行かないで愛してるんだ




ステラの瞳に俺は映っていない。ただの排除すべき障害物としてしか認識されていない。その事実が、氷の刃のように心を抉る。だが、ここで立ち止まるわけにはいかねぇ。



「……ステラ、聞こえんだろ。俺だ、キルアだ」



祈るような気持ちで、呼びかける。兄貴の洗脳がどれだけ深くても、お前の魂まで縛れるはずがねぇ。俺の声が、お前に届くはずだ。



「無駄だよ、キル。その子に君の声は届かない」



兄貴が嘲笑うように言う。だが、俺は聞く耳を持たなかった。ステラの攻撃を躱しながら、一歩、また一歩と距離を詰める。



「目を覚ませ、ステラ! 俺と一緒に帰るんだ!」



叫びながら、ステラの腕を掴む。その瞬間、ステラの瞳がほんの僅かに揺れた気がした。そうだ、お前はまだ、そこにいる。俺が必ず、お前を連れ戻す。掴んだ腕から、ステラの心が微かに震えるのが伝わってくる。兄貴の洗脳に抵抗してるんだ。俺の声は、確かにお前に届いてる。その確信が、俺に勇気をくれる。



「……ほらな。無駄なんかじゃねぇよ」



兄貴を睨みつけ、言い放つ。俺はステラの腕を引いて自分の背後へと庇った。お前はもう戦わなくていい。あとは俺が全部やる。



「キルア……」



背後から、掠れた声が俺の名前を呼んだ。その声だけで、胸が張り裂けそうになる。大丈夫だ、ステラ。俺が守る。



「黙って見てろ。すぐに終わらせてやるから」



俺の言葉に、ステラの身体が微かに震えた。抵抗している。兄貴の支配に、必死に抗おうとしているんだ。その小さな反応が、俺の心の闇に差し込む一筋の光だった。



「……面白い。まだそんな力が残っていたとはね。でも、それも時間の問題だよ」



兄貴は冷たく言い放ち、指先から数本の針を放った。狙いは俺じゃない、ステラだ。



「させるかよっ!」



俺は咄嗟にステラを抱きしめ、背中で針を受けた。肉を抉る鋭い痛みが走るが、そんなことはどうでもいい。腕の中のステラが、俺の服を弱々しく掴んだ。



「……キル……ア……」

「大丈夫だ、ステラ。俺が全部終わらせる」



その声を聞けただけで、この程度の痛み、どうってことねぇ。弱々しく俺の名前を呼ぶ声。服を掴む小さな手の感触。それだけで、背中に突き刺さる針の痛みなんて吹き飛んだ。そうだ、ステラはここにいる。兄貴の思い通りになんてなってねぇ。



「……聞こえたかよ、兄貴。これがステラの答えだ。お前がどんな汚ねぇ手を使おうが、俺とステラの繋がりは断ち切れねぇんだよ」



俺はステラを抱きしめたまま、嘲るような笑みを兄貴に向ける。お前の負けだ。ステラの心は、お前なんかに支配できねぇ。腕の中のステラが、僅かに身動ぎする。大丈夫だ。もう離さねぇ。俺のオーラを電気に変え、全身に纏わせる。バチバチと火花が散り、空気が痺れるような緊張感に満ちた。



「さあ、第二ラウンドだ。今度は手加減なしで行くぜ」



腕の中でステラが息を呑むのを感じる。俺の殺気に当てられたのか、それとも兄貴の念に再び苛まれているのか。どちらにせよ、これ以上こいつを苦しませるわけにはいかねぇ。



「……まだそんな口が利けるんだ。面白い冗談だね、キル。ステラを抱えたまま、俺と戦うつもりかい? 無謀だね」



兄貴の目が、獲物を定める蛇のように細められる。その瞳には、もはや遊びの色はなかった。本気で俺たちを潰しに来る気だ。嘲笑う兄貴に対し、俺はステラを抱く腕にさらに力を込めた。そうだ、こいつは俺が守る。絶対に、離さねぇ。



