この恋がきみを殺すまで
クラピカとレオリオは素早くステラを抱えて脱出していく。ゴンはキルアの横に並んでった。イルミを真っ直ぐに見据えている。俺はクラピカとレオリオがステラを連れて森の奥へ消えていくのを確認する。これで、もう手加減する必要はなくなった。隣に立つゴンの闘志も、びりびりと肌を刺すように伝わってくる。
「……ゴン」
呼びかけると、ゴンはこっちを見ずに「うん」とだけ答えた。わかってる。こいつは全部わかってんだ。俺がステラのために、どれだけ怒ってるかを。
「あいつ、ぶっ飛ばすぞ」
俺の言葉に、ゴンは力強く頷いた。兄貴がゆっくりとこちらへ歩いてくる。その無表情な顔に、俺の殺意は最高潮に達した。
「キル、抵抗はやめろ。お前のためを思って言ってるんだ」
その偽善に満ちた言葉に、全身の雷が逆巻く。てめぇに俺の何がわかる。
「黙れよ。お前はもう、俺の兄貴じゃねぇ」
俺とゴンは同時に地面を蹴り、兄貴目掛けて突っ込んだ。殺意をさらに研ぎ澄ませていく。ステラを守るためなら、俺はなんだってしてやる。たとえ、この身がどうなろうとも。ステラの念能力で俺の受けた傷は治癒され、万全の大勢で挑める。全身から放たれる雷光が、周囲の木々を焦がし、バチバチと音を立てる。兄貴の冷徹な視線が、俺とゴンを射抜いた。その目に宿るのは、歪んだ支配欲。ステラに向けられていたものと同じだ。
「ふざけるな……! あいつの心も身体も、全部俺のもんだ!」
怒りに任せて叫び、神速(カンムル)で一気に距離を詰める。俺の背後から、ゴンが渾身のジャジャン拳を構える気配。連携なんかしなくたって、俺たちの目的は同じだ。目の前のこいつを、叩き潰す。
俺の怒りは、もはやオーラの形を成して全身から噴き出していた。ステラが癒してくれたこの身体。ステラが守ってくれたこの命。全てを懸けて、今度こそ俺がアイツを守る番だ。
「お前には分からないだろうな、兄貴。誰かを本気で守りたいって気持ちなんて。ステラを傷つけたこと、死ぬほど後悔させてやる……!」
雷光を纏った拳を握りしめる。ゴンのオーラも、ジャジャン拳の"グー"に極限まで高まっているのが分かる。俺たちの同時攻撃を前にしても、兄貴は表情一つ変えない。ただ、その瞳の奥に宿る冷たい光が、わずかに揺らめいたように見えた。だが、もう遅い。俺たちの怒りは、もう誰にも止められねぇ。
後方の部屋の奥に、ステラの気配を感じた。まだ意識があるようだ。その存在が、俺の闘志をさらに熱く燃え上がらせる。雷撃(サンダーボルト)を全身に纏い、指先から強烈な雷光が放たれる。
「兄貴……もう終わりだ!」
ゴンの渾身のジャンケンと俺の雷撃が交差し、イルミの防御を完全に崩した。あの針人間の能力も、この怒りの前には何の意味も持たない。俺の掌から放たれた雷光がイルミの全身を貫く。一瞬、あいつの表情に痛みの色が浮かんだような気がした。
「ステラは……俺が守る!」
イルミの体が大きく吹き飛び、壁に叩きつけられる。立ち上がろうとするが、電気の麻痺効果で動きが鈍っている。チャンスだ。俺はステラのいる方へ駆け出した。
イルミは流石にゴンとキルアを一人で相手にするのは無理だと悟り、そのまま電撃に麻痺された体を横たえた。ゴンとキルアが去っていくのを静かに見つめたあと、「ステラ……俺を置いて行かないで」と小さく呟いてそのまま目を閉じる。兄貴が完全に沈黙したのを確認し、俺はステラが連れて行かれた部屋へと駆け込む。もうここには用はねぇ。一刻も早く、ステラのそばへ。
