愛してる愛してる愛してる
ゴンの言葉に、俺は一度強く目を閉じた。そうだ、俺がやるべきことはイルミを引きつけること。仲間を信じて、ステラを託すことだ。俺はゆっくりと息を吐き、覚悟を決めた。
「……ああ、分かった。陽動は俺とゴンでやる。クラピカ、レオリオ、ステラを頼んだ」
俺の言葉に、クラピカとレオリオは力強く頷いた。ゴンも俺の肩を叩き、ニッと笑う。その笑顔に、少しだけ心が軽くなった気がした。
「任せろ。必ず連れ戻す」
クラピカの緋色の目が、強い決意を宿して俺を射抜く。そうだ、俺は一人じゃねぇ。こいつらがいる。俺はもう一度地図を指さし、作戦の詳細を詰め始めた。ステラ、もう少しだけ待ってろ。必ず俺が、お前を地獄から連れ出してやる。
俺たちはテーブルに広げられた屋敷の簡易的な見取り図を囲み、最終確認に入る。脳内に叩き込まれている正確な地図とは別に、こいつらに分かりやすいように書き出したものだ。
「いいか、俺とゴンは正面から堂々と行く。イルミの注意を引くにはそれが一番だ」
俺が指し示したのは、正門から続く長い一本道。警備が最も厳重なルートだが、だからこそ陽動にはうってつけだ。
「その隙に、クラピカとレオリオは西側にある使用人用の通路から潜入してくれ。マヤがいるのは、おそらく客間に使われる東棟の最上階だ」
ステラを想うと胸が締め付けられるが、今は作戦に集中する。俺の指が、地図の上で東棟を強くタップした。必ず、この手で取り戻す。俺とゴンは、慣れ親しんだゾルディック家の正門の前に立っていた。月明かりだけが、重々しい鉄の門をぼんやりと照らし出している。ここから先は、俺が捨てたはずの過去。だが、今はステラを取り戻すために、自らその渦中に飛び込む。
「ゴン、準備はいいな?」
隣に立つ相棒に声をかけると、ゴンはこくりと頷き、釣り竿を強く握りしめた。その瞳には、恐怖も迷いもない。ただ、仲間を助けるという強い意志だけが燃えている。
「行くぞ!」
俺の合図と共に、二人で高く跳躍した。分厚くそびえ立つ壁を軽々と飛び越え、屋敷の敷地内に着地する。その瞬間、四方八方から無数の殺気が俺たちに突き刺さった。番犬のミケ、そして執事たち……懐かしい気配だ。
「上等だ……! 全員まとめて相手してやる!」
俺は全身に雷を纏い、不敵に笑った。この騒ぎに気づかない兄貴じゃねぇ。さあ、始めようぜ。地獄の鬼ごっこをな。俺がオーラを解放した瞬間、静寂は破られた。茂みの奥から、地の底から響くような唸り声と共に、巨大な影が姿を現す。番犬のミケだ。その巨躯から放たれる威圧感に、さすがのゴンも息を呑むのが分かった。
「ゴン、ミケは俺が引きつける! お前は執事どもを頼む!」
指示を飛ばすと同時に、俺は地面を蹴った。ミケの牙が俺のいた場所を抉る。こいつはただの番犬じゃねぇ。命令された者以外は全て食い殺す、生きた殺戮兵器だ。
「久しぶりだな、ミケ! 躾がなってねぇみてぇだ!」
空中で身を翻し、ミケの背中に着地する。俺の身体から放たれる電気が、バチバチと音を立ててミケの毛を逆立てた。この騒ぎなら、屋敷中に響き渡っているはずだ。兄貴、見てるか?お前の可愛い弟が、お前の大事なオモチャを壊しに来てやったぜ。
俺の挑発に、ミケが咆哮を上げた。その巨体から放たれる殺気は、そこらの念能力者よりよっぽど厄介だ。だが、こいつをここで足止めしなきゃ、ゴンがやられる。俺は全身のオーラをさらに高め、雷光を纏った。
「こっちだ、デクノボウ!」
ミケの注意を完全に自分に引きつけ、俺は森の奥深くへと駆け出した。背後から地響きを立てて追いかけてくる巨大な影を感じる。これでいい。これでゴンは執事たちとの戦いに集中できる。クラピカとレオリオがステラの元へ辿り着くまでの、貴重な時間稼ぎだ。
「……待ってろよ、ステラ」
木々の間を疾風の如く駆け抜けながら、小さく呟いた。兄貴、お前が仕掛けたくだらねぇゲームだ。俺が必ず、お前のルールごとぶっ壊してやる。ステラは……俺が必ず取り戻す。ミケの巨体を森の奥深くまで引きずり込んだ。こいつの相手は骨が折れるが、これでクラピカたちが動く時間は稼げたはずだ。俺は木の上からミケの動きを窺い、一瞬の隙を突いて雷を纏った拳を叩き込む。
「いい加減に寝てろよ……!」
悲鳴のような咆哮が森に響き渡った。その時、俺のポケットに入れていた小型の通信機が微かに振動する。クラピカからの合図だ。潜入に成功したらしい。