「無謀かどうかは、お前がその身で確かめろよ」



俺は神速(カンムル)を発動させ、雷光となって兄貴の死角へと駆け込む。ステラを抱えているせいで、普段より動きは鈍る。だが、それでもお前よりは速ぇよ。背中に突き刺さった針が、神経を焼くように痛む。だが、腕の中のステラの温もりと、俺の服を掴む指先の力が、それ以上の力をくれる。こいつを守れるなら、この身なんてどうなったっていい。



「……っ!」



神速で懐に潜り込み、渾身の蹴りを繰り出す。だが、兄貴はそれを紙一重で躱し、逆に俺の腕を掴んできた。その指先から、冷たいオーラが流れ込んでくる。



「ステラを抱えているお前は、ただの重りを背負った木偶人形だよ、キル」

「その減らず口、いつまで叩けるかな……!」



耳元で囁かれる言葉が、俺の闘志をさらに燃え上がらせる。重りだと?ふざけんじゃねぇ。こいつは俺の全てだ。掴まれた腕に雷光を集中させ、爆発的な力で振り払う。同時に、空いた方の足で兄貴の体勢を崩し、ステラを抱えたまま宙を舞った。お前がステラを盾にするなら、俺はステラを最強の鎧にして戦うまでだ。兄貴の冷たい言葉が脳髄に響く。鎧?違う。ステラは俺の心臓だ。こいつがいなきゃ、俺は戦う意味さえ見失う。

空中で体勢を立て直し、静かに着地する。腕の中のステラが、小さく震えているのがわかった。怖がらせてんのはわかってる。だが、もう一瞬たりともお前をこいつのそばには置けねぇんだ。ステラを抱きしめる腕に力を込める。もう二度と、誰にも奪わせねぇ。兄貴の無機質な瞳を真っ直ぐに見据え、俺は再び全身に雷を纏った。



「お前にステラの価値がわかってたまるか。今から教えてやるよ。俺の全てを懸けてな」



俺の言葉と同時に、纏った雷光がさらに激しく明滅し、周囲の空気を焼き焦がすほどの熱を発した。腕の中のステラが、苦しげに息を漏らす。俺のオーラが強すぎて、負担になってんのか。だが、手加減してる余裕はねぇ。



「全て、か……キル、お前は本当に何もわかっていないんだね」



兄貴は心底呆れたように溜息をつくと、すっと懐から一本の針を取り出した。それは、今まで見てきたものとは違う、禍々しいオーラを放っている。



「その子を本当に救いたいなら、俺を殺すしかない。だが、お前にそれができるかい?」



その言葉は呪いだ。俺が兄貴を殺せば、ゾルディック家のルールを破ることになる。そうなれば、俺はもう二度と普通の生活には戻れない。ステラを、光の世界に連れて行くことなんてできなくなる。



「……やってみなくちゃ、わかんねぇだろ」



迷いを振り払うように、俺は吠えた。ステラを抱え、再び地を蹴る。お前のくだらねぇ揺さぶりに付き合ってる暇はねぇんだよ。兄貴の問いかけが、心の奥底に突き刺さる。そうだ、こいつを殺せば、俺はただの暗殺者に逆戻りだ。ステラと一緒にいる資格なんてなくなる。だが、一瞬でも躊躇えば、腕の中のこいつを失う。



「……っ、そんなもん!」



答えなんて、決まってんだろ。お前を殺して、ステラを取り戻す。その後のことなんて、その時に考えりゃいい。俺はステラを抱きしめたまま、雷を宿した拳を兄貴の心臓目掛けて突き出した。