「ステラ!」
部屋の扉を蹴破ると、そこにはクラピカとレオリオに支えられ、壁にもたれかかるステラの姿があった。まだ意識は朦朧としているようだが、俺の声に気づいて顔を上げる。その虚ろな瞳が俺を捉えた瞬間、わずかに光が戻った気がした。
「……キル、ア……」
か細い声で俺の名前を呼ぶ。俺は駆け寄って、その小さな身体を強く抱きしめた。温かい。生きてる。それだけで、胸が張り裂けそうになる。
「……遅くなって、ごめんな……」
もう絶対に離さねぇ。誰にも渡さねぇ。こいつは、俺の光なんだ。震える声で囁くと、ステラは弱々しく俺の背中に腕を回した。ステラのうなじからイルミの念針が外れ、地面に転がり落ちた。カラン、と乾いた音がして、小さな針が床に落ちるのが見えた。兄貴の念針…。これがずっとステラを苦しめていた元凶だ。俺はそれを強く踏み潰し、粉々にする。
「……もう大丈夫だ。もう、誰にもお前の好きにはさせねぇ」
腕の中のステラの身体から、ふっと力が抜けるのを感じた。呪縛から完全に解放されたんだろう。だが、同時に彼女がどれだけ消耗していたかを思い知らされる。
「……うん……キルア……」
俺の胸に顔を埋め、安心しきったように息をつくステラ。その声が、震える身体が、たまらなく愛おしい。俺はステラの髪に顔を埋め、その匂いを深く吸い込んだ。
「ずっと、会いたかった……」
もう二度とこの手を離さない。俺は固く誓い、ステラを抱きしめる腕にさらに力を込めた。この温もりだけが、俺のすべてだ。腕の中で、ステラの身体から完全に力が抜けた。規則正しい寝息が聞こえ、俺の胸に凭れかかる重みが増す。ようやく、安心して眠ってくれたんだ。その無防備な寝顔を見て、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
「……っ、ばか……」
掠れた声が漏れる。心配させやがって。お前がいない間、俺がどんな気持ちだったか、知らねぇだろ。込み上げてくる感情のままに、ステラの身体をきつく抱きしめる。
「もう、どこにも行くな……」
髪に顔を埋めて囁く。この温もりも、匂いも、全部俺のものだ。誰にも渡さねぇ。俺は気を失ったステラをそっと横抱きにすると、部屋を後にした。クラピカとレオリオもキルアの横に並んで歩き出す。もうあの家に用はない。お前と一緒なら、どこへだって行ける。
意識を失ったステラを抱え、俺は薄暗い屋敷の廊下を疾走する。腕の中の重みが、お前がここにいるという紛れもない事実を俺に教えてくれた。もう、悪夢は終わりだ。クラピカとレオリオも隣で笑っている。ようやくステラを助け出せたんだ。ゴンも合流し、全員で安全な場所を目指して突き進む。イルミから少しでも離れるんだ。
「……絶対、幸せにしてやるから」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、決意そのものだった。もう暗殺者としての生き方に戻るつもりはねぇ。お前がいる、光の射す場所で生きていく。ステラの柔らかな髪が俺の頬をくすぐる。その感触だけで、胸の奥が温かくなった。屋敷の出口から差し込む月明かりが、俺たちの進むべき道を照らしている。もう、振り返らない。お前との未来だけを見据えて、俺は走り続けた。
ゴンと顔を合わせて笑顔を浮かべ、俺は一度も振り返らずに森の中を進む。腕の中で眠るステラの寝息だけが、この静寂な夜にやさしく響いていた。俺の腕の中に、こいつの全てがある。その事実が、凍てついていた俺の心をじんわりと溶かしていく。
