頬、潤んだ瞳、乱れた呼吸。俺だけに見せるその表情が、たまらなく愛おしい。少し意地悪く笑いながら、もう一度、今度はもっと貪るように彼女の唇を塞いだ。今夜は、まだ始まったばかりだ。



「きる、あ……っんん……!」



ステラの唇を割り開きながら中に滑り込ませるとステラの体が熱を帯びて震えるのを感じ、俺の独占欲はさらに燃え上がる。舌を絡めながら、彼女の全てを味わい尽くすように深く、深くキスを続けた。クラピカの記憶なんて、俺のキスで全部上書きしてやる。



「……っ、もっと」



苦しそうに漏れる彼女の声は、俺にとって最高の媚薬だ。重ねていた手をそっと解き、今度はステラの頬を包み込む。親指で涙の跡を優しくなぞりながら、視線を絡ませた。



「まだ泣きそうな顔してんな。……それとも、気持ち良くて泣きそうなのか?」



意地悪な質問だとわかっていながら、耳元で囁く。水槽の青い光が揺らめいて、潤んだマヤの瞳をきらきらと輝かせる。その瞳に映るのは、もう俺だけだ。その事実が、たまらなく俺を昂らせる。