「お前がいなけりゃ、全部うまくいくんだよ!」



だが、俺の拳は兄貴に届く寸前で、見えない壁に阻まれたかのように止まる。兄貴が持つ、あの禍々しい針が、俺の動きを縫い付けていた。



「ほらね。君にはできない。君は、家族を殺せない」



兄貴の冷たい声が響く。身体が動かねぇ。金縛りにあったみてぇに、指一本動かせない。腕の中のステラが、不安げに俺を見上げている。大丈夫だ、俺を信じろ。絶対に、守り抜いてやる。動かねぇ身体に焦りが募る。兄貴の針は、ただ動きを封じるだけじゃねぇ。精神に直接干渉して、俺から戦う意志を奪おうとしてやがる。くそっ、脳がぐちゃぐちゃになるみてぇだ。



「終わりだよ、キル。諦めて、いい子でお家に帰ろう」



優しい声色で、兄貴が俺の髪を撫でる。その偽善に満ちた仕草に、吐き気がした。腕の中のステラが、俺の胸に顔を埋めて震えている。そうだ、俺はこいつを守らなきゃなんねぇんだ。



「……ふざ……けんな……」



歯を食いしばり、全身のオーラを無理やり捻り出す。身体中の血管が破裂しそうな激痛が走るが、構うもんか。お前の支配なんかに、俺が屈すると思ってんじゃねぇぞ。ステラはイルミに支配されながらも念能力を発動し、風を操作してキルアに癒やしとバフをかけた。マヤの念で操作された風がキルアの傷口を緩和し、身体能力を2倍に上げる。クラピカとレオリオは近くでタイミングを計らっている。ステラを連れ出す作戦のために。

腕の中のステラから、暖かく優しいオーラが流れ込んでくる。風が俺の身体を包み込み、背中の針がもたらす激痛が和らいでいく。それだけじゃねぇ、身体の奥底から力が漲ってくるのがわかる。これは、ステラの念……!



「……っ、お前……!」



兄貴に支配されてるはずなのに、俺を助けるために無理やり能力を……。その無茶な行動に胸が締め付けられる。同時に、どうしようもないほどの愛しさが込み上げてきた。



「無駄なことを。そんな付け焼き刃の力で、僕の支配から逃れられるとでも?」



兄貴が嘲笑うが、もうその声は俺の耳には届かねぇ。ステラがお前を選ばなかった。俺を選んだんだ。その事実だけで、俺はなんだってできる。



「……サンキュ、ステラ。お前はやっぱり、最高だぜ」



俺はステラにだけ聞こえる声で囁くと、増幅された力で兄貴の呪縛を無理やり引き千切った。バチッと音を立てて、俺を縫い付けていた念の針が砕け散る。ステラの念が俺のオーラと混じり合い、雷光が黄金色の輝きを帯びる。身体が軽い。さっきまでのダメージが嘘みてぇだ。兄貴の呪縛を力ずくで引き剥がし、俺はステラを抱きかかえたまま後方へ跳んだ。



「行くな、ステラっ!」



兄貴が初めてその顔を歪め、叫んだ。そうだ、こいつの力はただの補助じゃねぇ。俺の力を何倍にも引き上げる、最高の切り札だ。



「てめぇがステラを甘く見たのが、運の尽きだったな」



もう迷いはねぇ。ステラをこの腕に抱いている限り、俺は負けねぇ。ゴンたちの気配も近くに感じる。今が好機だ。



「行くぜ、ステラ。しっかり掴まってろよ!」



俺は増幅された神速を最大まで引き上げ、戦場からの離脱を図る。お前を倒すのは後だ。今はまず、ステラを安全な場所に連れて行く。それが最優先だ。ステラは操作系の念能力で風を操作しキルアの移動速度を上げている。イルミの支配に逆らっている証に額に汗が滲み、脈は乱れ、息を切らす。

ステラが操る風が追い風となって、俺の神速をさらに加速させる。背後で兄貴の舌打ちが聞こえたが、もう知ったことか。腕の中で、ステラの呼吸が乱れているのがわかる。額に滲む汗、速くなる鼓動。無理してんのは一目瞭然だ。