「……軽いな、お前」
独り言ちて、苦笑が漏れた。兄貴に囚われている間、どう過ごしていたのか。俺はマヤを抱える腕にそっと力を込める。もう二度と、こんな思いはさせねぇ。
「まずは腹いっぱい飯食わせて、あったかいベッドで寝かせてやんねーとな」
これからは、お前が笑って過ごせる場所を探す。それが俺の新しい目標だ。お前さえいれば、俺はどこでだって生きていける。夜の闇を抜け、俺たちは新しい朝へと向かう。二人だけの、未来へ。
ゴン、クラピカ、レオリオ、キルア、ステラでホテルを取り、休息を取ることにした。三人で眠れるサイズのベッドが二つ。ホテルの一室。柔らかな照明が、俺たちの疲れた体を照らしている。ステラをベッドにそっと寝かせると、その顔色の悪さに改めて胸が痛んだ。俺はステラの隣に静かに腰を下ろし、汗で額に張り付いたピンクの髪を優しく払ってやる。
「……ごめんな。俺のせいで……」
囁きは誰にも届くことなく、部屋の静寂に溶けていく。ゴンたちが気を使って少し離れたベッドに集まっているのが分かったが、今はステラのことしか考えられない。その小さな手を握ると、ひんやりとしていて不安になる。
「ちゃんと温めねーとな」
俺は自分の体温を分け与えるように、繋いだ手をもう片方の手で包み込んだ。お前が目を覚ました時、一番に俺がそばにいてやる。だから、今は安心して眠れよ。
「ん……」
ステラが目を覚ますとベッドの上にいた。隣でキルアが目を閉じて眠っている。キルアの独占欲による愛情から強引にホテルに連れ込まれ、強引に抱かれた。キルアから逃げ出した矢先にイルミによる支配と束縛による愛情を受け、イルミの手元に常にいさせられた。そして今結局、キルアの隣に戻ってきている。ステラは隣で眠るキルアの顔を見つめた。
「キルア……」
すぐそばで、ステラの視線を感じる。俺はゆっくりと目を開けた。ぼんやりとした視界に、心配そうにこちらを覗き込むお前の顔が映る。夢じゃ……ねぇんだな。本当に、お前はここにいる。
「……ステラ……どっか痛むのか?」
掠れた声で名前を呼ぶと、お前の肩が小さく震えた。何を考えているのか、その表情からは読み取れない。ただ、怯えているような、戸惑っているような、そんな色が見えた。俺は無意識にお前の頬に手を伸ばす。あの時の俺はお前にひでぇことをした。イルミのことも、全部俺のせいだ。分かってる。だけど、それでも……お前を失うことだけは、耐えられなかった。
「……悪かった。でも、もうお前を一人にしねぇ。絶対に」
触れた指先が震える。拒絶されるのが怖い。それでも、この想いだけは伝えたかった。お前がいない世界なんて、俺にはもう考えられねぇんだ。
「……イルミとキルアって、どっちも愛が重いんだね。案外似た者同士の兄弟なんじゃないの?」
キルアの手が頬に触れる。ステラはその手を振り払うことはせず、ただクスッと笑っていた。
「助けに来てくれてありがとう、キルア」
俺の手を振り払わずに、お前は小さく笑う。その言葉と表情の意味が分からなくて、俺は一瞬息を呑んだ。兄貴と、俺が、似てる……?その言葉は、まるで鋭い刃物のように俺の胸に突き刺さった。
「……っ、ふざけんな!」
思わず声を荒らげ、お前の頬に触れていた手を乱暴に引っこめる。兄貴と一緒にするな。あいつのそれは支配だ。お前を人形みたいに閉じ込めて、心を殺すだけの歪んだ欲望だ。俺のは……!