「……よし」
口角が自然と上がる。作戦は順調に進んでいる。兄貴、お前の思い通りにはさせねぇ。俺はミケに最後の一撃を食らわせ、ゴンの元へと急いだ。ゴンの元へ急ぐ道すがら、屋敷から立ち上る複数のオーラを感じ取る。知った顔ぶれだ。ゴトー、カナリア……厄介なのが揃ってやがる。
「ちっ、手間かけさせやがって……!」
舌打ちしながら速度を上げる。クラピカたちがステラの元に着いた今、俺たちがここで時間を食うわけにはいかねぇ。合流したら一気に中央を突破し、兄貴の部屋まで最短距離で駆け抜ける。
「ゴン、無事でいろよ……!」
開けた場所に出ると、そこにはコインを弾くゴトーと対峙するゴンの姿があった。緊迫した空気を切り裂くように、俺は二人の間に割り込む。俺の突然の登場に、ゴトーの眉がピクリと動いた。だが、表情は崩さない。さすがだな、相変わらず。だが、感心してる場合じゃねぇ。
「キルア坊ちゃま……お戻りでしたか。イルミ様がお待ちかねですよ」
ゴトーの言葉を無視し、ゴンに視線を送る。俺の意図を汲み取ったゴンは、力強く頷いた。
「キルア……! ここはオレに任せてステラの所に行って!」
「わかった! 気をつけろよ!」
俺が叫ぶと同時に、ゴンは地面を蹴ってゴトーと距離を詰める。俺は屋敷の中へと走り込む。目指すはイルミとステラの所だ。
「待ってろよ、ステラ。今、行く」
屋敷の深部、兄貴の禍々しいオーラが渦巻く場所へと、俺は再び疾風となって駆け出した。屋敷の廊下を、俺は音もなく疾風の如く駆け抜ける。迷うことはない。兄貴の不気味なオーラが、俺を導く道標だ。ゴンも、クラピカたちも、それぞれの場所で戦っているはずだ。俺がここでしくじるわけにはいかねぇ。
「待ってろ、ステラ……!」
逸る心を抑えつけ、最後の扉を蹴破る。部屋の中央、豪華な椅子に腰かけた兄貴の膝の上には、虚ろな瞳をしたステラが人形のように座っていた。その光景に、俺の全身の血が沸騰する。
「よぉ、兄貴。俺の女を勝手にオモチャにしてんじゃねぇよ」
「来たんだ、キル。ご苦労様。でも、もう遅いよ。ステラはもう、俺のものだ」
俺の挑発的な言葉に、兄貴はゆっくりとステラの髪を撫でながら、無感情な瞳を俺に向けた。兄貴の言葉が、冷たい針のように俺の心臓を抉る。膝の上で、ステラがぴくりとも動かない。その瞳には何の光も宿っていない。まるで、魂を抜かれた抜け殻のようだ。
「……ふざけんじゃねぇ」
ギリ、と奥歯を噛みしめる。全身から溢れ出るオーラが、バチバチと音を立てて部屋の空気を震わせた。怒りで、目の前が赤く染まりそうだ。
「その子から離れろ、今すぐ……! じゃないと、お前のその綺麗な顔を原型がなくなるまで殴り潰してやる」
「怖いね、キル。でも、出来るのかい? ステラを傷つけずに」
俺の殺気を浴びても、兄貴は表情一つ変えない。ただ、面白そうに口の端を吊り上げただけだった。兄貴の言葉が、俺の動きを縫い止める呪いのように響いた。そうだ、こいつはそういう男だ。俺の弱みを的確に突き、精神的に追い詰めてくる。
「……っ!」
ステラを傷つけずに、だと?当たり前だ。だが、兄貴がステラを盾にする限り、俺は手出しができねぇ。そのジレンマが、俺を苛立たせる。
「どうしたんだい、キル? 自慢の神速も、これじゃ宝の持ち腐れだね」
兄貴は楽しそうに囁き、ステラの耳元に顔を寄せた。その親密な仕草に、俺の怒りのボルテージが限界を超える。
「てめぇ……っ! ステラに触んな!」
考えるより先に、身体が動いていた。電光石火の速さで兄貴に肉薄し、その腕を掴み上げる。だが、その瞬間、兄貴の膝の上にいたステラが俺の腹部に鋭い蹴りを入れてきた。腹部に走る鈍い痛み。だが、それよりも心が痛かった。俺を蹴ったのは、ステラ自身。その足には、一切の躊躇いがなかった。兄貴の操り人形と化し、俺を敵として認識している。
「ぐっ……!」
思わず後ずさる俺を見て、兄貴は満足そうに笑みを深める。
「言っただろう、キル。この子はもう君の知っているステラじゃない。俺の命令だけを聞く、忠実な人形だよ」
その言葉が、俺の胸に突き刺さる。虚ろな瞳で俺を見下ろすステラの姿が、現実を叩きつけてきた。
「……黙れ」
だが、諦めるわけにはいかねぇ。俺は腹の痛みを堪え、もう一度強く床を蹴った。お前がどんな状態だろうと関係ねぇ。俺が、必ずお前を取り戻す。