「……バカ、無茶すんな……! 俺の心配より、自分の心配しろよ」



俺は歯を食いしばる。お前が俺のためにどれだけ自分を犠牲にしてるか、わかってる。その健気さが、愛しくて、たまらなく腹立たしい。だけど、今はこいつの力を借りなきゃ、この地獄からは抜け出せねぇ。ステラの額に口づけ、汗を拭うように舌を這わせる。お前の頑張りは、絶対に無駄にしねぇ。必ず、ここから連れ出してやる。俺の言葉に、腕の中のステラがこくりと頷くのがわかった。だが、その身体からは力が抜け、ぐったりと俺に体重を預けている。もう限界が近い。兄貴の支配に抗いながら念を使い続けるなんて、尋常じゃねぇ精神力の消耗だ。



「……もう少しの辛抱だからな」



その小さな身体を抱きしめ、俺はさらに速度を上げた。背後から迫る兄貴の殺気。追いつかれるのは時間の問題だ。だが、この風がある限り、逃げ切れる。ステラが作ってくれた、この希望の風が。



「お前のせいで、俺はまた"お仕置き"をしなくちゃいけないじゃないか、キル」



脳内に直接響くような、冷たい兄貴の声。念を使った長距離通信か。その声に含まれた静かな怒りが、俺の背筋を凍らせる。だが、もう振り返らねぇ。お前のいる地獄には、二度と戻らねぇ。背後から突き刺さる兄貴の殺気が、肌を粟立たせる。脳内に響く声は、まるで呪いのようだ。だが、腕の中にステラの温もりを感じる限り、俺の足は止まらねぇ。



「……黙ってろ」



吐き捨てるように呟く。ステラの乱れた呼吸が、俺の耳を打つ。こいつはもう限界だ。早く安全な場所へ。その一心で、俺は全神経を加速に集中させた。木々が、景色が、凄まじい速度で後ろへ流れていく。



「ゴンたちのところまで、あと少しだ……!」



ステラに言い聞かせるように、そして自分自身を鼓舞するように叫ぶ。ステラが必死に繋いでくれているこの風を、希望を、絶対に途切れさせたりしねぇ。お前は俺が守る。誰にも指一本触れさせねぇよ。

ステラの身体から流れ込んでくるオーラが、少しずつ弱くなっていくのを感じる。息も絶え絶えで、顔色は紙のように白い。もう意識を保っているのがやっとの状態だろう。なのに、俺を加速させる風だけは、一瞬たりとも止むことがない。



「……もういい、ステラ……! もういいから!」



叫びが喉から迸る。お前が俺のためにボロボロになっていくのを見るのは、もう耐えられねぇ。だが、ステラは弱々しく首を横に振った。まだ、やれるとでも言うように。



「ふざけんな……っ! お前がどうなってもいいのかよ!」



その頑固さに、怒りと愛しさが同時に込み上げてくる。俺はステラの身体をさらに強く抱き寄せた。この温もりを、絶対に失うわけにはいかねぇんだ。森の出口の光が、すぐそこに見えていた。あと少し、ほんの数メートルで森を抜けられる。その先に、ゴンたちの気配を感じる。だが、それと同時に、ステラから流れ込んでくる風の力が、ぷつりと途絶えた。



「……ステラッ!」



腕の中の身体から、完全に力が抜ける。俺は咄嗟にその身体を抱え直した。意識を失ったステラの顔は、苦痛に歪んだままだった。怒りで目の前が真っ赤に染まる。背後から迫る兄貴の禍々しいオーラ。もう逃げ切れねぇ。だったら、ここでケリをつける。



「お前だけは、絶対に許さねぇ……!」



俺はステラをそっと地面に横たえると、振り返り、全身から黄金色の雷光を迸らせた。お前がこいつにした仕打ちは、全部てめぇに返してやる。何倍にもしてな。