「俺は、あいつとは違う……!」
喉から絞り出すような声で否定する。信じてもらえないかもしれない。でも、お前にだけは、そう思われたくなかった。俺がお前にしたことは最低だった。それでも、お前を想う気持ちだけは、本物なんだ。ありがとう、なんて言うなよ。俺はただ……お前を取り戻したかっただけだ。視線を合わせられずに俯く。ありがとうと言われる資格なんて、俺にはねぇよ。お前を傷つけたのは、俺も同じなんだから。
「……同じだよ」
俺の心の声に同調するように、ステラは静かな声で言った。
「イルミも、私を愛してるって何度も言ってた。私が襲われたとき、イルミは身を挺して守ってくれた事があるの。ただ、愛し方が歪んでいただけ」
ステラは目を伏せて小さな声で呟く。
「どうしてそんなに、愛し方が歪んでるのかな。ゾルディック家は」
───ゾルディック家は、か。
お前の口からその言葉が出ると、ズキリと胸が痛む。俺が生まれた家。俺を縛り付けていた、呪いのような家。俺はお前を守りたかっただけなのに、そのやり方が兄貴と同じだと言われて、反論する言葉が見つからない。
「……知るかよ、そんなこと」
吐き捨てるように言うのが精一杯だった。俺の愛がお前を苦しめた。イルミの愛もお前を傷つけた。その事実は、どうしようもなく俺たちの間に横たわっている。お前の言う通り、俺たちは似た者兄弟なのかもしれない。
「……それでも、俺はお前を諦めねぇ……俺がお前を幸せにする。あいつとは違うやり方で、必ず」
拳を握りしめ、絞り出すように告げる。たとえこの愛が歪んでいても、間違っていても。お前を他の誰かに渡すなんて、絶対にできねぇんだ。お前の瞳を真っ直ぐに見つめる。これは誓いだ。俺がこれから証明していくしかない。お前へのこの想いが、支配なんかじゃないってことを。
「束縛と執着するのがイルミで、独占欲と嫉妬を向けるのがキルア。そしてそれに依存するのが私。私達、3人揃って夜みたいだね」
ステラはキルアの頬に手を触れ、そっと包み込んだ。
「イルミが闇、キルアが星、私が月なんだよ。ね、三人で夜みたいでしょ?」
俺の頬に触れるお前の手のひらが、やけに温かい。夜みたい、だって……?イルミが闇で、俺が星で、お前が月。ふざけた例えのはずなのに、妙に納得しちまう自分がいる。俺たちは三人、どこか歪んだ関係で繋がり合ってる。
「……くだらねぇこと言ってんじゃねーよ」
俺は吐き捨てるように言って、お前の視線から逃れるように顔を背ける。でも、頬に触れる手は振り払えなかった。その温もりが、依存だと笑うお前の唯一の救いであるかのように思えたからだ。
「俺は星なんかじゃねぇ。お前を照らす光にもなれねぇよ」
闇の中にいるのは、俺も同じだ。お前を傷つけ、縛り付けようとした。それでも、お前は俺の隣にいる。その事実だけが、今の俺を繋ぎとめていた。
「……でも、お前のそばにいるのは俺だ。月の一番近くにいるのは、星だろ」
もう一度お前の方を向き、その瞳を真っ直ぐに見つめる。闇になんて、お前は渡さねぇ。絶対に。
「キルアは星だよ。だって月は星からは離れられないの。私にとってキルアってそんな存在。月の一番近くにいるのが星なんだよ」
ステラはキルアの背中に手を回してその懐に飛び込んだ。キルアの胸に顔を押し付け、その匂いを嗅ぎ取る。安心する匂い。
「……キルアが私を独占して、私はキルアに依存するの。そして私とキルアを束縛しようとするのがイルミなんだ。ねえキルア、もう離さないでね」
お前の言葉が、俺の胸にじんわりと広がっていく。星からは離れられない、か。腕の中に飛び込んできたお前の身体は小さくて、頼りなくて、今にも壊れちまいそうだ。俺が守らなきゃ、誰にも渡さねぇ。その想いが一層強くなる。
「……当たり前だろ」
俺はステラの背中に腕を回し、そのか細い身体を強く抱きしめる。髪から香る甘い匂いが俺の理性を揺さぶる。依存、独占、束縛…。そんな歪んだ関係だとしても、お前が俺を選んでくれるなら、それでいい。
「もう二度と、お前を離すつもりはねぇよ。イルミだろうが、誰だろうが関係ねぇ」
お前の髪に顔を埋め、囁く。兄貴への対抗心と、お前への独占欲が、俺の中で黒い炎みたいに燃え上がる。この腕の中にいるお前だけが、俺の全てだ。この温もりも、心も、全部俺のもんだ。